「まち むら」92号掲載
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災害で地域が孤立しても耐えうる組織をめざす
鳥取県鳥取市・若葉台南6丁目自主防災会
 鳥取市若葉台南六丁目は、一九八九年に分譲が始まり、現在は二百四十七世帯、七百六十四人が暮らす市郊外の閑静な住宅地。住民らで組織した自主防災会はこれまで、シルバー消防隊や婦人消防隊を結成し、炊き出し訓練などさまざまな活動を展開してきた。その成果もあって、順調にいけば今年一月で火災ゼロ六千日を達成する。さらに安心して暮らせる町にしようと関係者は張り切っているが、一方で壁にも突き当たっている。
 自主防災会を束ねる山田義則会長が若葉台南六丁目に居を構えたのは九一年。地区の住民たちは皆よそから来た人たちばかり。近所付き合いどころか、あいさつを交わすこともほとんどなかった。「こんな状況で一から始めるには誰かがリーダーシップをとらなければ」。強い信念で自主防災会を引っ張ってきた。


震災後の神戸市長田区を訪れて!

 死者六千四百人以上を数えた阪神・淡路大震災。JR西日本に勤めていた山田会長は震災直後、転勤で被災した新長田地区を訪れ、足が震えた。見覚えのあるビルや高架は姿を消し、家々や商店が連なっていた町並みは更地になっていた。「一瞬にしてまちは壊滅。この世の出来事とは思えなかった」。今でも惨状が目に焼き付いている。
 震災の犠牲者は、多くが倒壊家屋の下敷きになった高齢者だった。地震の揺れが収まり、復興段階に入った後も高齢者や障害者、持病を抱える人たちが次々と倒れていった。それでも、地域の人たちによる高齢者の安否確認や救出活動はあちこちで行なわれていたという。援助の必要な人たちの名簿などを事前に備えておく必要性を痛感した。
 鳥取県では、災害時に初動対策を担う自主防災組織結成の立ち遅れが目立っている。県内の自主防災組織数は、昨年三月末現在で千九百九十(組織率五三・六%)。全国平均の六一・三%(二〇〇三年)を大きく下回っている。都市化による地域の連帯感の低下、過疎化による人材や資金の不足など各組織で問題は多い。
 そんな中にあって若葉台南六丁目の自主防災会は昨年、「鳥取県西部地震から五年フォーラム」の式典で県知事表彰された。消防庁の「二〇〇五年度地域安心安全ステーション整備モデル事業」の認定団体にも選定されている。「組織自体が形骸(けいがい)化する危惧(きぐ)もあるが、ここは意識がとても高く活動も本格的」と県防災危機管理課は評価する。


婦人、シルバー、レスキュー隊と次々に結成

 「行政を当てにしてはいけない。自分たちの地域は自分たちで守らねば。最後の砦は我々なんだ」。九二年に自主防災会を発足させたのは、そんな思いからだった。しかし、結成当初は消火器を扱う簡単な訓練のみで、「消防署などプロに任せればいい」「素人に訓練は必要ない」―と冷めた見方も少なくなかったという。
 住民の危機意識をどうやって高めればいいか―。自主防災会は模索を続ける中、九四年九月に「婦人消防隊」の結成にこぎつけた。青壮年の男性が少なくなる平日昼間の災害に備えるためだ。九七年一月には六十歳以上の高齢者で「シルバー消防隊」を立ち上げた。放水やバケツリレーのほか、マンホールのトイレ活用、ドラム缶を使った簡易風呂作り、炊き出し、ポンプ車の操作などさまざまな訓練を繰り広げている。
 シルバー消防隊の隊長、松岡節さんは自身の活動に誇りを持つ。「万が一の時は自分たちで何とかしなければならないため、互いの技能を高め合っている。みんなが動くと地域は活性化するし、それが生活を守るための手段。元気でいる限り、まちを側面から支えていきたい」。地域の防災力向上を願う気持ちはこれからも変わらない。
 さらに九九年、成年男性で組織する「レスキュー隊」が結成された。担架を使った搬送や救急蘇生(そせい)法などの本格的な訓練も行なう。隊長の甲山直樹さんは「みんなが一から始めたが、今ではいろんなノウハウを身に付けた。災害で地域が孤立したときでも耐え得る組織にしたい」と意気込む。
 合同訓練は毎年、春と秋、正月の年三回行なう。昨年十月九日の訓練には約五十人が参加し、住民らの勇ましい掛け声が地区に響き渡った。「消防署から遠いため、住民の初期活動が大切。命にかかわることなので全員が加わらないといけませんね」。本庄昭乃さんは、昨年初めて訓練に参加してそう思うようになった。
 非常用発電機、担架、はしご、チェーンソー、油圧ジャッキ…。さまざまな機材を地区で購入し、鳥取市から中古のポンプ車も譲り受けた。訓練の模様や活動内容などを載せた独自のホームページも九月に新設した。さまざまな取り組みを背景に個々の意識は次第に高まり、このままいけば地区は今年一月二十四日で火災ゼロ六千日を達成する。


普段からのコミュニケーションを大切に

 「プライバシーなどの問題があり、地域の人たちの実情を完全に把握することはできない。一体どの家庭の誰が災害弱者なのか」
 一見、活発で順調に見える若葉台南六丁目だが、山田会長はもどかしさを感じている。
 コミュニティが育ちにくいといわれる新興住宅地。名前や住所など必要最低限の情報を盛り込んだ災害弱者マップの作成を考えても、個人情報保護の問題が絡んで完全なものはできない。高齢者や障害者がどの家庭にいるか情報を集めに一軒一軒回ったが、拒否されることも多かった。
 「これじゃあいざ災害ってときに、難しい対応を迫られる。命あってこそ。自主防災は普段からのコミュニケーションが大切だ。もっと地域に出てきてほしいんだが…」
 自主防災会がヒントを求めたのはレクリエーション活動だ。九三年から年二回程度、紅葉の時期はハイキング、四月は花見などを企画し、地区の全戸にチラシを配布して参加を呼び掛ける。「みんなで助け合おうという一体感が徐々に生まれている。隣近所の面識が災害時に大きな力となるはずだ」と山田会長は話す。
 それでも、まだまだ顔を知らない隣人が多いのが現状だ。誰がどんな生活をしているのか。災害時、どこに救助へ向かうか。今誰が避難しているのか―。山田会長らは災害時の想定に焦りを感じながら、懸命に理解を求めている。
 阪神・淡路大震災では、近所付き合いが薄い行政任せの地域は避難所でも互いをいたわり合うことがなく、紛争もしばしばあったという。鳥取大学地域学部の仲野誠助教授(社会学)は言う。
 「近所付き合いのある地域は安否確認や救助活動がスムーズにいった。自分や家族がいつ災害弱者になるか分からないことを考えると、(防災問題に)他人事ではいられないはずだ」 (新日本海新聞編集制作局・田村 彰彦)