「まち むら」91号掲載
ル ポ

最後まで“生ききれる”安心のまちを目指して
兵庫県神戸市・NPO法人福祉ネットワーク西須磨だんらん
 阪神・淡路大震災によって生まれた地域の絆を、10年たった今も大切に守り育んでいる市民団体が、神戸周辺にはいくつもある。自治会活動から生まれたNPOとして知られる「西須磨だんらん」も、その一つだ。


地域で高齢者を見守るシステムの必要性を痛感

 活動の始まりは、震災の前々年にさかのぽる。1993年春、神戸市須磨区の月見山連合自治会福祉部で、高齢者を対象とする「ふれあい食事会」と高齢者福祉を勉強する「福祉学級」が始まった。月見山は神戸の中でも古い町に属し、高齢化が進みつつあることに危機感を抱いてのことだった。
 95年1月18日にも食事会が予定されており、福祉部の日埜昭子さん(現・「西須磨だんらん」事務局長)らは前々日から会場の自治会館で、赤飯用の小豆を水に漬けるなどの準備をしていた。そして、17日早朝に起こった未曾有の大地震。4日後、何とか倒壊せずに済んだ自治会館に入ってみると、食器類などが散乱する中、鍋の小豆は無事だった。これを使ってぜんざいを作り、被災者にふるまった。
 その後、福祉部が行なったのは、「家が少々傾いているくらいなら、避難所より自宅で暮らしたい」「障害があるので避難所では迷惑をかける」という在宅の高齢者への配食活動だ。救援物資や炊き出しは、避難所や仮設住宅にしか届かない。家で心細く過ごしている人にこそ、食事を届けることが必要ではないか――そう日埜さんは考えた。この経験が、地域の中に高齢者を見守るシステムの必要性を痛感させることになる。


福祉のまちづくりの映画をきっかけにNPOを設立

「西須磨だんらん」の発足までには、なおいくつかの要素が絡んでいる。その第一は、95年4月にオープンした特別養護老人ホーム「あいハート須磨」。地域の人々が、デイサービスやシーツ交換などのボランティアとしてホームと交流するようになった。翌96年秋には、「あいハート須磨」と月見山連合自治会福祉部の連携により、地域の高齢者宅への配食サービスが始まった。
 第二は、やはり95年の10月に発足した「西須磨まちづくり懇談会」。地元では震災前から土地区画整理事業が問題となっていたが、神戸市は震災を受けて計画を変更し、数十年前に決定したままとなっていた都市計画道路須磨多聞線を街路事業として認定した。突然の事態に反発した住民側は、代替案を用意するとともに、「震災復興のまちづくりはハード面だけでなく、福祉や環境を含めて考える必要がある」と、懇談会を立ち上げた。
 そして第三は、県と市の震災復興事業として地域のネットワーク活動支援のために設立された「フェニックスステーションにしすま」。ここで97年9月、「住民が選択した町の福祉」(羽田澄子監督)の上映会を催した際に、「高齢者が安心して暮らせる福祉コミュニティづくりを目指し、在宅福祉を支えるNPOをつくろう」と呼びかけた。これに応えた約30人が中心となって、98年5月10日に「福祉ネットワーク西須磨だんらん」が設立されたのである。その後2000年10月には、NPO法人の認証を取得した。


サービスの利用者と提供者の対等な関係を重視

 「西須磨だんらん」の最も特徴的な事業は、有償・会員制で運営する「在宅福祉サービス活動」である。サービス内容は、掃除、庭仕事、力仕事、料理、見守り、話し相手、外出介助、通院介助、食事介助など。利用料は1時間800円(05年7月までは600円)で、このうち600円(同500円)は実際に仕事をするワーカーに支払われ、残る200円(同100円)がだんらんの収入となる。ボランティアではなく、営利事業でもないという位置づけで、これはサービスの利用者と提供者が対等な関係を結べるようにというのが大きなねらいだ。この活動は団体設立当時から続けられており、2年目以降は年間の活動時間が2000〜3000時間で推移している。
 このほかにも、多彩な活動が展開されている。ワーカーに対する研修では、車椅子実習、家事援助と調理などのほか、定年退職後何か地域活動をしたいという男性等を対象とする「地域デビュー講座」なども。「大切なのは相手を思いやり、相手の立場に立てること。調理の研修でも、おいしいものを作るのではなく、いかに利用者さんの希望する料理を作るかを心がけるよう伝えている」という。また、前述の「あいハート須磨」でのボランティアや配食サービス、神戸市からの受託事業として実施する生きがい対応型デイサービス「稲葉サロン」、稲葉プラザふれあい協議会から受託している同プラザの運営管理や、同プラザ内でのふれあい喫茶「ぷらら」の運営など。
 月見山連合自治会は、協力団体として「西須磨だんらん」に助成金を出し、自治会報でもその活動を随時取り上げるなど、積極的に支援を行なっている。一方、「西須磨だんらん」でも、自治会加入者には入会時の登録料を免除するという形で報いている。


トータルケアを目指し介護保険事業にも参入

 日埜さんの母親は、約20年前にがん性肋膜炎で亡くなり、その4年後に亡くなった父親は、晩年認知症(痴呆)に見舞われた。いずれも最後は自宅で介護し、「どんな治療よりも家族の愛情がこもった一杯のスープの方が本人には幸せ」「遠くの親戚よりも近くの友人」を実感したという。また、「自分が年をとったときにもここで暮らしたいと感じられるような町にしたい」という思いが募り、有志による絵本の読み聞かせや自治会活動に携わるようになった。
 「同じ地域に住んでいるからこそ、分かり合えることもある」からと、向こう三軒両隣の関係を重視し、自転車で行ける範囲内での活動にこだわる。ただそれだけに、利用者のプライバシーを厳守することは、お互いの信頼関係を維持する上でも非常に大切なポイントであり、ワーカーには利用者の個人情報に関わることを一切口外しないよう徹底している。
 「西須磨だんらん」の活動は、介護保険導入後は制度でカバーできない部分を補ったり、介護保険のメニューにあっても回数が限られているサービスを補完する役割を果たしてきた。しかし、制度の枠内か枠外かにとらわれず、各個人の状態に合ったトータルケアが重要との考え方から、来年度以降には介護保険事業にも参入する予定だ。「地域に住む人同士、お互い助け合って、住み慣れたところで誰もが安心して暮らし、最後まで生ききれる福祉コミュニティ作り」を目指すという設立理念は、今後ますますその輝きを増していくに違いない。