「まち むら」92号掲載
論 文

分権社会における地域自治のあり方(第2回)
地域自治の創造に向けた基本視点
中 川 幾 郎(帝塚山大学大学院法政策研究科教授)
住民(市民)自治と団体自治の乖離

 改めて考え直してみたい。地方自治は、ほんらい市民自治と団体自治の両輪があいまって成り立つものである(※1)。しかしながら、これまで多くの地方自治体においては、住民自治と団体自治の関係は実態的に分離していたといえるだろう。戦後の地方自治は、住民自治の面からは、中央省庁追随型の自治体縦割り機構それぞれによって慫慂(しょうよう)・再編成されてきた住民組織の分立化のために、実質的に脆弱化してきた。また、団体自治においても、旧地方自治法による機関委任事務などを通じて、縦割り部局別に専門機能化する方向を走ってきた。地域社会現場が直面するさまざまな問題に対処する場面でも、住民側からの課題解決に向けた多面的・複合的な欲求・要求に対して、部局別職員による専門的・部分的課題への分解、対応と、公平性・合理性・制度(制約)的原理による説得・調整が図られるという図式が一般的ではなかっただろうか。
 自治体財政が悪化している今日、団体自治の当事者である自治体政府職員が、自治体の行財政危機を団体自治の危機として認識することは当然のことであろう。しかし、もう一方に存在する、市民や地域社会とのコミュニケーションの危機をも含めて、団体自治の危機として認識するべきなのである。今日の行財政危機や市町村合併問題がもたらしたインパクトは、住民自治と乖離してきた団体自治を、改めて住民自治と提携する方向に導き始めている。合併市町村を中心とした、住民自治協議会設立の動きや地域自治区制度導入の全国的な動向は、明確にそれを示している。たしかに、団体自治の危機を内部努力と併せて住民自治の活性化によって克服しようとする姿勢は、方向として正しい。しかし、多くの自治体の問題意識のありかたはなお団体自治主導であるといえよう。このばあい、地方分権とはいいながら、地方自治体内における機能主義的・集権的思考はまだ温存される危険性がある。そこには、行政の下請けとしての住民自治イメージが伴いがちである。
 むしろ、地方自治の危機は、ほんらい住民自治の危機だったのであり、この住民自治によって裏づけられ統制されることが少ない団体自治の危機が、ようやく表面化してきたというのが実情ではないだろうか。だとすれば、あらためて住民自治活性化と団体自治改革の相互の道筋を明らかにしていく必要性が生じる。ここでは、地方自治の根幹である地域民主主義の確立とは、地方分権すなわち国から地方自治体への権限譲与であるだけではなく、地域分権の追求、つまり改めて住民自治の確えを追求することでもある、ということを明確にしておくべきであろう。もちろん、ここでは実践主体としての住民の意識や地域社会における意思形成のありかた、さらには経営意識やコスト意識も問われるのである。


コミュニティとアソシェーションの明確な識別を

 これまで多くの自治体は、地域の既存の集団、例えば、自治会、婦人会、老人会等のコミュニティ系団体や、これらの人的基盤を資源として再構成される準コミュニティ団体ともいえる、青少年団体、PTA、福祉団体、防災団体などとの関わりを重視してきた。この自治体行政のアプローチを、後発の集団にも広げていく必要がある。とりわけ局地的な地域性を越え、また鮮明な目的別に結集する傾向があるNPO(Non‐Profit Organization’以下NPOと略)などの民間市民活動は、これらの既存団体の範疇に収まるものではなく、多様な自己表現と自己実現の場、自律活動の場として各所で展開されてきている。
 一方で自治会などの地域団体は、ともすると高齢化し、活動そのものも衰退してきていると言われている。名目的な会員数だけは多いものの、実質的には少数の役員だけによって支えられている地域団体が多く見受けられる。これら多くのコミュニティ系、準コミュニティ系団体役員の多くは、地域社会から選出されてきているが、それにも関わらず団体の性格が現在では実質的にアソシェーション化しつつある。名目的にはコミュニティ団体であるはずの自治会ですら、各種の行政協力機関となったときには制度化したアソシェーション(特定目的性と慣習化)と化してしまう傾向がある。
 基本に戻ろう。地域社会をコミュニティとアソシェーションに分類したのは、社会学者マッキーバーである。彼は、「コミュニティは、社会生活の、つまり社会的存在の共同生活の焦点であるが、アソシェーションは、ある共同の関心または諸関心の追及のために明確に設立された社会生活の組織体である。アソシェーションは部分的であり、コミュニティは統合的である。一つのアソシェーションの成員は、多くの違ったアソシェーションの成員となることができる。コミュニティ内には幾多のアソシェーションが存在し得るばかりでなく、敵対的なアソシェーションでさえ存在できる。(中略)しかし、コミュニティはどの最大のアソシェーションよりも広く自由なものである。それは、アソシェーションがそこから出現し、アソシェーションがそこに整序されるとしても、アソシェーションでは完全に充足されないもっと重大な共同生活なのである。(※2)」と述べている。
 つまり、自由で生活の全体性(総合性)を共有するゆるやかな地域的統合体が地域コミュニティなのであり、一方でアソシェーションを特徴づけるのは部分的(専門的)な「共同の関心」なのである(筆者注参照)。多くの自治体における地域団体政策は、実は統合的・全体的・総合的な「コミュニティ」そのものではなく、コミュニティの部分的機能を対象とするか、その一部成員をもって構成された機能的「アソシェーション」を「公共的な」交渉対象としているといえよう。このように、地域団体と行政との間で、縦割りの関係が部分ごとに形成されていく過程を通じて進行する機能の細分化(アソシェーション化)と人材の分散化が、むしろ地域コミュニティの活力を低下させ、地域社会の再生と活性化を阻害している可能性がある。
 マッキーバーは、コミュニティにおける「地域社会感情(community sentiment)」の存在をも別のところで指摘している(※3)。アソシェーションの部分的な「共同の関心」に対応するのは、鮮明かつ合理的(理性的)な目的意識である。コミュニティの全体的、統合(総合)的な生活性に対応するのは、非合理的、感覚的(感性的)な「地域共同感情」であるといえよう。改めて考えると、ほんらいの意昧でのコミュニティの再生と活性化は、従来のような縦割り型地域団体政策のままでは展望不可能といわざるをえない。

注(※1)阿部斉・新藤宗幸[1997],『概説日本の地方自治』(東京大学出版会)p.19
注(※2)MackIver R.M.[1917],Community,Macmillian,pp.22‐24;中久郎・松本通晴監訳[1975],『コミュニティ』(ミネルヴァ書房)p.47
注(※3)MackIver R.M.&Page C.H[1949],Society,An Introductory Analysis,pp.8‐11及びpp.291‐296を参照。
引用個所は、若林敬子・竹内清訳[1973]「コミュニティと地域感情」『現代のエスプリ』No.68(至文堂)pp.22‐30に収録。

(筆者注)このように、コミュニティとアソシェーションの違いは明確である。にも関わらず、「テーマ・コミュニティ」という用語が一部で使われることがある。特定のテーマが明確に定まれば、それはアソシェーションに他ならず、「テーマ・コミュニティ」という用語は、それ自体が語義矛盾であり、政策的に混乱をもたらすおそれがある。