「まち むら」89号掲載
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「わが地区の誇りは小学校」を合言葉にした里山づくり
福島県石川町・中田区
 石川町は福島県の南部・阿武隅高地の西側に位置し、里山に抱かれた人□約1万9千人の町である。この町は明治期、吉田光一、河野廣中らによる自由民権運動発祥の地として名高い。
 石川町には現在42の自治会があるが、「中田区」は、隣りの古殿町に接した山間の地区である。中田区は人口約800人(175世帯)で、面積約120ヘクタールのうち約65%を山林が占める典型的な里山地区。農林業を主とした小さな集落だが、明治以来、小学校(石川町立中谷第二小学校)を地区内に維持していることが誇りである。


学校を中核とした地域づくり活動

 中谷第二小学校は、明治7年に旧中田村(現在の中田区)が真言宗浄明山観照寺を借りて発足したのが前身である。いわば、寺子屋がこの地区の子育て教育のスタートだが、その後、明治22年に合併によって中谷村立となった。しかし、大正2年に火災で焼失。このとき、小規模校の統廃合問題が議論され、隣接地区の中谷第一小学校との統合が村議会で議決された。この議決に対して、当時の旧中田村民は猛反発して、中谷第二小学校の存続を勝ち取った。以来、この小学校は、この地区の心の拠り所となり、自治活動の拠り所ともなっている。
 旧中田村は明治の大合併で「中谷村」となり、昭和の大合併で「石川町」と変遷したが、自治区としての「中田区」は維持され、その拠り所としての小学校が旧村民の熱い思いに支えられ、今日まで維持されてきた特異なケースと言えよう。もともと、石川町は伝統的に教育機関を自治の中核に据える考え方があるように思われる。わずか1万9千人の小さな町で、たびたび高校野球の甲子園出場を果たしている学校法人石川高校と県立石川高校の2校があるのは、福島県内の同規模の町では石川町が唯一である。自由民権運動発祥の地としての魂が現代に息づいているのであろうか。
「平成の大合併」では、小さな自治区の存続と運営が課題となっているが、その先進例としても中田区の活動は注目されよう。
 ともあれ、昭和62年(1987年)に石川町では中谷第二小学校の移転・改築計画を打ち出した。敷地の狭さと校舎の老朽化が理由である。おりしも、少子高齢化社会の時代にあって、移転・改築は学校の統廃合に直結するのではないか、と考えた地区民たちは自治会(中田区)内に「中谷第二小学校改築促進委員会」を発足させ、地区住民が一丸となって取り組んだ。
「学校が亡くなればこの地区もなくなってしまうという危機感があった」と、当時のPTA会長であった近内並立さんは振り返る。ちなみに、中田区では昭和の時代から就学児童の有無にかかわらず自治会員のすべての人がPTA会員となり、自治会長がPTA会長を兼務することになっている。近内さんは当時、自治会長(中田区長)であり、PTA会長でもあったのである。それだけ、この地区では次代を担う子どもたちへの愛情が殊のほか深い。
「地区のほぼ中心に共有地があったので、これを無償提供して移転・改築の合意を得ることができました」(近内さん)という。同委員会では、「この地区の資源を生かした町内一の学校を作ろう」と、校舎内部は本の香が漂う木造とした。また、「複式学級にはしない」という目標を掲げ、地域ぐるみで取り組んだ。
 現在の制度では、2学年合わせて16人以下の児童数になると複式学級に移行する。複式学級の学校は、統廃合の対象になりやすいので、同委員会では核家族化した地区出身者の呼び戻し運動に取り組んだ。その結果、数家族が中田区の実家にIターンして、その児童が中谷第二小学校に通学し、複式学級化を免れたこともあったという。
 このような取り組みが実り、中谷第二小学校の児童数は平成3年(1991年)の移転・改築時の69人を皮切りに、現在までほぼ60人の児童数を確保して複式学級化を免れてきたのである。
 平成9年(1997年)すでに校舎の移転に伴う関連施設(プール、体育館など)整備もすべて完了して、10年間に及んだ「中谷第二小学校改築促進委員会」の活動も終了した。
 この活動を通して、住民有志による地域づくり団体「自遊工房」が生まれた。自遊工房では、海外から一流の演奏者を招聘してクラシックコンサートを小学校体育館で開催するなど、学校と連携した活動を展開してきた。また、良質な木炭を生産できる炭焼き窯を開発して、東北・関東地方を中心に木炭産業に大きな影響を与えた中田区出身の大竹亀蔵氏(大竹式炭窯)の顕彰を行なったり、地区内の巨木調査などの活動を展開してきた。


地域活性化に向けて持続的に活動

 中谷第二小学校改築促進委員会が発展的に解消後、「ささらの郷づくリ委員会」と名を変えて走域づくリ活動が継続された。中田区には江戸時代から三匹獅子、神楽奉納舞五種、余興五種(総称して「中田のささら」という)が伝承されている。この民俗芸能を次代に伝えていこうと、うつくしま末来博覧会や福島県民俗芸能大会なとでの発表を行なってきた。
「学校と連携して、総合学習に取り入れ、中田のささらを子どもたちに伝承する授業も行ないました」(佐々木光治中谷第二小学校校長)と、学校も地域ぐるみでの教育に取り組んでいる。
 このほか、同委員会では学校入□の小高い丘に「大竹式炭窯」の実物大模型を設置して、子どもたちへの「ふるさと伝承」や、親子での地区内の「巨樹・古木めぐリ」などの活動を展開してきた。
 こうした活動は現在に引き継がれ、歴代自治会長経験者や各種団体の長で構成される「中田郷活性化委員会」による地域づくり活動が展開されている。
「当地区には景勝地でもある共有他のブナ林がありますので、この貴重な資源を生かした里山づくりに力を入れています」(大竹芳節中田郷活性化委員会委員長)という。
 同委員会では、中谷第二小学校や県立石川高等学校などと連携して、ブナ林を生かした里山づくり活動に力を入れている。
「玉山復元の活動は、地域の高齢者が中心となっています。里山づくりは、元気なお年寄りを生み出す素になっています」(塩田寿男中田区長)という。
 ただ、今後の課題も多い。中田区の高齢化の波が押し寄せてきており、長年保ってきた小学校の児童数も数年後には減少に転じると予測されている。
「さらに地域資源の掘り起こしに努力し、それを活用した体験学習プログラムを開発して都市との交流を図っていきたい」(瀬谷寿一中田郷活性化委員会事務局長)という。
 市町村合併の波が押し寄せる中で、中田区の伝統的な自治が守れるかとうかは、今後とも学校との連携がカギを握っているようである。