「まち むら」98号掲載
ル ポ

川とにぎわいの再生をめざす株式会社
石川県七尾市・株式会社御祓川
 毎年、5月のゴールデンウイークには、日本一、高い曳山(ひきやま)が練る祭り「青柏祭」(せいはくさい)が行なわれる、能登半島の石川県七尾市。有名旅館「加賀屋」があることで知られる名湯「和倉温泉」で有名な街だ。その市街地中心部を縦に貫くのが「御祓川(みそぎがわ)」。近くの江曽町の源流から、七尾港まで全長約8.5キロメートルの川は、「心身のけがれを清め、大祓(おおはらい)の神事を行なった」という名前の由来を持つ。
 JR七尾駅の北西約500メートルの地点で本流と分かれ、市中心部を通って七尾湾へと流れる全長約1.2キロメートルの旧御祓川沿いを歩いてみた。護岸工事が進み、港付近は、人々が気軽に散策できる遊歩道も整備されているが、川(横幅約9メートル)からは、かすかに排水の臭いがしてくる。河口付近まで来ると、海に向かって左手に、大正時代の銀行を改築した黒壁の風情ある店が目に留まった。御祓川の再生と、街中のにぎわい創出を目指す株式会社「御祓川」だ。


街の衰退を食い止めようと株式会社を設立

 1999年6月、地元の経営者ら8人が出資した民間の株式会社で、▽川の浄化活動▽河口両岸での新規出店誘致によるにぎわい創出▽川と人がかかわるイベントの企画が主な事業だ。設立のきっかけは、街の衰退を何とか食い止めようとする経営者たちの熱い思いだったという。七尾市は、万葉の時代から「香島津(かしまづ)」と称され、江戸時代には北前船の中継地として栄えるなど、近世までは名実ともに、能登地方の中心都市の一つだった。
 しかし、近代に入り、交通が海上から陸上にとって代わり、高速交通網の整備も遅れたため、地元経済は衰退していった。そんな昭和末期の1980年代後半、経済も人の心も閉塞(へいそく)感に閉ざされたふるさとの再生を願った、七尾青年会議所の若手有志が「港を中心とした街づくり」を目標に運動を開始。働きかけを受けた行政などが、港近くに特産品販売やレストランなどを併設した観光施設「能登食祭市場」(91年)、JR七尾駅前には第一地区再開発ビル「パトリア」(95年)を建設。


ビオパークで育てたクレソンを使ったケーキを販売

 にぎわい創出のための拠点はできたものの、二つの施設を結ぶ仕掛けはない。その上、両施設を結ぶように流れる御祓川は、高度経済成長時代の40年代以降、地盤沈下や、放水路の整備による水量の減少、生活排水の流入で、かつてはウナギやイサザも泳いだ川は、ヘドロのたい積で異臭を放つ、どぶ川に変わり果てていた。到底、人が集う場所ではなかった。
 そこで、同社は「川とにぎわいの再生」を企業理念に掲げて活動を開始。浄化活動としては、2002年、石川県や市、金沢大、NPO、学校など各種団体でつくる共同研究体「御祓川浄化研究会」を設立。川の1か所に、川の中の溶存酸素量を増やし、増殖したバクテリアの活動で浄化する「ばっ気方式」や、2003年9月からは水生植物や微生物の浄化作用をいかした水路「ビオパーク」も設置。月に一度は清掃活動も行なうなどして、浄化実験は着々と進んでいる。この結果、河川の水質指標を示すBOD植(生物化学的酸素要求量)は、やや変動はあるものの、しだいに向上している。2003年から3年間で、地球環境基金から年間300万円の助成を受け、研究を推進。2005年からは、ビオパークで育てているクレソンを使ったケーキを販売し、収益金を装置の維持管理費にも充てている。趣向を凝らしたケーキは好評で、地元の人たちが、川の浄化を考えるきっかけになっているという。というのも、地元の人は御祓川といえば汚い川とのイメージがあり、その川で取れたクレソンだと聞くと「大丈夫か?」との疑問を抱くのは当然。食を通じて、川の環境を考える機会をつくっているという。
 テナント誘致では、すでに2000年、御祓館に、直営店としてギャラリー葦を、2002年には、郷土料理を楽しむことができるお食事処「いしり亭」をオープンさせた。能登半島産の米や、魚醤(ぎょしょう)の「いしり」を使った珍しい料理や、珠洲焼などの民芸、工芸品を販売して、地元経済の活性化の一翼を担う。2号館には、ヘアサロンも誘致し、活性化に一役かっている。


川べりに人が集い、親しむ行事を

 しかし、いくら浄化が進み、にぎわいが創出されても、人が川とかかわる生活態度を取り戻してこそ、川と街の再生であると、御祓川は考えている。そこで、2000年に、人が川とかかわるイベントや勉強会を企画、実行する「川の祈り委員会」を設立。大祓の儀式を再現して川に親しむ「御祓川祭り」や、有識者を招いてのフォーラム開催などで、年間を通じて川べりに人が集い、川に親しむ行事を企画している。
 すると、異臭を放って孤独にたたずむだけだった川べりに、時折、大人や子どもが集まっている光景が見られるようになったという。子どもたちは、イベントがなくても釣り糸を垂れている時もある。チーフマネジャーの森山奈美さんは「すごくうれしい出来事。私の世代は、親から『昔はこんなにきれいだった』と聞かされて育った。でも、今、川に遊びに来る子どもたちが大人になった時は『昔は汚かったけど、今はこんなにきれいになった』と言ってもらえるよう、郷里を誇れる川にしたい。それを皆で進めたい」と願っている。
 設立当初から、経営者たちは「自己責任」を明確にする目的から、あえて、NPOの方式をとらず、「株式会社」という形態を選んで出発した。その理念は今も変わらない。黒字と言っても、現在の活動が維持できる程度で、それ以上の利益を生み出し、浄化活動強化のための出資資金を捻出できる状態には、残念ながらほど遠いという。
「地域の課題を解決しながら利益を生み出す。地域に利益を生み出すことと川の再生などの事業の両面から、ふるさと七尾という『公』に還元できる会社にしたいです。それが私の願い」。森山さんの目が輝く。3月末、御祓川もM6.9の能登半島地震に見舞われた。しかし、どんな大地震が来ても、自然とともに生きてきた能登半島の人たちは、謙虚に受け止め、しかし、しなやかに生きていると、森山さんは改めて、能登の人間の強さを実感したという。そんな生命力を感じるにつけ、ますます活動を活発に、前を向いて頑張っていこうと決意している。