子どものための地域活動 シリーズ2
子どもの『空間』づくり −子どもの居場所を求めて−
第1章 子どもたちの「空間」は、今
1 子どもたちの現実
(1)「三間」をなくした子どもたち

 「親友」と書いて字のごとく「親しい友」。今、このことを実感する子どもは多くありません。大勢の遊び仲間の中で、自分の心を打ち開けることのできる親しい友人は、子どもの世界から影を消しています。数十人が群れをなして遊んだ姿は、過去の光景でしょうか。現在は、二人、三人の仲間が単位になっています。少子化は、子どもの相互関係に影響し、子どもが社会の一員として成長していく基本的な機能に、否定的な作用を及ぼしています。社会性が身につく、人間同士が相互にかかわり合う能力を衰えさせています。

 同時に、子どもたちにとって何よりも欠かすことが出来ないのが「遊び」です。遊びが子ども時代から奪われれば、社会性や創造性、協調性に欠けた大人になることでしょう。遊びは子どもの「ごはん」とも言える、成長において重要な栄養となるものです。この遊びを保障するのが、仲間であり、時間であり、空間としての遊び場です。先に述べたように仲間のかかわりは希薄になっています。その上、遊ぶ空間は、限りなく狭まれています。放課後、地域で子どもたちの遊ぶ姿を目にすることが珍しくなってきました。安全で快適な空間が失われているからです。子どもにとって本来、子どもの天国であった地域社会は、危険で、面白くない世界に変質してしまったのです。

 子どもが地域に出ない理由に、時間の関係もあげられます。体を思いっきり使って遊ぶ時間が十分にないのです。過去に一日中、缶けりをして遊んだという記憶がある大人も多いと思いますが、こうした体験は今の子どもたちにはありません。常に時間を気にし、塾や稽古の合間をぬって時間を細切れのように消化しているのが現状です。ミシャエル・エンデの作品に「モモ」という小説がありますが、その中に、時間泥棒が登場してきます。時間を奪って生活している灰色の輩です。子どもたちは、遊ぶ時間や自由でいる時間、ボーッとする時間を失っているわけです。

 このように、今、子どもたちは、「三間」と言われる「時間・空間・仲間」を喪失している状態にありま
す。この基本的な要素を取り返し、復活することが、大人や関係機関・団体に課せられた大きな仕事であると思われます。


(2)家庭や学校における子どもたち

 家庭は、親・兄弟姉妹・祖父母といった密度の濃い人間関係により結ばれています。子どもたちは、家族の愛情のもとに、自分の生活領域を拡大していきます。家庭は、なによりにもまして安心の場でした。しかし、この数年、児童虐待の急増に見られるように、子どもにとって家庭が安らぎとくつろぎの場から、居ごちの悪い、緊張を強いられる場へと変化してきている面も見えます。生活の基本単位が揺らいでいる由々しき事態と考えなければなりません。同時に、子どもの生活の大半を占める学校も不登校や高校生の中退に見られるように、子どもたちの成長・発達を促すよりも、成績による競争が強いられ、学ぶことの楽しさを感じることが出来ない状態になっています。子どもたちは、学校での生活が、楽しいことより、いじめが後を絶たないような、苦痛の日々に見舞われています。


(3)地域における子どもの生活

 地域社会は、本来大人の束縛から開放された子どもたちの主体性や自主性をはぐくむ貴重な場面でした。子どもたちはここで、心身ともに自由になり、遊びや活動の中で、自分自身を取り戻し、生きるエネルギーを培ってきました。しかし、都市化の進展と急激な開発により、子どもの遊び場が奪われ、子どもが創造的に考え、行動する空間が激減しました。同時に、地域社会の人間関係やこれまでの地域的なつながりがなくなったことから、子どもが学び、自分の生活に生かす知恵を地域社会から吸収することが出来なくなりました。子どもが地域にいないだけでなく、そこには子どもが魅力的に思い、活動したくなる空間や人、動きがなくなったのです。まるで、『ハーメルンの笛吹き男』によって子どもが地域社会から連れ去られたようです。大人や行政・関係機関は、日本の将来の問題として考え、施策を講じることが必要です。


