「まち むら」87号掲載
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住民と行政が両輪となってまちづくりをすすめる
広島県安芸高田市・川根振興協議会
住民と行政が陶輪どなってまちづくりをすすめる

 広島県安芸高田市高宮町の川根地区は、島根県境にある二百六十世帯、人口約六百四十の農山村地。今年三月、六町が対等合併して発足した新市では、市中心部から三十キロ以上離れた最北端に位置する。だが、高齢化率五○%を超える山あいの小さなまちは、住民自治の先進地として、視察が相次ぎ、まちづくりのモデルになっている。
「今度はどんな手料理でもてなそう」。地区中心にある宿泊研修施設「エコミュージアム川根」の食堂。上本シゲコさんが仲間三人と献立を思案する。山菜や川魚を使った地元の品に工夫を凝らす。「ここは私たちの活動拠点。全国から視察に来られた方が、おふくろの味と喜んでくれるのが励みになるんよ」と目を細める。
 鉄骨二階、延べ約九百平方メートル。レストラン、大会議室ホールに、客室七部屋を備えた施設は、一九九二年、旧川根中学校跡地にオープンした。廃校を利用した「地域まるごと自然博物館」づくりを提案した川根住民の意見を、旧町が受け入れ建設した住民自治のシンボルである。
 川根地区は一九六○年代の高度成長期、農家の大半が近隣の工場へ働きに出た。若者の流出が進み、過疎高齢化が進んだ。将来への不安が高まっていた七一年四月、有志数名が集まった。「学校問題、道路整備、高齢化など地域の課題を解決するには、われわれが結束して自治組織を立ち上げよう」。意見が一致した。翌七二年二月、川根振興協議会が発足した。
 直後の七月、集中豪雨により、江の川沿いの川根地区は壊滅的な被害を受けた。「このまま行政の支援を待っていては、川根のまちは消える」。振興協議会が中心となり、被災家屋の片付けや被災者援助など、住民自ら復旧にあたった。
 活動への理解が深まり、七七年には振興協議会に全戸が加入した。一世帯当たり五百円の活動費を出資。総務、農林水産省、教育、文化、ふれあい、開発、体育の七部制での活動が始まった。


地域の新たなよりどころ エコミュージアム川根を提案

 八○年代、川根中学校の統廃合問題が持ち上がった。地域のよりどころである学校の廃校にまちは揺れた。振興協議会内に川根中統合委員会が発足。八年間議論した末、八八年に廃校を受け入れた。だが、校舎をそのまま集会所に転用しようとする行政に、住民は提案をした。「学校という地域の文化を消すなら、新たな地域文化のよりどころをつくる」。住民による地域づくりの姿勢が、「要求型」から「提案型」に変わる転機だった。
 旧校舎廊下の板や、屋根のはりなどの再利用、ホタルが生息する小川などを提案。振興協議会の辻駒健二会長は「地域まるごと自然博物館づくりを住民が掲げ、さまざまなものを行政に働きかけた。地域の本気が旧役場に伝わり、自ら考え行動する住民を、行政が支援する形が出来た」と説明する。建設費三億四千二百万円は旧町が負坦したが、行政からの運営費の補てんは一切ない。振興協議会を中心に地元企業など二十団体が計七百四十万円を出資し、協議会を設立して運営。地域の女性十二人が調理、リネン、レジやサービスを担い働く。上本さんは「人手が少なく大変だけど、全国から川根を訪れる人との出会いが魅力」とやりがいを話す。


住民が出資してマーケットの運営を引き継ぐ

 九九年、再びやってきた地域の危機に、住民はさらに結束した。農協の経営合理化に、地元の高田郡農協は同年、川根支所のマーケットとガソリンスタンドの廃止を決定した。「地域唯一の店舗が消えれば、高齢者は生活できない。自分たちでやらねば、人の住めない地域になる」。振興協議会は、一世帯当たり千円を出資し、翌年からマーケットとガソリンスタンドの営業を引ぎ継いだ。
「体はよくなっちゃったですか」。ふれあいマーケットとして再スタートした店舗では、パートの森脇隆子さんが、訪れたお客に声を掛ける。商品とお金だけでなく、会話のやり取りが心の交流を育む。
 経営は地区内の岡田建設が請け負う。振興協議会副会長でもある岡田千里さんが毎朝、約十二キロ離れた農協店舗まで食料品や日用品を仕入れに出掛け、依頼があれば配達まで行なう。「豆腐一丁の配達は儲からない。でも支え合わないと生きていけないまちでは、私を使ってもらうことが、地域の大きな儲けになる」と岡田さんは笑う。
 振興協議会の取り組みは、伝統芸能の「はやし田」の復活や、清流のホタルを生かした都市との交流イベント「ほたる祭り」の開催などに広がり、地区に年間七千人が訪れる。
 また、九九年には地域の担い手対策として、振興協議会が旧町へ町営の若者定住住宅の整備を提案した。「お好み住宅」と呼ばれる住宅は、設計に入居者が参加できる。「義務教育終了未満の子どもがいる」「地域行事に出来るだけ参加する」などの入居条件はあるが、家賃三万円。二十年経ち、百数十万円の土地代などを支払えばマイホームにできる仕組みだ。現在、十五戸に六十四人が住む。五年前、広島市内から移り住んだ田村昌三さん一家は、「地域行事への参加は、若い夫婦に無理のないよう皆さんが温かく支えてくれる。都会と違い、地域の誰もが子どもにあいさつを交わしてくれ、目配りをしてもらえて安心です」と喜ぶ。
 そんななか、振興協議会の活動は、農業や高齢者福祉へと目を向ける。国土保全を目的に、耕作の厳しい傾斜地の農家に、国が交付金を支給する「中山間地直接支払制度」。川根地区では地区農家全体で申請を行なう。年間約七百万円の交付金を各農家に配布せず、すべて地区で管理する。辻駒会長は「農地を地域全体で守ろうと結束した」と胸を張る。
 支え合いの意識は高齢者福祉にも及ぶ。昨年、市内の社会福祉法人と連携し、出張デイサービス「川根サポートセンター」を開設した。川根地区から法人の運営する特別養護老人ホームまでは片道約二十五キロ。通所の困難な高齢者のために、旧町が地区の生活改善センターを二千七百万円で改修。週一回、ヘルパーと看護師が訪れ、出前のデイサービスを行なう。
 サービスには振興協議会のメンバーが、毎回二人ボランティアで参加する。「どうしようるん? 元気かね」。振興協議会の若手リーダー藤本悦志さんは、笑顔で話し掛ける。利用者の一人、中川美代子さんは「週一回の集まりが楽しみで、毎日を過ごしているんです」と生きがいを感じる。
 辻駒会長は「地域に住んでいるわれわれが、田舎は駄目とあきらめる『心の過疎』が地域を埋没させる。ふるさとに誇りを持ち、暮らしていくためには何をすべきか、自分たちで考えていくことが大切。行政サービスはわれわれが生活するための手段であって、目的はどう生きるか。『住民参加のまちづくり』ではなく、『行政参加のまちづくり』こそ目指すべきかたち」と話す。
 合併で周辺部となり、きめ細かな住民サービスは難しくなった。だが、自分たちで出来ることは自ら行ない、出来ないことを行政へ提案し頼る。住民と行政が両輪となって、まちづくりという車を動かす川根振興協議会は、住民自治の真の姿を教えてくれる。(中国新聞吉田支局)