「私たちの生活学校」141号掲載
積もる話があるんです

自分自身で行動しない限り何も解決しない
秋田県・大潟村 大潟村生活学校
参加者
和田郁子さん
大井正子さん
菊地多喜さん
聞き手・橋野茂子(元(社)あすの秋田を創る協会事務局長)


8tの古紙を回収したが…

―― 30年の歴史がある大潟村生活学校のあゆみとして古紙回収の思い出をまず聞かせてください。

和田 古紙回収のスタートは、第1次オイルショック後で、わが校は村内を回り2tトラックで4台分の古紙を回収しました。その後業者に売ろうとしたところ、業者は「新聞紙は買うが雑誌は必要なし」ということでした。回収した私たちにとっては、大変なことになりました。買ってくれない雑誌をどうするのか処分に困り果てました。
 古紙である新聞紙も安価で、雑誌も無料なら引き取ると言われショックでした。この失敗は、事前に業者と話し合い(事前調査)をせず業者の事情や学習不足のまま、まず回収という行動をしたことでした。せっかくメンバーがトラックを運転し、回収したのに行き先のない物となったことを、深く反省したテーマでありました。


八郎湖の浄化火付け役に

―― その後秋田の古紙センターや東北製紙工場を見学し、軌道に乗ったようですね。次に八郎湖(残存湖)の水の学習をテーマにして活動を始めたのは、その後どうなってますか?

菊地 八郎湖を埋め立てした大潟村には残存湖として湖があり、水の汚染が問題視されていました。そこで保健所や関係機関から来ていただき学習会を開催しました。しかし、この問題はテーマが大きすぎて、生活学校だけでは、どうにもならないと思い、行政機関や南秋田郡内の町村へと働きかけを広げていきました。その後八郎湖の水を考える会等ができ、周辺市町村等も巻き込み運動の本質的なことを他団体に委ねることにしました。

―― しかし、この問題の火付け役は大潟村生活学校でしたね。そして、秋田県全体の問題に広がりましたね。

和田 水の学習から端を発し、滋賀県の琵琶湖に視察研修に行きまして、廃油からリサイクルを考えた石けんづくりを学習し、大潟村でも廃油から石けんづくりに取り組みました。村の婦人部(婦人会)の中に生活部が組織されていましたので、生活部と話し合い、石けんづくりは生活部(石けん部会)で担当し、現在に至っています。

―― この廃油から石けんのテーマも、生活学校から端を発したテーマでしたね。それにしても村の行政の担当者がいち早く生活学校で取り上げた課題に関心を持ち、滋賀県への視察研修を呼びかけ、実現し、参加されたメンバーもすごいですね。すぐ実践するその姿は当時は他に見られなかったじゃないですか…

菊地 廃油から石けんや粉石けんも県内一早く生活部で取り組み製品化し、各種団体やグループ等で活用し、全県に拡大していきました。

―― 資源の再利用と空き缶の散乱調査等を実施し、デポジット運動も始めましたね。

菊地 八郎湖の残存湖の周辺や大潟村から八郎潟町まで道路の沿線を調査し、空き缶、空きビンの散乱に驚き、デポジットの学習会を開催し、村民のクリーンアップやイベント時にデポジットを実施したところ、散乱缶は減少しました。そこで、次に空きビンの回収を実施することにしました。

大井 空きビンの回収については、小中学校のPTAに呼びかけて合同で実施して、その後、PTAの会長さんと話し合いの上、年2回PTAで回収することになったのです。

―― 牛乳パックの回収も県内一早く実施され、とくに牛乳パックからの紙すきでハガキづくりも盛んでしたね。

大井 盛岡の障害施設を訪ねた時に牛乳パックからハガキの作成を知り、すぐ実行したんです。このハガキづくりは、学校週5日制に絡み、子供会や学校、その他のグループ、町村から講師として招かれることが多くなり、メンバーの忙しい時期でもありました。当時NHKのテレビにも出演し、生活学校の活動が紹介され大変うれしかったです。

―― 葬・仏事を考える村の方式ができたいきさつは?