(4)子どもを取り巻くマスコミ文化の弊害

 子どもの環境を考えた場合、無視できないのは、子どもに多大な影響を与えているテレビ・マスコミの文化です。子どもが最も目にする夕食時の番組には、暴力や性描写など、大人が見ていても目をそむけたくなるような場面が随所に登場します。いじめの原型となるような行為も多く、テレビ画面を通じて、子どもの脳にインプットされていきます。親や教師の意見は、テレビ・マスコミから流れる強烈な主張により、みるも無残に破壊され、価値を失います。不適切な言動のタレントによる公共電波を使っての垂れ流しは、子どもにはかり知れない問題を植え付けていると思います。その結果、子どもの心身には、 ストレスや怒り、不安や苛立ちと結合した不安的な精神状況が生み出されてきます。少なくとも人間同士がお互いに尊重し、認め合う他者への共感や認識は育ちにくく、人を貶めたり、嘲笑したりする文化や考え方が、日常の生活の中で、大勢の子どもが身に付けていってしまっています。また、街中にある大人文化の表現が、子どもへのガードがまったくないまま放置されています。先進諸外国では、子どもへの配慮から、規制は厳しいものになっています。

 今、子どもにかかわりのある大人や機関は、子どものもう一つの大きな環境空間であるマスコミ・テレビ文化に対して、子どもの立場からの積極的な発言が求められています。

2 子どもたちの変化
(1)1歳から6歳までの子どもたちの遊び

 子どもたちは「どんな所」で「どんなことをして」「誰と」遊んでいるのでしょうか。また、この5年間で変化は起こっているのでしょうか。同じ質問項目で1995年と2000年に行った調査結果から考えてみましょう。

 図1-1は遊び場所について、1〜6歳児の子どもを育てている母親に質問したものです。もっとも多いのは自宅でした。しかも、5年前に調査したときよりも少し増えています。一方で「近所の空き地や公園」(+7.2%)、「学校などの運動場」(+3.2%)のような戸外で遊ぶ割合も増えています。母親たちが意識的に子どもを外へ連れだそうとしているためでしょうか。また、「学校などの運動場」が増えているのは、地域に校庭を開放する学校が増えたことも影響しているのでしょう。

図1-1 遊び場所(95年との比較)


 図1-2は子どもの年齢別に遊び場所を見たものです。「自宅」と答えた人の割合はどの年齢でも一番高くなっています。2番目には、1〜4歳児で「空き地や公園」が、5〜6歳児で「友だちの家」が多くなっています。幼稚園に入る前の子どもにとって、「空き地や公園」は同年齢の子と遊ぶ貴重な場所であり、母親にとっては地域の他の親子と顔見知りになる場所でもあります。ところが、子どもの年齢が上がり、幼稚園に通うようになると、多くの時間を幼稚園で過ごすことも影響してか、「空き地や公園」がやや少なくなります。それに代わって、幼稚園でできた友だち関係で遊ぶことが多くなり、「友だちの家」が2番目に上がってきます。

図1-2 遊び場所×年齢(全体)


 図1-3は「よくする遊びの種類」を16項目の中から複数回答で選択してもらった結果です。もっとも多いのは「公園の遊具を使った遊び」です。「つみ木、ブロック」「お人形遊び、ままごとなどのごっこ遊び」は代表的な室内遊びとして、上位に登場しています。また、この5年間でもっとも増えたのは「石ころや木の枝など自然のものを使った遊び」(+7.9%)でした。戸外での遊びの増加とともに、自然のものを使った遊びが増えていることは注目に値します。

 では、子どもたちは誰と遊んでいるのでしょうか。5年前と比較すると「母親」(+13%)「祖母」(+5.5%)が増え、「きょうだい」が5.2%減ったという結果が出ています。少子化が進み、きょうだいや友だちが少なくなると、すぐそばにいる家族、特に母親と遊ぶ時間が多くなるのは避けられないことでしょう。しかし、母子密着の子育てが母親に大きなストレスを与えていることも事実です。安心して子どもを遊ばせることのできる出入り自由な場所、他のお母さんたちと気軽に話せる場所、高い料金を払わなくても使える場所が切実に求められています。実際、この5年で、児童館などを利用した自治体主催の教室やサークル活動を親子で利用する人が、わずかではありますが増加傾向をみせています。
 
