「まち むら」87号掲載
論 文

町内会・自治会論(第6回)
町内会・自治会をどう見るか(地域組織の主体性と組織形態)
中 田   実(愛知江南短期大学教授)
専門処理と相互扶助

 著名な都市社会学者で、わが国のコミュニティ政策の推進に積極的に発言してこられた一人に倉沢進氏がいる。氏は、地域社会において地域問題が処理・解決される仕方を理論的、歴史的にとらえる枠組みを示すのに、専門処理と相互扶助をキー概念として採用する。それは、現代までの地域の状況の変化を説明するマクロ理論を提供するとともに、町内会についてもそれによる機能の変化を説明し、新たなコミュニティ形成の枠組みを提示するものとなっている。社会的分業が未成熟で、地域の問題は地域住民が協力して解決するという相互扶助型の問題処理が中心だった時代から、社会的規模の拡大と技術的進歩の結果として分業が飛躍的に拡大し、より専門的あるいは公共的な問題処理が求められるようになった。こうして行政、企業等が多様な地域問題処理の中心的な担い手となり、相互扶助の担い手であった町内会等は、行政が新たに市民生活の諸機能の中心的な担い手となるにつれて、行政にたいして要望・要求を出すだけの圧力団体化ないし行政末端事務の補完団体化したと、倉沢氏はいう。とくに都市生活において、専門処理である共同消費の比率が高まったことは否定できない事実であろう。そこで多くの研究者や実践家がこの説に賛同し、その結果として、町内会の互助的機能の縮小ないし喪失を確認することになった。
 この理論の特徴は、地域問題解決=処理の担い手が専門処理機関(中心は行政)に移行していくことから、地域住民組織は能動的な主体性の基盤を失い、行政依存的で消極的ないし周辺的な活動しかできない組織となっていくことを導き出す点にある。しかし他方で、コミュニティの枠組みの考察と展望に当たっては、倉沢氏は専門処理システムと相互扶助システムとの役割分担と協力関係の再構築(『コミュニティ論』放送大学教育協会、一九九八、一五九頁)を提案されている。この提案はなかなか説得力があり、それ自体に異論はない。しかし、専門処理システムがなお強化されさえするいま、歴史的な経緯として衰微してさた相互扶助システムが、なぜ再建でさるのか、その歴史的、理論的根拠は明らかでない。たしかに財政危機からくる住民の自助的活動への期待の高まりはある。しかし、住民の主体的受け止めがない限り、それは行政末端事務の下請けという旧来のシステムの強化の意味しかないであろう。


地域共同管理主体

 問題は、氏の専門処理システム論が、地域構造の説明理論ではあっても地域主体論を欠いているということである。地域住民の生活が、分業化の大波にまきこまれてきたことは否定できないが、生活構造論が主張してきたように、地域生活はつねに何がしかの主体性をもって再構築され続けているのであり、また、地域共同管理論が主張するように、そこで進行している過程は、共同社会的消費手段の利用の拡大であって、テクノクラートの主体性を想定させる専門処理システムの拡大ではなかったし地域住民は、必要な場合には、国家行政とも対峙してたたかう主体性をもっている(国道による生活環境侵害にたいして改善を求めるなど)。こうして、専門処理システムに依存する生活が広がっているとしても、それを受け入れて白助や共助と調整していく住民の主体性はあるのであり、地域生活の基盤(インフラストラクチャーや地域空間)の共同利用が要請する地域管理という活動を推進する住民組織の主体論ないし主体形成論が不可欠なのである(中田実『地域共同管理の社会学』束信堂、一九九三)
 行政や企業が組織をもって活動することはだれもが認めるのに、地域に関しては住民の自立のみが強調され、地域生活に組織が必要であることは十分理解されてこなかった。それはわが国における土地私有権の強さに比して都市計画意識が弱かったことに対応している。地域という共有 物・空間の共同管理(行政まで含めれば公共的管理)が必要なことは、例えば集合住宅における区分所有をめぐる組織的対応の事実を見れば明らかであろう。地域での共同生活が地域の共同管理という機能を要請し、それを担う組織を生み出していることをみれば、地域組織が主体性をもたざるをえないことも理解されるであろう。


町内会と地域諸組織

 専門処理システムの優越により町内会が末端事務の補完機能しかもたないということになれば、町内会はそのような従属的な地位を脱して、構成員たる住民のためのもっと自由な組織になるのがよいという方向が示されるのは当然であろう。しかし、それは地域内に存在するさまざまな組織と同列の組織の一つに町内会をしてしまうことを意味する。この主張を支待するものは少なくない。そこには、現在の町内会の運営の問題点が色濃く影を落としている。しかし、組織の本質の問題と運営の仕方にかかわる問題とは区別しなければならない。地域の共同管理のためにこそある町内会を、他の地域諸組織と同列視することは、この連載の第一回目で述べたように、町内会の改革案と見えて実は町内会を否定する議論である。それは町内会の本質の換骨奪胎を主張することである。公共的レベルでの調整については行政組織が存在するように、より狭域における地域利害の調整という自治的な地域共同管理の機能をもつ組織が必要である。それゆえに町内会は存在するのである。町内会がその実体を果たしていないならば、町内会を改革して真にその実をあげうるようにすることが必要であって、それを他の組織と同列に扱うことにするのは、狭域における地域共同管理とそのための住民自治を否定することに他ならない。
 念のため、二つのことについて補足しておこう。一つは、町内会がこうした性格をもつということは、町内会がその他のさまざまな任意の地域組織の土に立つことを要求し、それらの組織の価値を低くみることではまったくないということである。任意の諸組織(これらは集団類型的にはアソシエーションと呼ばれる)はそれぞれの目的と機能をもち、地域生活にとって重要な役割を果たしている。現在、注目を集めているNPOにしても、ある地域内の専門的問題処理主体としてあって、それが地域共同管理を目的とするものでないかぎり、町内会に代わることはできない。しかも現在の法律では、このような地域限定の目的ではNPOとしての「公益性」が認められていない。また逆に、地域ぐるみでNPOの認証を受ける事例も生れているが、それは、福祉や緑化といった町内会の機能の一部を事業化するための手段としてであることが多い。論点は、それがどんな機能担うかであり、それにもとづく組織類型(コミュニティかアソシエーションか)の問題である。
 第二は、地域共同管理は、関与する共同利用対象によって重層的に担われており、現在の町内会のみがその主体であるといっているわけではないということである。次回に述べるように、地域問題に広がりが見られる現在、従来の町内会のみで、さまざまな地域問題の調整や処理ができるわけではないことはいうまでもない。コミュニティづくりは、その一つの意味として、地域共同管理の範囲を町内会から小学校区に拡大させる面をもっていた。それがさらに広域となれば市町村という行政単位になるし、それすらも不十分となれば、さらに広域の機関の仕事になる。いずれにせよ、ある区域内の共同管理(問題処理)は住民組織と行政という二つの主体の協働作業である。地域共同管理の主体としての町内会・コミュニティ・行政は、制度化の差はあれ重層的に機能していて、相互に背反的なものではない。さらに小さな隣組も、日常的には生きて意味をもっているのである。地域生活者とその組織の主体性を軽視してはならないのである。