「まち むら」88号掲載
ル ポ

自前の財源確保で自立歩む
鹿児島県串良町・柳谷集落
 九州最南端に突き出した鹿児島県大隅半島のほぼ中央に位置する串良町柳谷集落。130世帯、約300人が暮らすありふれた過疎の「むら」だが、休遊地を活用したサツマイモの生産、土着菌を使った集落環境の改善や環境保全型農業の推進、プライベートブランド(PB)焼酎の開発などの活性化策に集落民が総出で取り組み、集落独自の財源を造成。それを使って高齢者福祉や青少年育成に踏み込んだサービスを展開している。行政に頻らないという住民の主体的な活動は財源確保にとどまらず、集落内のコミュニケーションを再生し、集落の一体感を高めている。


自主事業支える労働奉仕

 同集落の大きな特徴は、自主事業のほほすべてを集落民の労働奉仕が支えている点にある。とくにサツマイモの植え付けや収穫の光景は壮観だ。老若男女100人以上が早朝から一斉に畑に出てともに汗を流す。土着菌を生産する「土着菌センター」や集落の歴史を紹介する「お宝歴史館」など集落が独自に整備した施設も、大工経験者らのボランティア活動でまかなわれた。
 柳谷集落を「自立自興の精神」を持つ集落に育て上げたキーパーソンは、1996年から柳谷自治公民館長を務める豊重哲郎さんだ。
 豊重さんが、過去例のなかった55歳の若さで同集落の舵取り役を任されたとき、集落の高齢化率は30%を超え、活気を失いつつあった。戸数の4分の1が肉用牛農家ということもあって、牛のふん尿の悪臭が漂うなど生活環境も悪かった。
 「このままでは集落はじり貧だ。集落民が往んでいてよかったと実感できる。また、外部の人から見ても住んでみたいと思わせる集落にしていかなければ」。豊重さんは攻めの集落運営を決意した。
 しかし、活性策を講じようにも財源がない。当時、自治公民館の財源は、串良町から年45万円支払われる事務委託料しかなかった。


最大の財産、高齢者を生かす

 何とか自前の財源を持ちたい。そのために生かしうる集落の潜在能力は何があるか。検討を重ねた豊重さんが最終的にたどりついたのが、集落の最大の財産は人であるという結論だった。
 それも集落の3分の1を占める高齢者だ。豊重さんは「生産活動に対する高齢者の経験や技術にはわれわれ若い世代は遠く及ばない。ふと集落を見回すと農業から建築まであらゆる部門で一芸に秀でた人がそろっていた。この人たちが力を発揮できる場を整えていきさえすれば、必ず地域づくりの核になると確信した」と振り返る。
 豊重さんが自主財源にとまず考えたのは、耕作が放棄されている休耕地を使ってのサツマイモ生産だった。できたイモをでんぷん工場に販売して軍資金を獲得する狙いだ。ただ、ここでこだわったことがある。生産は集落民の労働奉仕をお願いするが、決して参加を強制しないことだ。上からの押し付けでは真に地域を愛する気持ちは生まれないとの判断からだった。


集落変えた広場づくり

 そのため豊重さんは、集落民の自主参加の機運をいかに自然に高めていくか、ということに意をはらうことになった。まず提案したのが、集落民だれもが利用できる活動拠点を集落民自身の手でつくりあげること。集落の中心部にはかつてでんぷん工場があった町有地があり、荒れ地のまま放置されていた。町に掛け合ってその土地を無料で貸してもらい、有線放送で集落民に労働や資材の提供を呼びかけた。豊重さんらわずかな有志は高さ2メートルにも生い茂った雑草の刈り取りから始めた。休日ごとに汗を流す隣人の姿を見て「自分にも何か手伝えることはないか」と協力を申し出る集落民が次々に現れた。労働奉仕ができない人は、代わりに資材の提供や金銭の寄付を申し出た。
 着手から2年後、完成した広さ20アールの「わくわく運動遊園」には集落民一人ひとりが何らかの形で関与していた。使った資金は唯一専門家がいなかった電気工事費の8万円だけ。「落成式では自分たちが成し遂げたことに皆感動していた。私にも集落民にも『やればできるんだ』との自信がついた」と豊重さん。「行政お任せ主義」に慣れきっていた集落の転機だった。
 自信を付けた集落民は次のステップのサツマイモ生産にも積極的に参加した。アイデアマンの豊重さんはここで一計を案じ、イモづくりの責任を集落の高校生に任せた。農作業に慣れない高校生をお年寄りがてきぱきと手助けすることで、高校生は高齢者に対し敬意を持つ。高齢者も普段なかなか顔を合わせない高校生と触れ合うことができる。協同作業が、希薄になっていた世代間のコミュニケーションを復活させることにつながった。


育英資金設立も視野

 その後、柳谷集落は集落内の家畜ふん尿の悪臭防止や環境保全型農業の推進を目指し土着菌の生産・販売に乗り出した。一昨年からは土着菌を使って生産したイモにさらに付加価値を付けるべく酒造会社の協力を得て、PB焼酎「やねだん」(柳谷の意味)を開発。これらの諸事業がもたらす収益は本年度300万円にも達する見込みだ。収益は、高齢者が安心して暮らすための通報ブザーの購入や集落の子どもたちの学力向上のために無料開放される寺子屋の運営などに充てられている。しかし、目標はまだまだ大きい。「やる気のある田舎の子が自分の希望する高等教育へ進めるように、集落独自の育英資金をつくりたい。高齢者に対しては自治会費の免除で、頑張りに報いたい」。豊重さんの夢は広がるばかりだ。
 集落の一連の取り組みは全国的にも注目を集め、2002年11月には日本計画行政学会計画賞の最優秀賞に、昨年6月には政府の食料・農業・農村政策推進本部が指定する「立ち上がる農山漁村」のモデル地域全国30選に選ばれた。日本計画行政学会計画賞の最終審査では、審査員から「今の世の中でなぜこのようなことが可能なのか」と、驚きの声が上がった。
 華々しい柳谷集落の活性化の歩みだが、根底には小さな集落だからこそ可能な一人の人間を大事にする姿勢がある。集落民一人ひとりに出番を用意し、そしてそれをきちんと評価する仕組みだ。柳谷集落ではどんな小さなことであっても集落民の努力には感謝の意を表し、有線放送を通して頑張った人の名前が読み上げられる。豊重さんは「自分が必要とされている、と思えるからこそ人は頑張ることができる。集落民全体が個々の名前と顔を知り、ともに汗を流し感動と感謝の気持ちを共有することが地域活性化には欠かせない」と言い切る。
 今、過疎化、高齢化への対抗手段として全国の自治体は市町村合併を積極的に進める。だが、領域の拡大や人□増は人間関係の希簿化の危険性もはらむ。顔が見える関係の中でこそやれる活性化がある。柳谷集落が提示する「小」の可能性は、もっと注目されていい。