図1-3 よくする遊びの種類(95年との比較)

出典: 図1-1〜1-3:「第2回 幼児の生活アンケート」ベネッセ教育研究所(2000年9月発刊)

図1-1・1-3の95年と2000年を比較したデータは首都圏の母親の回答を比較。図1-2の2000年調査の数値は首都 圏と富山・大分の数値を含めたもの。人数はサンプル数を示している。


(2)小学生の遊び

 小学生の遊びはどうなっているのでしょうか。前節のデータは母親が回答者でしたが、今度は子ども自身に聞いたものを紹介しましょう。

 図1-4は、1980年と1999年に同じ質問項目で小学校6年生に聞いた結果をグラフにしたものです。遊びの楽しさについて、20年間の変化をみています。「昼休み、友だちと遊んでいるとき」を<とても楽しい>と答えた子の割合はそれほど大きな変化が見られませんが、「家に帰ってから友だちと遊ぶとき」を<とても楽しい>と答えた子の割合は16.8%も増えています。放課後の遊びが楽しくなる道具や情報は今の小学生のほうがたくさん持っています。それに加え、学校内の人間関係に縛られずにすむ「家に帰ってから友だちと遊ぶとき」が居心地のよい時間になってきているといえるでしょう。

 では、小学生の遊び場はどうなっているのでしょうか。表1-1は1998年に小学校5・6年生がどんな場所で遊んでいるのか調べたものです。「自分の家」で「よく」遊ぶ子が56.8%、「友だちの家」で「よく」が46.3%となっていて、両方とも「よく」と「ときどき」を合わせると8割近くになり、自分の家か友だちの家が遊び場の中心を占めていることがわかります。

 表1-2は表1-1のデータを地域別にまとめたものです。「としん小」では子どもの生活圏の中に<児童館や児童センター>があるため、他の地域に比べ多くなっています。また、<友だちの家>が少ないのは、塾や習い事がさかんなためかもしれません。


図1-4 遊びの楽しさ(小6)1980年と1999年の比較


出典:モノグラフ・小学生ナウvol.19-3「子どもは変わったか」より

 農村部にある「とやま小」や「とさ小」では、意外に<自分の家>や<友だちの家>で遊ぶ割合が他地域より多くなっています。家の敷地が広く、家そのものが大きいことも関係していると思われます。「とさ小」では放課後の校庭が自由に使えるのですが、学区域に自然が多いため、<池・川・林>や<空き地>で遊ぶ子どもも他地域より多くなっています。ここに示したデータはある地域を取り出して比較したもので、都心部のすべての学校がこうであるとか、農村部の学校がこうであるというわけではありません。地域にどんな施設や自然が存在するのか、塾や習い事がさかんなのかどうかによって、子どもの遊び空間はかなり違ってくる、ということの一例として見ていただければと思います。

表1-1 遊んでいる場所

表1-2 遊んでいる場所×学校


としん小=東京都の商業地域やオフィス街が混在した地域。学習塾や習い事の施設が多い。したまち小=東京都の商業地域で古くからの住民が多い。たま小=東京郊外。古くからの住宅地と新興住宅地が混在。はま小=神奈川県の商業地域・住宅地・オフィス街が混在した地域。とやま小=富山県の農村部。とさ小=高知県の農村部。

出典:表1-1・1-2モノグラフ・小学生ナウvol.19-1「子どもたちの遊び」より

3 「空間」の意味を考える
(1)今、なぜ「空間」か

 なぜ「空間」という難しそうな言葉を、今、使うのか、少し考えてみましょう。「空間」と「時間」は哲学のテーマともなるように、私たちの生を考える本質的なことがらです。今、子どもの居場所、とさかんに言われるように、場所の問題が問われています。私たち人間の生というのは時間的な流れでもあり、また空間的な場を舞台にした経験でもあるのです。子どもたちにとって本当に自分の時間の流れる空間があるのか、という問いかけが今、発せられている時代といえましょう。表面的には、コンビニの前にたむろする子どもたち、繁華街をうろつく子どもたちの現象から、子どもの居場所が主張されたりしています。また、社会をにぎわせている少年犯罪など、加害者である少年たちの心の闇の部分に、他人事とは思えない、子どもたちの居場所の問題が感じられます。


