「まち むら」90号掲載
ル ポ

永遠にイトウの棲める川を残そう「イトウの里づくり」に挑む
北海道猿払村・猿払村商工会青年部
神秘の営み 生命の誕生に感動

「シッ。静かに」
「もうすぐ産卵だよ」―。
 日本の最北端、稚内市に隣接する猿払(さるふつ)村。無限に広がる湿原の奥深く、一面クマザサに覆われた小さな沢で、今しも幻の巨大魚・イトウのペアが生の営みを展開している。雄雌とも1メートルあまり、雄の下半身は真っ赤な婚姻色、雌は淡いピンク。雌が体をくねらせて川底に産卵床を掘り終えると、やがて2匹はそっと寄り添い、新しい生命誕生の瞬間を迎えた。
 残雪がまだ川辺や林地に散在する5月上旬。氷点下に近い凛とした寒気の中で繰り広げられた神秘の営み。その光景を目のあたりにして、この魚の保護活動を展開する村商工会青年部の面々はいい知れぬ感動に胸打たれ、「やっぱりこの魚が永遠に生息できる環境を残さなくちゃ」、の思いをひとしお強めた。


一寒村とイトウの関係

 猿払村は札幌市からJRで5時間、さらにバスで2時間の日本最北の村。面積は約600平方キロメートルと、村としては北海道一広いが人口はわずか3000人足らず。酪農とオホーツク海での地まきホタテ漁が主産業だ。地名はアイヌ語の「サラ・プツ(カヤの生えた河口の意味)」からきた。村の大半が泥炭の湿原で、宗谷丘陵に源を発する猿払川など6本の河川が蛇行しながらオホーツク海に注ぐ。河口には湿原特有のカヤが一面に生い茂り、地名の由来を物語る。
 一方イトウはサケ科の一種で、成長すると1.5メートルにも達する日本最大の淡水魚。かつては青森県あたりまでいたが、開発や乱獲、川の汚染でほとんど姿を消し、今では北海道、それも道東、道北などの極く一部の湿原河川や湖沼でしか見られなくなった。釣り人垂涎の“幻の魚”である。漢字で「魚」偏に「鬼」と書く。字の通り、かなり擦猛で、小魚からカエル、ネズミまで餌とし、伝説ではウサギやシカまで飲み込んだといわれる。しかし川中では食物連鎖の頂点に立っていて環境の変化には極めて敏感で、近年はその存在自体、自然生態系の豊かさを示すもの、と評価されるようになった。北海道もその貴重さを認識し、先年、レッド・データの絶滅危機種に指定し、保護の方策を検討し始めた。
 このイトウが、猿払周辺の河川に自然産卵から生育まで、全く自然のまま生息しているのだ。自然が、いかに豊かに残っているかの証左といえよう。


保護に立ち上がった商工会青年部

 その猿払にしても次第に開発の手が進み、イトウの生息環境が犯され始めた。
 この“幻の魚”を守ろうと立ち上がったのが村商工会青年部(当時の部長は小山内浩一さん、部員16名)。平成11年、青年部発足30周年の記念で、「何か、イトウに焦点を当てた事業をしてみようや」と、考えたのがきっかけだった。以采6年あまり。魚を知る学習からスタートし、専門家を招いての生態研究、現地観察、シンポジウムの開催、村民や釣り人への保護キャンペーン、少年エコクラブの発足、河川の清掃・植樹、小ダムヘの魚道設置などエネルギッシュな活動を繰り広げている。
 冒頭の産卵シーンも、村内の親子に呼びかけて行なった産卵現場観察会の1コマだ。
 もっとも活動は、初めからこんなにカッコいいものではなかった。
 最初は、「イトウ釣りダービーでもやって人を集め、金を落としてもらったら」まで話はいった。しかし、「それでは、イトウがいなくなってしまう」などの反論が出て振り出しへ。
 「じゃ、その前にイトウについて勉強してみよう」ということに。
 勉強を始め、研究者や釣り人、他地域の保護団体などから話を聞き、調べているうち、この魚がいかに貴重な存在であるかがわかってきた。絶滅に瀕し、生息地は道内でもほんの少し、まして自然のままの産卵場所が残り、1メートル以上の大物が生息するのは猿払近辺だけ。それを守るには魚だけでなく、魚の棲める環境全体を守らなければならない―等々。
 ここに来て発想は大きく転換、「いつまでも天然のイトウが釣れる川を残そう」をテーマにした「イトウの里づくり」に切り替わった。
 このころの親組織・商工会や村役場、多くの村民の反応は冷やかだった。「害魚のイトウを守ってどうするんだ」「青年部は商工会のことをしていればいいんだ」……。部員の中には土建関係者もいてこの活動をやれば仕事に差し障りが出る人もいた。しかしイトウを知れば知るほどその価値の重さを実感し、指本泰樹現部長以下全員が「オレたちがイトウの棲めるふるさとを守らなくてだれが守るんだ」の信念に燃え、活動展開の結束を固めていった。


貫く「THINK・GLOBALLY ACT LOCALLY」(地球規模で考え、地域的に行動する)の思想

 この間の考えを、小山内元部長と次期部長を務めた梁田徳雄前部長は「イトウを守るためにはその生息環境すべてを守らねばならない。つまり豊かな森林、きれいな水、自然産卵のできる川。これを残すことが回り回って地域おこしにつながり、強いては北海道の、日本の、地球の環境を守ることになると思う」と述べる。スジが一本通っている。
 ところでここの活動には1つの特色がある。普通、魚の保護では釣り人を目の敵にして締め出すのが一般的。ところが猿払では、協力者として仲間に加わってもらっているのだ。「釣り人だっていつまでも釣りを楽しみたいはず。川の様子や魚の増減などをよく知っている。協力してもらって、どうしたらイトウが永遠に生き続けられるかの知恵と情報を寄せてもらい、共に守ってゆこう」―つまり。“環境モニター”の役割を担ってもらうわけだ。そのために今春、「イトウの会(会長・小山内元部長)」を立ち上げ、釣り人にも会員になってくれるよう呼びかけている。こうした動きに釣り人たちも呼応し、釣って放す。“キャッチ・アンド・リリース”が徹底し、川周辺のゴミもぐんと少なくなった。
 一方、最初は「そのうちやめるさ」と冷めた目で見ていた村の人たちも、熱心な活動に揺り動かされ、勉強会や現地観察の参加者は次第に増え、イトウを守る大切さに目覚めてきた。また活動を次の世代へ引き継ぐために昨年、小学生を中心に作った“エコグリーンクラブ”のメンバーも増え、現地調査にも積極参加している。その1人で、村立芦野小6年、小泉健太君は「青年部の人たちがやっていることはすごく立派だと思う。僕も勉強して、大きくなったらイトウを守るお手伝いをしたい」と目を輝かす。青年部の思いは、着実に次の世代にも伝わっているのだ。


将来は「イトウの里」ブランドの牛乳とホタテの売り出し

 活動は緒についたばかりで、「やることはまだいっぱいある」と小山内会長の情熱は熱い。「当面の目標は3000村民の大半に、イトウの棲むこの地の貴重さを理解してもらうこと。できればそのことを踏まえて、村で産する牛乳とホタテに、『イトウの里』産のブランド名が冠されて出荷されるようになれば最高」――。活動各組織の事務方を務める青年部の岡本昌孝事務局長らは、でっかい夢を膨らませている。