「まち むら」97号掲載
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「ホタルの住む地域」を3世代で守る
岐阜県大垣市・南市橋杭瀬川のホタルを守る会
 ホタルが乱舞する杭瀬川を未来に残してあげたい。岐阜県大垣市南市橋地区の「南市橋杭瀬川のホタルを守る会」(山田五男会長)は、1974(昭和49)年からホタルが住みやすい環境を守るため、お年寄りから子どもまでが一体となった活動を続けている。


藩主・文豪が愛でた杭瀬川のホタル

 木曽三川の一つ、揖斐川に注ぐ杭瀬川は、岐阜県と滋賀県境にそびえる伊吹山(標高1377メートル)の雪解け水などを水源とし、清流として知られる。同地区は、約50年前に同川の堤防に植えられたソメイヨシノ約500本が並木となり、約1.5キロにわたって続く桜の名所でもある。
 同川には、ゲンジボタルとヘイケボタルの2種類が生息。中でも、体長約1.5センチから1.7センチで、きれいな川にしか住むことができないというゲンジボタルは、「杭瀬川ゲンジボタル」として同市天然記念物にも指定されており、同会では約70世帯、300人ほどがメンバーとなり、ゲンジボタルを通して里山本来の姿を取り戻すよう取り組んでいる。
 同川のホタルは約300年前、初代大垣藩主戸田氏鉄公が“天の川ホタル”と名づけて愛でたと伝えられている。昭和初期には、ホタル観光船が川に浮かび、全国各地から訪れた人がホタル遊びを楽しんだ。長い間地域の人たちをはじめ、たくさんの人たちに「初夏の風物詩」として親しまれてきた。
 文豪谷崎潤一郎の代表作「細雪」(1943―1948年)の中にもホタル狩りが登場し、同川のホタルがモデルだったと伝えられている。同川が登場するのは、四姉妹の三女雪子が見合いのために家族と大垣を訪れる場面で、娘や妹らとホタル狩りを楽しんだ二女幸子が布団の中で幽玄のひと時を回想する。
 見渡す限り、ひとすじの川の縁に沿うて、何処(どこ)迄(まで)も何処迄も、果てしなく両岸から飛び交わすのが見えた。(中略)遠く、遠く、川のつづく限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅していた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳(ひ) いているようで、眼をつぶってもありありと見える。
 と、優美な世界が表現されている。
 また、同会のメンバーでもある山田百合子さんも「かつては川には大きな魚が気持ちよさそうに泳いでいたし、みんな川で洗濯もしとった。ホタルもすごく多くてね、よく家の中にも入ってきて光っていましたよ」と振り返る。


3世代が役割を分担しホタルを守る

 しかし、50年代から始まった河川の改修工事や環境を省みない開発、工業化、都市化の波が清流だった杭瀬川をも汚していった。高度経済成長とともに、無数の光を放ちながら川面を覆っていたホタルたちはいつの間にか静かに姿を消していき、気づいたときにはもう、黄緑色の繊細な光はほとんど見ることはできなくなっていた。
 69年、同川の支流で山田会長が、もう絶滅したと思っていたゲンジボタル数匹を発見した。「このホタルを残さなければ」。山田会長らがホタルを知らない子どもたちのために、71年、同会の前身となる「蛍を育てる会」を発足。74年には南市橋町自治会約80世帯、約400人がメンバーとなり「南市橋杭瀬川のホタルを守る会」を結成した。
 子どもからお年寄りまで3世代が一緒に、時に自分たちに適した役割分担をしながら河川清掃やホタルのえさとなるカワニナの放流、観光客がホタルを持ち帰らないようにとパトロールの実施、農家に農薬の使用の自粛を呼び掛けるなど、地道な活動を続けてきた。78年には多くのホタルが舞い始め、環境は復活したと思われていた。
 だが、81年から同川が洪水などで決壊しないようにと、護岸をコンクリートで覆う工事が実施された。そのころから再びホタルは激減。開会では「工事を続けるとホタルが危ない。自分たちの川とホタルを守ろう」と、工事の即中止を求めた。メンバーらは、自然の草が生えやすく、ホタルも住みやすいなど生態系を崩さない「グリーン・シェブロンブロック」を使った工事を自ら探し出してきて提案、実施され、ホタルの減少を食い止めることができた。
 現在、川は透き通り、川底のカワニナまでがよく見える。水草が水の流れにまかせて気持ちよさそうに揺れ、数多くの水鳥も泳ぐ。地域には自然あふれる里山が保たれている。
 同会の1年間の活動は、1月に行なわれる川の水質調査に始まる。3月には堤防の清掃、5月にはカワニナの放流や鑑賞する人たちにマナーを呼び掛ける標識の設置を行なう。ホタルの観賞シーズンを迎える6月には夜間のパトロールと、元高校教諭ら外部の講師を迎えたホタルの生態を学ぶ学習会も開く。7月には川の清掃と、盛りだくさんの内容だ。
 このように地域が一体となった活動が評価を受け、これまでに環境庁水環境賞、日本動物愛護協会賞、環境大臣表彰など、数々の賞を受賞。1989年には「日本の百選 ふるさといきものの里一〇〇」にも選出された。


ホタルはコミュニケーションの潤滑油

 ホダルの光を楽しむことができるのは5―6月ごろの約2週間のみ。「ホタルは環境のバロメーター。1年間泥だらけになりながら環境整備をするが、あの美しい光を見ると、やっぱりホタルは自分たちの宝だと確信する」と山田会長。また、「3世代が同じ目標に向かって頑張れるということは誇らしいこと。ホタルは私たちにとってコミュニケーションの潤滑油」とも。地元赤坂小学校6年の吉田愛さんも「自分たちが活動することで、伝統を守り、ホタルが保護できたら。ホタルはとってもきれいだから大人になってもこの活動は続けたい」と、子どもたちも活動の意義を理解している様子。
 だが、山田会長は今「5、6年前から川の水量が減り始めた」と懸念している。▽温暖化で雪解け水が少ない▽地下水が枯渇しているのではないか、などが考えられるが、はっきりとした理由は分からないという。しかし、水量が減ってしまうとヘドロなどがたまりやすくなり、水質の悪化を招く。ひいてはホタルが住みづらい環境になってしまう。ほんの少しの変化が命取りとなるのだ。
 山田会長は「環境を壊すのはとても簡単。守り、再生するためにはその何倍も時間や手間がかかるし、ほんの小さな変化さえもチェックしなければならない。だからこそ、幼いころからホタルとかかわりを持つことが大切」と3世代での活動の意義を説く。
 「会は家族のようなもの」(山田さん)。“大家族”が守ってきた「ホタルの住む地域」は、何ものにも替えられない次世代への最大の贈り物だ。3世代による挑戦はこれからも続いていく。