(2)都市計画で排除された「子どもの空間」

 このような状況の一つの要因には、都市計画が子どもたちの空間をつくってこなかったというか、排除してきたといった方がよいかもしれない、という問題があげられます。こんなことをいうと、子ども用には街区公園(旧児童公園)などの都市公園をつくってきているではないか、と反論があげられそうです。しかし、公園をつくる代わりに、道路、河川、林地、原っぱなど子どもたちが遊んでいた都市空間が、今では子どもの遊びを排除した空間となってきたのです(ようやく最近、子どもの水辺など河川の一部を子どもに開放する動きがありますが)。


(3)子どもの遊びを排除してきた道路

 子どもの遊びを排除してきたというのは、道路が端的にそのことを表しています。住宅地内の区画街路は、子どもが家の玄関先から成長にあわせて行動を広げるときの、基地となるような遊びの空間となるのです。道は近隣の異年齢の仲間との遊びで時にはケンカをしたり、切瑳琢磨し、異なる他者の存在を認め、仲間づきあいを発展させていく集団経験の場であったのてす。また、近隣をはじめ様々な大人との接触で地域の生活のイメージを育む空間であったのです。しかし、道路は現在の道路交通法が示しているように、交通の妨げになるような、座ったり、寝そべったりする行為、ローラースケートなどの遊びは禁止されています。この交通が車交通に置きかわり、車のために、道での生活行為は遊びとともにほとんど消えてきて、近隣の人づきあいも薄れるという大きな変化を生じてきたのです。

残された数少ない樹木も、多少交通の邪魔になろうが子どもの道草の材料


(4)公園は子どもの居場所になるか

 河川も治水のために護岸が整備されて、子どもは入ってはいけない危険な場所となってきました。原っぱは駐車場となり、林地も自然保護の立場から子どもの侵入が禁止されたりするようになりました。このように公園が整備されてきた代償として、他の場所での子どもの遊びは排除されてきました。

 しかし、公園は子どもの遊び場となっても、子どもの居場所になるでしょうか。ある子どもにとっては居場所になることはあっても、子どもそれぞれの性格が異なるように、各々が自分の居場所としてみつけた空間は異なってくるのが普通です。子どもたちはある時期になると町の中に秘密基地をつくったり、探険して見つけたりと、自分たちだけの場所を求める行動に出るのが特徴です。

 このような探索による行動領域の拡大、および仲間づきあいの交友関係の拡大は、子どもの成長に欠かせないことであり、社会化していく過程ともいえます。家庭の外に自分だけの、または自分の仲間だけの秘密基地をつくり出すのは、自我の形成が象徴的に空間に表れた形態とも言えるでしょう。このような場所を公園に求めるには限界があるのですが、しかしそれ以外に街の中に秘密基地を見い出したり、つくることも難しくなっているようです。


(5)「空間」の意味

 以上のことを整理すると、空間とは単なる三次元の目に見える空間ではなく、次のような三つの意味を持っています。

 まず、第一にはこの秘密基地のように子どもたちの内面を映し出したり、交信する場所でもあるのです。そういった場所は例えば「むしゃくしゃしたときにこの景色をながめているとすっきりする」といったような、個人の感情と交信する場所であったり、子どもの遊び心や探究心を刺激するようなシグナルを発するような場所であったり、生態系など環境の関連について子どもが知覚していく場所であったりします。環境心理学ではこのような子どもの内面と環境との相互作用の重要性を指摘しています。

 また、環境デザインの分野では、環境からの子どもへの働きかけを「隠れたサイン」、その環境学習的な効果を「隠れたカリキュラム」などといったりします。原風景という言葉も、文学作家の作風の根底をなす作家自身の自己成長期の風土、子ども期に焼きついている心象風景として使われています。このような人間の内面に影響を与える面を空間という言葉は含んでいるのです。

