「まち むら」97号掲載
ル ポ

隅々まで手の届く「小さな自治体」をめざす
鳥取県智頭町・NPO法人新田むらづくり運営委員会
全戸で取り組む都市との交流と文楽

 宿場町として栄えた鳥取県智頭町。往時を偲ばせる古い町並みを今も残す智頭宿から車で約20分。中山間地域の新田(しんでん)地区は、町内でも一番高いところにある。
 その標高は約450メートル。澄んだ空気と清らかな水に恵まれ、新田地区には日本の原風景を彷彿とさせる素朴な風景があふれていた。
 小さな山村であるこの地区が、まちづくりで注目を集めるようになったのは平成12年のこと。全国で初めて地区の全戸を会員とする、つまり集落まるごとでNPO法人となったからだ。


将来への不安を活力に変えた17戸

 「この辺りの開拓の歴史は古くて、江戸時代の正保年間にまでさかのぼるんですよ」と語るのは、NPO法人「新田むらづくり運営委員会」理事の岡田一さん。
 新田地区の人口は、昭和30年にピークの100人余りを数えたが、近年は50人足らずとなり、世帯数17戸にまで減少した。このままでいれば、将来は集落の維持さえ難しくなる…。危惧した住民が活性化策として、都市との交流を始めたのは平成3年のことだった。
 「自然に親しむイベントを計画していた『大阪いずみ市民生協』を、町から紹介されたのがきっかけでした」
 以後、新田地区では“交流と文化”をテーマに掲げ、都市との交流を軸に宿泊研修施設の整備を推進する一方、地区に明治時代から伝わっていた文楽人形の修繕と保存、技の伝承などに取り組んだ。
 市民生協との交流では、大阪などから訪れた親子が田植え、さつまいも収穫、稲刈りなどを体験。大変好評となり、最盛期には1回に100人以上が参加する交流として賑わいを見せた。
 こうした活動を通じて、新田地区の住民に「もう一度、かつてのむらを取り戻し、子どもたちの賑やかな笑い声を聞きたい」という願いが浸透していった。
 そして平成12年、今後の活動の基盤となる組織をつくろうと、全世帯が集まってNPO法人「新田むらづくり運営委員会」を立ち上げたのである。


赤字も覚悟のうえ

 新田地区が取り組んでいる活動には、都市との交流をはじめ、ロッジや喫茶の運営、新田人形浄瑠璃芝居の上演、「新田カルチャー講座」の開催などがある。
 年1回、「田んぼの学校」も回催。大阪いずみ市民生協の組合員の子どもたちと、地元の小学生が1泊2日の合宿を体験。じる田ドッチボール、星空の観察、登山などを楽しむ。じる田とは水田のこと。水田の中で足をとられながら泥まみれになるドッチボールに、子どもたちは大喜び。毎回、澄み渡った空に大きな歓声が上がるという。
 ロッジ「とんぼの見える家」は、3棟が整備されている。このうち2棟は、農業体験を希望する家族に年間50万円で賃貸され、収益事業となっている。
 喫茶「清流の里 新田」は、地区の女性たちがローテーションを組んで運営。この施設で、観先客は地元の食材を使った料理を味わいながら、伝統芸能の新田人形浄瑠璃芝居を観賞することもできる。これも収益事業のひとつだ。
 新田人形浄瑠璃芝居は、明治初期に地区の青年たちによって始められた。昭和20年代には、文楽の人形遣いで人間国宝となった桐竹紋十郎の指導を受け、「相生文楽」と命名されている。地元では、貴重な人形を保存するとともに、住民こぞって舞台の練習をしている。元来、文楽の演者は男性だけであるが、「相生文楽」では6、7年前から女性も参加。今では女性だけの演者による舞台も行なわれ、喝采を浴びている。
 新田地区の活動で毎回、赤字となっている事業がある。月1回のペースで各界から講師を招いて開催する「新田カルチヤー講座」だ。
 これまでの講師は、地元で活躍する市民団体の代表者から、実業家、病院長、作家、弁護士、大学教授、果ては前大臣まで実に様々である。ときには全国に名の知れた講師を招くこともあるが、どの講演会も一律500円の会費。「清流の里 新田」を会場に、平均20名ほどが聴講している。
 講師の旅費などを計算すると赤字は覚悟。それでも住民の勉強や、地区の文化振興に役立つならばと続けられ、平成18年4月には第84回を数える。講演依頼に関わる交通費などを、担当者が自己負担するといった陰の苦労もあるようだ。
 新田地区の多彩な活動は全国でも高く評価され、平成18年度に農林水産省などが主催する「オーライ!・ニッポン大賞」の審査委員会長賞を受賞した。


課題を抱えながらも夢みることを忘れずに

 「新田むらづくり運営委員会」は、新聞やテレビなどのメディアに取り上げられることも多い。だが当の住民たちは、いたって冷静である。
 というのも、ここ15年に及ぶ交流事業で人口減少は緩慢になったが、現在、高齢化率40%という典型的な過疎地に変わりはないからだ。
 「当面の課題は後継者の育成ですね。集落には50代の人が少ないんですよ」と、世代交代を望む岡田さんは心配する。
 そのほか、NPO法人として厳しい財政基盤。将来、施設が老朽化したら修繕費をどう工面するのか。大阪いずみ市民生協との交流内容の見直しなど、今後の課題も残されている。
「もっと収益を上げて、1戸当たりの年間所得を増やしたいところです。新しい事を起こせば当然デメリットもある。でも、メリットが少しでもあれば“良し”としよう。みんなでそう話し合いながら活動しています」
 岡田さんの言葉からは力強い意志が伝わってきた。


道路・水路の修繕のための積立も

 新田地区の様々な活動によって、地区が劇的に変化したとはいえないだろう。けれども、喜びや楽しさといった心の充足は、以前と比べて増えたようだ。
 「目に見えて良かったのは施設や道路、親水公園の整備が進んで、集落がきれいになったこと。それから、外からの刺激が多くなり、住民のコミュニケーションが活性化したことも嬉しいですね」
 以前、新田地区を訪れた大阪の子どもたちが大人になり、自分たちの子どもを連れて遊びに来るようにもなった。今年4月、地区の古民家に大阪から移住する家族もいるそうだ。思ってもみなかった大きな収穫ですと、岡田さんはほほ笑む。
 今後、長く地道な活動が種まきの時期から、少しずつではあるが芽吹きの時期へと移行するに違いない。
 市町村合併によって「大きな自治体」がつくられようとしているが、新田地区は小回りがきいて、隅々まで手の届く「小さな自治体」を目指している。
 その実現に向かって、道路や水路の修繕など、本来は行政に頼る公共事業の一部を自分たちでやろうと、「集落活性化基金」の積立も行なっている。
 今後の高齢化対策として、ミニデイサービス、ショートステイなど福祉の充実も目標としている。今年度は地区で福祉に関するアンケート調査を実施して、施策の方向性を探っていく予定だ。
 「新田地区のような山間地では、何もしなければ衰退するだけです。私たちの集落が生きていくためには、活動を続けていくこと、挑戦を続けること。その積み重ねが大切なのだと思います」
 登山のように足元を確かめながら一歩一歩。それは、決して大きな一歩ではない。それでも立ち止まることがなければ、いつかは頂上が見えてくることだろう。新田地区の小さな歩みは、今日も続けられている。