「まち むら」90号掲載 |
ル ポ |
知的障害への理解を進め、地域と手をつなぐ |
千葉県市川市・市川手をつなぐ親の会/権利擁護委員会 |
地域にはいろいろな人が暮らしている。そのなかにはさまざまな障害をもつ人もいる。知的障害もそんな障害のひとつ。しかし、身近に暮らしている知的障害者がどんな毎日を送り、その家族がどんな思いを抱いているかを知る人は少ない。あなたも、わたしも…。 地域で暮らし続けたい 「知的障害者のことを知ってください」 千葉県市川市の各地区でこんなチラシが掲示板に貼られ、回覧板でめぐるようになって3年がたつ。活動を続ける「市川手をつなぐ親の会」は1953年、知的障害者の親たちが結成した。以来、子どもたちが生活し、働く施設の建設に力を入れ、これまでに2つの社会福祉法人を設立し、6つの地域作業所や5つの生活ホームなどを運営している。 2003年に支援費制度が創設され、知的障害者への外出支援サービスが始まった。施設に入所するのではなく、どんな障害があっても地域で暮らし続けていく。長く提唱されていた理念を実現する最初のサービスが制度化された。親の会では「権利擁護委員会」(pai〈プロテクション&アドボガシーいちかわ〉)を結成。知的障害の理解を進める「地域プロジェクト」を開始する。 地域との出会いは、用意されていたかのようなタイミングで訪れた。市川市が地域福祉計画を策定するにあたり、7地区24グループで地区懇談会を開催することになった。約50人の会員が自分の住む地区の懇談会に参加し、子どもの生活について説明し、ずっと地域で暮らしていきたいという思いを語った。 「福祉の分野以外の人に話をするのは初めてだったので、とても緊張しました。だからこそ、熱心に開いてくれ、理解してくれたときの喜びは格別でした」 paiの竜円香子さんはこう振り返る。福祉の枠を飛び出し、地域の人々に直接語りかける。それは半世紀にわたる活動を通して初めてのことだった。 地域に働きかける 地区懇談会に参加した会員たちは、熱心に耳を傾けてくれたことに勇気を得ると同時に、知的障害について知らない人が多いことも知った。 「私たちが地域の人たちに望むのは、子どもをあたたかく見守って、近所で見かけたらあいさつしてほしい。それだけなんです。子どもに声をかけてもらう。それだけのことが親にとってどれはどの喜びか。それは障害をもつ子どもの親でないとわからないかもしれません」 そんなささやかな望みがなぜ叶えられなかったのか。それは市民に向けて発信してこなかったことにも原因があるのではと自問した。自ら地域に働きかけることの必要性を痛感した会員たちは、地区懇談会で存在を知った民生委員を次のターゲットにすえる。今度は民生委員が地区ごとに開く定例会で30分の時間をもらい、学齢期の子どもをもつ若い母親たち延べ70人が聴衆の前に立った。 「ふつうの子よりはゆっくりと成長しているからこそ、小さなできごとがうれしい。たいへんなこともあるけど、子育てが楽しい。どのおかあさんもそんな思いを伝えたいし、それを伝えることが子どもの生きやすさにつながることがわかっているから一生懸命なんです」 その懸命さが聞く人の心を打つ。民生委員のなかには発表に感動し、その経験を子育てに悩む他の母親たちの役に立てたいという人もいた。この出会いをきっかけに、各地区で会員と民生委員との交流が始まった。 医師が変わり始めた paiでは、地域プロジェクトを開始するにあたり、警察、医療、商店街・コンビニ、就労、交通など、地域生活を送るうえで不可欠な9項目についてアンケート調査を行なっている。そのなかで会員が最もつらい経験を書き綴っていたのが医療の分野だった。「親のしつけが悪い」と非難され、「うちには来ないでくれ」と診療拒否に遭った人も少なくない。会員たちはそれでも子どもに治療を受けさせるためにと、だまって耐えていた。 竜円さんは、市川市の地域福祉計画の策定委員会で同席した医師会長に、勇気をふるってそのアンケート結果を手渡した。ここから医師会との連携が始まる。さっそく親の会との懇談会が計画された。参加した医師たちは、親たちが語る耳の痛い経験談にも熱心に聴き入った。ある小児科医は、「白衣が怖いなら脱いで診察します。診察室がいやなら待合室でも診ます。それでもだめなら家に伺います。そうやって家庭と連絡をとりながらやっていきましょう」と呼びかけた。親たちは医師に働きかける重要性を実感する一方で、子どもの障害を受診前に医師に伝える必要性にも気づく。 医師会と親の会ではこれまでに2回の医療セミナーを共催。その成果は医療機関向けのパンフレット「知的障害のある人を理解するために」と、受診する前に障害の特徴を伝える「説明カード」の配布に結びついた。この取り組みは全国的にも注目され、他の市町村でも親の会と医師会との連携を促すことになった。 地域で生きる自信がついた ひとつの出会いが次の出会いへとつながっていく。これまでの活動で手ごたえをつかんだ会員たちは、地域そのものへの働きかけを開始する。2003年、養護学校のある真同地区で「ご近所プロジェクト」が始動した。ここでも活動の中心は若い母親たち。そして新しく、知的障害をもつ本人の発表も加わった。 「毎回が感動の連続なんです。小さな和室で地域の人たちと向き合い、わかり合う。それは奇跡というか、夢のような光景です。泣いちやいけないことになっているんですが、発表する若いおかあさんたちも、聞いている私も、地域の人たちも思わず涙を流している――」 勇気をもって扉を叩いてみたら、どの扉も驚くように開いていく。民生委員も医師会も、そして地域も―。新しい地域作業所ができた入船町では、地域の一員として自治会活動をしてほしいと夏祭りへの参加を呼びかけられ、今年は自治会費の徴収を担当することになった。稲越小学校は地域作業所のために空き教室を提供した。 「この活動に取り組むまで、私たちにとっての地域は市川市という行政であり、地域での活動は行政に福祉サービスの充実を求めることでした。でも、子どもたちが地域で生きていくためには、もっと小さな地域でお互いを知ることが必要だったんです。そして、活動を始めたら、こちらが変わる前に、地域の人たちのほうはとっくに変わっていたんです」 地域も変わったけれども、自分たち自身も変わったと竜円さんは続ける。多くの母親たちは発表を前に子育てを振り返ることで子どもへの愛情を再確認し、その思いが多くの人に受け入れられたことで地域で暮らしていく自信を得た。子どもたちが地域で安心して生きていくためにはまだまだ多くの課題がある。しかし、地域と手をつなぎ始めた親たちは、そんな課題をひとつひとつ解決していくことだろう。 |