「まち むら」95号掲載
ル ポ

地域に息づく共同体「惣」
長野県野沢温泉村・地縁団体法人野沢組
 長野県野沢温泉村は、長野市から北に50キロ程に位置する、人口4,600人余りの山村。冬場のスキー客や温泉客など年間75万余りの観先客が訪れる。また、「野沢菜」の産地でもある。ここには、名湯・野沢温泉があり、自然湧出の共同湯が13か所もある。近年脚光を浴びているのが、この村の地域共同体だ。住民組織の名称は「野沢組」。総元締の「惣代」の下で運営されている。村の財産である温泉源や、420ヘクタールという広大な山林を長年に渡って守り続けている。


村長に匹敵する権限を持つ「惣代」

 任期1年、再選なし。そして報酬なしという野沢組の「惣代」森宣夫さんのご案内で、坂道と水路が縦横に巡らされた野沢温泉を歩いた。まず眼に入って来たのは、2階建ての浴場、「十王堂(じゅうおうどう)の湯」。温泉卵の茄で釜や村の女性たちが使う「洗濯場」から、湯気が舞い上がる。「ここで、衣類や野菜を洗いますが、奥さん方の井戸端会議の場所にもなっているんです」と森さん。続いて、土産物の販売店や旅館が立ち並ぶ通りに建つ、大きな湯屋建築の共同湯が目を引く。この湯は、野沢温泉のシンボル「大湯(おおゆ)」である。共同湯は、地元民はもちろん外来客も無料で、すべての共同湯が管理人なしの無人体制。早朝から夜の11時まで入浴が出来る。浴場は、下足置き場と脱衣置き場だけの簡素な造りだ、こうした共同湯の維持・管理は、「湯仲間」と呼ばれる地域住民の団体が行なう。つまり、温泉源を総括管理する野沢組は、共同湯に無料で配湯する。掃除や水道代や電気代といった経費、夜間の施錠など細かな運営・管理を、地域の「湯仲間」が担当する仕組みだ。次に訪れた白煙を上げる源泉「麻釜(あさがま)」では、卵やジャガイモを近くの村人が茄でていた。森さんは、「夕方になると、茄でものに来る地元の人で、いつも一杯になるんです」と教えてくれた。道行く人が、敬意を込めて森さんのことを「惣代さん」と呼ぶ。野沢組の代表者である「惣代」は、組員のまとめ役として村長に匹敵する権限がある、と言う、そうした背景には、野沢組の前身、「惣」が深く関わっている。


「野沢組」の前身は、室町時代の「惣」

 戦国時代にすでに湯治場として知られていた野沢温泉は、江戸時代には越後からも湯治客が訪れ賑わっていたことが記録に残されている。この名湯を代々継承してきたのが、野沢組だ。その前身は、室町時代の「惣」、つまり荘園崩壊期に、農民が村の財産を守るために結成した共同体に由来する。「惣」は、徳川幕府の封建支配に組み込まれ明治維新で消えたはずだった。しかし、野沢組という共同体は、廃藩置県後も村行政から独立した自治組織として存続したのである。


野沢温泉村の55パーセントが組員

 「野沢組」は、野沢温泉村のおよそ55パーセントに当たる戸数739(平成18年度)が組員である。入会資格はない。各戸には、組費が請求される。年度初めに役員が丸一日協議して、組構成員の生計内容をあれこれ持ち寄って、「組費割り」、つまり組費を決める。組費の最高額は、およそ20万。老夫婦だけの世帯や独身女性の場合など会費免除のケースもある。組合費は、総額1,000万円を超す。これらの資金は、温泉源の管理や共同湯の施設の改築さらに道路や水路の補修などに充当される。


役員総出で山林の境界くい3,000本の点検

 野沢組は、温泉源を総括管理するだけではない。村民の暮らしの相談に対応するため、7つの委員会を設けている。「総務」「文書管理」「温泉管理」「式典祭事」「林野道路」「堰」「労務」である。ちなみに「総務」は、正副惣代経験者11名で構成、惣代を助けて組の運営全般に当たる。「文書管理」は、惣代の文書蔵に長年保存されている古文書の管理・研究を4名の委員で担当。野沢組の惣代事務所の地下が、大きな書庫になっている。年度初めに、文書の紛失がないかどうか。保存状態に問題はないか。そうした事務引継ぎを、役員全員が立会いの上で行なう。委員の1人でホテルを経営する森英充さんは、こう述べている。「大小さまざまな文書が膨大にあるのですから、整理は容易ではありません。徳川期以来の古文書がありますが、簡単に解読出来ません。すべて封印してあるので、立会い人のもとで、文書を開けて閲覧した後は必ず印を押し、改めて封印する慣わしです」。また、温泉源の権利問題などでトラブルが派生した時などに、かつてあった同様の事例を資料から見つけ出し、どのような対処をしたのか、を知る手掛かりにもしている、と言う。
「温泉管理」は、野沢組所有の温泉源の管理運営、共同浴場の管理の支援で、10名の委員が担当する。6月、9月、11月の年3回、1分間に湧出する湯の量を調査しデータを記録し保存。初回の6月の調査には、役員全員が出席する。
「式典祭事」は、野沢組の氏神の湯沢神社・三峰神社・健命寺等の社寺に開すること、祭りの運営と執行を10名の委員で担当。毎年、1月15日に行われている道祖神火祭りは一大イベントであり、この祭りを司るのは野沢組の惣代である。
 「林野道路」や「堰」は、野沢組が所有する山林原野の管理、道路に関する事。堰や用水の管理、近隣各区との用水問題などを担当する。例えば、林道や水路が破損した場合、連絡は、村農林課や建設課でなく、まず惣代事務所に来る。地元民の暮らしの相談に対応しているのだ。
 とりわけ野沢組の大仕事ともなっているのは、役員総出で毎年3日間、共有林の境界くい3,000本の点検を行なう作業である。すべての谷から沢へ踏査して、共有財産をこの目で検分、そして野沢組の共同体としての自覚を高めていくのだ。ちなみに、平成12年、地縁団体として法人格を得た野沢組は、所有不動産の山林420ヘクタールを、村営スキー場に貸与、村から毎年地代として3,000万円を得ていた。しかし、昨年度、スキー場は民営化され、課税を含めると、その収益は1,000万円余りに減額する。野沢組、総務委員長の河野太郎さんは「野沢組を支えていた地代の減額は、とても頭の痛い問題ですよ」と、苦しい胸の内を明かしている。


地域の核「惣」の行方は

 スキー場の地主であり、温泉の権利も所有する野沢組には、利権を巡る争いがない。そして野沢組が今日まで存続出来たのは、良くも悪くも権利を守るという保守的な考えが色濃かったからだ、と言う地元民の意見もある。新しいことをやろうと思う人には、野沢組の定款、つまり、決まり事が、足枷になる場合もある、と言うのだ。
 今野沢温泉村には、新たな波が押し寄せている。高齢化や核家族化、さらに、近隣の飯山市との合併問題などである。しかし、温泉や山村という貴重な村の共有財産を地域の活性化のために活用し、コミュニティを培って来た野沢温泉村の「惣」、野沢組は、地元の住民を支える核的存在として、その役割を果たし続けていく事に違いない。