 第二には、人間生活のドラマの舞台という意味です。仮に芝居の舞台となぞらえますと、役者のセリフやしぐさのやりとりというコミュニケーションの舞台としての意味です。前述したような子ども同志や大人とのやりとりといった、つきあいを通じた社会形成の舞台です。いじめや引きこもり症候群などが問題になっている今日、とくにこの側面を重視して子どもの空間を考える必要があります。

 第三には、時間の流れが含まれているということです。舞台という認識にも通じますが、空間は静止した状態ではなく、時間の流れがそこにあるということです。とりわけ塾や習い事などによって細切れにされた時間を過ごしている子どもたちにとって、時間の流れを忘れるほど思いっきり気兼ねなく遊ぶことのできる場、友だちともいちいち約束しないでも、いつもそこにいけば誰かいるというような空間感覚は、本来子どもならではのものです。そういった空間での季節の変動、太陽が傾き、日が暮れた瞬間の風景の体験といった、その時でないと味わえない空間体験というものも、先に述べた心象風景などに重なる、時間が加わった空間の意味を表しています。

4 生活学校運動の課題として

(1)少子高齢化社会に向けて

 生活学校の運動はこれまで、地域におけるさまざまの問題をテーマにして、活動をすすめてきました。よりよい暮らしとその基盤となる住みやすい地域の実現・維持を目的に、女性たちの意見と力を生かすのが、生活学校の活動の趣旨です。

 その肝心の地域が、これまでとは大きく変ってきています。その実態の一つは、人口構成の変化です。全国的には子どもの人口(14歳以下)が14.7%。高齢者人口が17.1%(総務庁推計)と子どもが少数派になっています。子どもの出生数も激減するという、今までにない少子高齢化社会となっています。都道府県別に見ると(図1-5)、さらに高齢化が顕著なところも少なくありません。

 地域の生活環境もかなり変ってしまいました。右肩上がりの高度成長経済、バプル、そして景気低迷と経済社会が移り動くうちに、地域の自然も、道路も、商店街の状況もすっかり変化しました。国際化、高度情報化社会といわれる反面、日常の暮らしや子育ての場が、理想とはほど遠いものになっているのが現実です。

 一見、衣食住が足りて、便利な世の中になっているように見えて、たまらなく不安で不満な時代ともいえるかもしれません。それが、児童虐待、不登校、いじめ、理解しかねる少年犯罪など、子どもをめぐる問題となって現れていることは否定できません。

 しかも、21世紀の高齢社会を担っていくのは、今の子どもたちです。いわゆる経済活動はもちろん、地域の医療や介護を財政的に担う働き手となるわけです(図1-6)。それを考えれば、こうした地域の変化は重大な問題です。子どもたちの健やかな成長がなければ、地域の活性化の持続も約束されないといえます。だからこそ、子どもの置かれた現状を見つめ、地域を再点検する必要に迫られているといって過言ではないでしょう。

図1-5 都道府県別高齢化率の推移


出典:「平成12年度 厚生白書」

図1-6 20〜64歳人口及び65歳以上人口の推移

(注)2000年以降の値は「日本の将来推計人口」(国立社会保障・人口問題研究所、平成9年1月推計)による。

1975 1995 2000 2025 2050
出生率(人) 1.91 1.42 1.38 1.61 1.61
平均寿命(年)男 71.7 76.4 77.4 78.8 79.4
平均寿命(年)女 76.9 82.8 84.1 85.8 86.5

(注)出生率:15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計した値で、その年の年齢別出生率が今後とも変わらないと仮定した場合に、1人の女性が一生の間に生む平均子ども数(合計特殊出生例)


(2)遊び場から空間づくりへ

 いろいろの問題を抱える地域の再点検項目として、まず、子どもの居場所、もっと広くとらえて、子どもの「空間」を真剣に考えることが火急のテーマといえます。子どもには、単に公園のような遊び場があれば事足りる、という状況ではなくなっていることはこれまでの記述で認識できたことと思います。

 遊ぶ道具や設備、場所はもちろん、まわりとのコミュニケーション、雰囲気も含めた、「空間」というものを重視していくことが必要になっているのです。子どもの心の休憩所といったものが、必要になってきていると表現した方が適切かもしれません。それには、地域の子どもたちを一面からだけではなく、丸ごと観察し、理解していく姿勢で取り組まなければ、解決できない課題ともいえます。