菊地 大潟村は全国から集まった近代農村地域でありますので、各々の生活習慣がそれぞれでありました。生活の合理化運動については、(社)あすの秋田を創る協会で全県運動として推進していました。全県統一は非常に難しく難題でありましたので、わが校でわが村の葬についてのアンケートを実施し、お布施のこと、祭壇のこと、法要時の料理のこと等について調査し、村民の意見をまとめて、話し合い、村の社会福祉協議会を窓口に設定し、葬儀のマニュアルを作成することにこぎ着けました。

――葬儀のマニュアルづくりは、淡々とお話しされていますが、ここまで辿り着くまで大変だったんじゃないですか?

和田 お布施の問題は僧侶と話し合い、祭壇や料理(仕出し)の件は何社にも見本を作成いただき、金額を確認し、協力店を設定し、マニュアルの作成にこぎ着けました。


1人当たりのゴミの量が県内一少ない大潟村

―― 資源の再利用・環境問題に取り組み、県内一、1人当たりのゴミの量が少ない大潟村となったのですが、生ゴミのリサイクルとして、EMボカシに取り組んでいる状況について…

菊地 村役場で岐阜県可児市に婦人団体を対象に研修が実施され、その中でボカシについて学び、大潟村の空きビニールハウスを活用し、ボカシづくりをメンバーで、実践したのです。
 折りよくゴミの減量が強く叫ばれている時期でしたので、県内一早く実践し、各地、各市町村から見学が絶えず、一役有名になり県内に広まっていきました。当初、村行政より補助金をいただき大量に生産できるようになり、全村民にも講習会に参加していただき、村行政からも認めてもらいボカシを製品化し、販売しながらゴミゼロ運動を展開しています。

―― このテーマもまた県内一早く取り組み、課題の発祥地となっていますね。30年間の活動についてこの誌面ですべては語り尽くせないことですが、生活学校のメンバーとしてはどんな感想を持っていますか。

大井 新しい土地に来て、友だちがたくさんできたことや、自身が行動しない限り何も解決しない。自分が実践することにより課題解決に結びつき、楽しい仲間と行動し学習の喜びがありました。

菊地 生活学校で提案した課題について、行政や関係機関がよく理解し、解決の方策について協力して下さり、課題解決されていったことが非常に楽しく力強くやりがいがありました。

和田 メンバーが一生懸命頑張り、自身から行動する姿、ひたむきに学習し、他団体に呼びかけ、また行政に協力もできました。

――最近大潟村生活学校のメンバーが増加していますが、なぜですか?

和田 ひたむきな学習とメンバー一人ひとりが一生懸命頑張る姿や課題解決の楽しさを見て入会しています。

―― 今後の活動として考えていることはどうですか?

和田 1戸当たり2枚配布されているマイバッグの活用や15年度よりゴミの収集、焼却の関係で村のゴミを高速道路を使用して運搬し、処理されている現状とボカシの活用でゴミの減量と経費(ゴミ処理予算)の問題等を見守りながら課題解決の方向を探りたい。
 また全県統一テーマである“地産地消運動”として学校給食への問題等も考えなければならないと思っています。


積もる話が終わったあとで…
  聞き手=橋野茂子(元(社)あすの秋田を創る協会事務局長)
 大潟村生活学校の活動は、常に積極的に取り組む姿勢とテーマに対する事前学習をしっかり行ない、テーマの大小により、行政、他団体との役割を明確にしながら、すべての解決策を生活学校だけで示さず専門的な活動分野である団体・グループへ移行しているのが特徴である。
 廃油からの石けんづくりや、古紙の回収運動、八郎湖の水の問題等、そして、買い物袋持参運動も全村運動へと拡大していったのである。また、大潟生活学校で取り上げたすべてのテーマが全村全県へ発信し、拡大、普及させている。とくに補佐メンバーの選び方も、公民館職員異動時に村長に依頼し、呼び戻したほどの補佐メンバーもいて、彼女らの活動を支えました。その実績もあり、後に続く補佐メンバーにも恵まれた環境である。村にとって生活学校の活動が生活環境の向上に大きな役割を果たしていると強く感じた1日であった。