「まち むら」90号掲載
ル ポ

わがまちの私鉄沿線が菜の花鉄道になる日を夢見て
島根県出雲市・特定非営利活動法人菜の花鉄道をつくる会
大正時代初期、地元で生まれた小さな鉄道

 カタタン…、カタタン…。2両編成の心地よい列車の揺れに身を任せていると、ふと我を忘れてノスタルジックな世界に惹き込まれそうな感覚におそわれる。
 車窓には、日本で7番目に大きい湖「宍道湖」の景色がしばらく続き、白布を広げたような湖面に、水鳥が波際すれすれに飛んでいる。遠く、対岸に聳えるなだらかな山々。早朝にはシジミ漁の船が湖に幾艘も浮かび、水墨画のような風景が流れていく。
 まばゆい水の煌めきは、やがて平野の築地松の景観に移る。出雲平野独特の家を囲むようにして鍵状に聳える松の立ち木が、田園風景によく馴染み、昔ながらの出雲地方の暮らしを思わせる。
 そんな景色を楽しめる私鉄ローカル線の一畑(いちばた)電車は、中国地方の北側に位置する島根県の松江市と出雲市42.2キロメートルを結んでいる。
 一畑電気鉄道株式会社は、1912年(明治45年)に地元平田で創設された一畑軽便鉄道を前身に、大正3年3月から出雲今―雲州平田間で営業を開始。地方経済の振興や地域開発の役割を担ってきた。1928年(昭和3年)に松江が、その2年後に大社が運輸開始。通勤、通学の足として、また総本山である平田の一畑薬師や出雲大社へ参詣客を運ぶなど、さまざまな歴史を刻んできた。
 かつては年間約589万人の乗客を乗せて走った時代もあった。が、道路網の整備とマイカーの普及により昭和42年のピークを境に年々減少の一途をたどり、昨年は年間161万人に。そのため昭和48年、島根県と出雲市・旧平田市、旧大社町・松江市で構成した「一畑電車沿線地域対策協議会」が結成され、運行維持のために毎年、2億数千万円の補助金を交付。約30年にわたり、赤字ローカル線の危機を背負って走り続けている。


レトロ列車デハニ形車両で沿線の菜の花観察

 2005年4月8日。その日は、車内に子ども連れの家族や夫婦、若者30人の軽やかな笑い声や明るい歓声が響いていた。参加者が乗車する「デハニ53号」は、昭和3年製のレトロ列車。オレンジ色の車体の中はお座敷に改装されていて、団体の観先客やイベント用に走っている人気列車だ。
 この日は、「菜の花ウォーク デハニでGO!」と銘打ったイベントが開催された。企画を発案したのは、この5月にNPO法人に認証された「菜の花鉄道をつくる会」(馬庭崇一郎代表、会員27人)。一畑電車の沿線を満開の菜の花にし、電車の利用促進、地域の活性化につなげていこうと発足した。
 この度のイベントはその第一弾として企画され、出雲大社駅からお座敷列車に乗り込み川跡駅で下車。沿線ウオークを楽しみながら会員同士の交流を深め、菜の花による活性化策を語り合うというものだった。
 そのプログラムに、昨年の10月、一畑電車の協力を得て沿線の川跡―高浜間2.5キロメートルの区間に試験的に蒔いた菜の花の開花の観察があった。列車に乗った参加者は、出雲平野が広がる車窓に目をやった。列車の運転手は、種を蒔いた区間に差し掛かると列車をゆっくりと走らせた。やがて「あった!咲いている」と子どもたちから口々に歓声があがった。しかし、菜の花は誰の目にもまばらに映るだけだった。
「沿線にキレイに咲くイメージで種を蒔いたのですが、結果は寂しいものでした。一部まとまって咲いただけで、ほとんど育ちませんでした。原因として、土の性質と菜の花の品種の相性などが考えられます。これを解明し、キレイに咲かせることが今後の課題です」と馬庭崇一郎代表。へこたれる様子など微塵もない。


NPO法人菜の花鉄道をつくる会の創立

 そもそも馬庭さんが「菜の花鉄道をつくる会」を立ち上げようと思い付いたのは、昨年の初春だった。たまたまラジオで“菜の花プロジェクト”についての放送を耳にし、その年の春、出雲市内の畑の周囲に咲く菜の花を見て、あらためてきれいだと感じたという。「意外と長い期間咲いているんです。この菜の花が線路沿いにずっと咲いていたらきれいだろうなあと、想像しました」と、夢の始まりのきっかけを振り返る。
 3年前に父親が急逝し、出雲で営む家業の農業生産法人を継いだ馬庭さんの胸には、「農業を中心に社会に貢献」という理念があった。それが菜の花によるまちづくり、一畑電鉄の利用増による地域活性化と1つになったというわけだ。
 そして折しも、一畑電車の沿線を菜の花で一杯にするという夢を抱き始めたころ、しまね産業振興財団主催の「しまね起業家スクール」を受講。講師から「夢しか実現しない」と教わった馬庭さんは、実現という列車に「夢」を乗り込ませ、力強く発車させたのだった。
 そうして出発した「菜の花鉄道をつくる会」の“菜の花鉄道プロジェクト”は、何より花を咲かせて人に見てもらうところからスタートだ。そして一畑電車の商品開発、新しいサービス、観先客の利用促進などの企画の立案をするという。ただ花でいっぱいにするだけでは、沿線は元気にならないからだ。そこに人が集まり経済効果が生まれ、利用客が増えて初めて地域が活性化し潤う。
 NPO法人にしたのも、任意団体ならばボランティア団体としての活動に過ぎず、法人化することで必ず成果を出すという目標を明確にするためだ。さらに、電鉄と対等な立場でプランを立て実行することで、社会的に認知されるためでもある。
 一畑電気鉄道株式会社鉄道部の吉田仲司運輸営業課長は、「全国的に、地方の公共交通機関の状況は厳しく、残していくのかどうかは、地元にかかっています。こうして住民から草の根的な活動をしていただけることはとてもうれしいこと。できることは、こちらからも協力します」と、共に活動に参加する前向きな姿勢を見せる。


風に揺れる花の中を走り抜ける鉄道を夢見て

 この6月25日には、「菜の花鉄道をつくる会」がNPO法人として認証されたことを記念し、「菜の花に夢を乗せて〜地域で楽しく使って、一畑電鉄の活性化をみんなで考えよう〜」をテーマに、島根県民会館の会議室において活動報告会とパネルディスカッションが開催された。沿線の美しい菜の花で知られる、千葉県のいすみ鉄道株式会社の鉄道部長、また出雲市平田支所長などをパネラーに迎え、一畑電鉄を存続させ活力を注ぐことができるかについての討論が展開された。
「とにかく、地元の人たちが楽しめる鉄道になれば、観先客も自ずと増えるはずです。一畑電車を単なる輸送手段だけでなく、いかにエンターティーメントとして活用していくかという要素を加えることが大切なポイント」と、馬庭代表は、静かに熱く語る。
 今年は、10月に約120名のボランティアを募集し、一部線路脇に菜の花の種蒔きが予定されている。と同時に、減反政策、担い手不足により荒廃した沿線の休耕田にも種を蒔き、農地の保全を図ることも目指す。
 一畑電鉄の廃線論議が始まって約30年。しかし、廃線にするわけにはいかない。
 多くの歴史を刻み、ただ単に人を運ぶだけでなく、宍道湖や出雲平野などの美しい自然を車窓から見せてくれる地域の財産を、菜の花でいっぱいにして存続させたい。「夢」は、実現するためにある。