「まち むら」93号掲載
ル ポ

川の浄化でまちに活力を呼び戻す
北海道安平町・追分町マチおこし研究所
SL壁画に託した住民の熱い思い

 親子孫3代のファミリーを乗せてSL「おいわけ号」が、勇払原野を力強く驀進する−といってもこれは、まちの中央を流れる安平川の護岸ブロックに描かれたペイント画。まちおこしの一環としてスタートした追分町の「マチおこし研究所」の安平川浄化運動。全町民を巻き込んだ「クリーン安平川の日」を始めてから10年目を記念して昨夏、子どもたちによって製作された大壁画だ。そこには永遠にきれいな“母なる川”への願いとともに、町の未来にかける町民の熱い思いが託されている。
 その追分町はこの3月、隣の早来町と合併して安平町となり、新たな町づくりが始まる。壁画、SL「おいわけ号」は、かつてそこに追分町があった証でもある。ポー。SLは、これから2つの町の住民の夢と希望を乗せて、今度は「二重連」で新町を引っ張る。いざ“出発進行”―。


過疎の危機が研究所発足の動機

 追分町は、札幌からJR千歳線で約1時間、勇払原野の東北端にある人口4千人足らずの小さなまち。いまは純粋の田園町だが、かつては大きな機関区のある鉄道の町だった。時代は移り、機関区は縮小、廃止され、鉄道城下町は火の消えた寂しさとなり、そして過疎化に拍車がかかった。
「このままでは町が無くなってしまう」―危機感を抱いた機関区の若手鉄道マンとまちの若い有志は「町民に活力を持ってもらうために何かをしなければ」と立ち上がり、出来たのが「マチおこし研究所」。平成元年のこと。所員は当時の鉄道マンを中心に56人。「会」ではなく「所」としたのは、「何をするんだろう?」と、町内外に関心を持ってもらう狙いだった。最初は単に、町に夢を語る提言団体だった。しかしほどなく、これでは町は動かないし、住民もついてこないことがわかった。
「やっぱり先頭に立って汗を流さなくちゃ」。この反省から、ではまず住民が何を求めているかを知る必要があると、全町民を対象にアンケートをやってみた。未来に生きるのは子どもだちというので小、中、高生も全員対象に。
 出てきた回答は8割方が「安平川をきれいにしたい」たった。子どもたちもほぼ全員回答を寄せ、内容も「安平川が遊べる川になってほしい」、「魚釣りやカヌーができればいいな」が大半。研究所の進むべき途は決まった。


川の浄化が活動のメーンテーマに

 安平川は町の北東、安平山を水源に、勇払原野を南下して追分町の中央を走り、苫小牧の海へ往ぐ延長50キロメートルの2級河川。かつてはヤマベ(ヤマメ)やドジョウが群れ遊び、子どもたちが泳ぎ、魚を捕まえた清流だった。それが町の都市化や度重なる洪水で汚染、直線化され、中心部は両側を高いコンクリートブロックで囲われる味気ない川に。アンケートの回答は、これを元の清流に戻して欲しいという切なる願いだったのだ。
 研究所がまず行なったのが川のごみ拾い。初年は市街地の中心部2、300メートルだったが、あるわ、あるわ。わずか2時間ほどでダンプカー2台分も出て所員たちもがく然。早速この実体を研究所の広報誌「パワフル追分」で全町民に知らせ、次回清掃日の協力を呼びかけた。
 次に取り組んだのは、木の浄化能力が強いといわれる水草の植栽。町民の協力でカミネッコン(再生紙の器に幼木を植えた鉢。そのまま植えると紙が肥料となり、成長する)を数100株を植えた。しかし、しかし、水の浄化はいまひとつ。最大の原因は市街地の排水口から流れ出る生活雑排水とわかった。
 そこで考え出されたのが木炭の脱臭、脱汚染能力の活用。排水口の直下に木炭を埋めて汚染も、においも取ってしまおうという作戦。しかし市販の木炭を買っていたのではばく大な経費がかかる。ならばいっそ、自分たちの手で炭を焼こうじやないか―。
 追分町はかつて木炭の一大生産地でもあった。炭焼き経験のある古老を先生に、町の森林公園の一角に炭窯を造成し、町有林から間伐材をもらい受けて炭を焼いた。これを金網の篭に入れ、川の排水口5か所に埋めた。効果はてきめん。篭の前では45PPMの汚水が、後ではなんと25PPMに浄化されているではないか。以来10数年、民間の山で採られる雑木をもらって毎年4、5回炭を焼き子どもたちの力も借りて排水口へ。1回に700キロほどできるので、余った分は町内の各種イベントの燃料として販売し、所のささやかな収入に。同時に焼いたナスやキュウリの炭を公共施設の洗面所などに置いて、町内の脱臭にも一役買っている。
 一方、これら一連の運動と平行して5年ほど前から、ヤマベの発服部の川中埋放流も毎年行なっており、その数が着実に増えていることが確かめられている。また中渡部には遊水ゾーンも2か所作られ、春から秋にかけて再び子どもたちの歓声が聞かれるようになった。


全町民を巻き込む運動へ発展

 とはいえこれら一連の活動を研究所員だけで行なうのは至難のわざ。そこで平成8年夏、「クリーン安平川の日」を設定し、大人から子どもまで水辺に集まってもらい、ゴミ拾い、水草植え、炭の埋設、生物調査などを一緒に行なってもらうことにした。参加町民は年々増加。第10回の記念となった昨夏は数100人が参集。手分けしてそれぞれの仕事をこなすかたわら、子どもたち120人もが絵筆を取り、川の擁壁にでっかいSL「おいわけ号」を描いたのだった。
「何か嬉しいといって住民みんなが安平川に思いを寄せ、運動に参加してくれていることが最高。ゴミは少なくなったし、生活排水も量、質とも押さえられるようになった。あれから過疎は進んだけれど、“心の過疎”は食い止めることができたと思う」と、3代目の現工藤隆男所長や32人の現所員はにっこり。このあと護岸の壁画は毎年夏1回、SLの後に続けて9コマ描かれ、町のたどってきた120年の歴史再現する。


町にとってもかけがえのない存在

 研究所の活動は川の浄化に止まらない。5年ほど前からは、町民の相互助け合いを目的に地域通貨「ふらっと」の発行、運営も展開している。住民の理解がいま一歩で、目下の参加は商店、業者が10店、会員70人ほど。いまのところ買った商品の一部や、ハイヤー、理容代の1割支払い程度だが、ゆくゆくは地元農家からの野菜購入や、除雪、買い物代行など物の売買から、心や助け合い精神への支払いに拡大してゆこうと考えている。
 町行政の担当者は「町と研究所は車の両輪のような関係。安平川の浄化をはじめ町づくりのあらゆる面で協力してくれている。隣町と合併しても、引き続き両町民の中心となって活躍してほしい」と、全幅の信頼を寄せている。
 いま追分町・安平川は雪と氷の中。が、その氷雪の下には、昨秋ふ化した小魚たちがエネルギーを蓄えてじっと春の到来を待っている。研究所の面々も、合併後は何かできるか、隣町・早来の町づくりグループと意見を交換する毎日。雪融け氷が安平川を満たす頃、新町・安平町はたくましく新しいまちづくりの一歩を踏み出す。