「まち むら」87号掲載
ル ポ

廃校舎を「居酒屋」「コンビニ」に住民自ら運営
高知県葉山村・床鍋とことん会
 高知県葉山村貝ノ川床鍋。山あいの小さな集落に昨年四月、廃校となった小学校の校舎を利用した交流施設「森の巣箱」がオープンした。過疎化が進む集落に活気をと、行政と住民が一体となって造った施設は予想を超えるにぎわい。管理運営する住民の自主性も高まっている。施設ができるまでの歩みを振り返り、これからの地域おこしの在り方を探った。
 国の特別天然記念物のニホンカワウソが、国内で最後に確認された新荘川が流れる葉山村。緑豊かな山里だか、これといった産業はなく、隣の須崎市に働きに出る人も。多い床鍋集落はその村の南端に位置する。


このままでは集落が消える!

 床鍋から村中心部に続く林道は道幅が狭く曲がりくねっており、生活道の体をなさない。このため、村役場に行くにも別の幹線道でいったん須崎市に出なければならず、時間も三十分余りかかる。地理的に孤立しており、長らく「ヘき地」と呼ばれてきた。
 集落には村のごみ収集車も回って来ず、住民が自ら村中心部まで運んだり、たい肥として処理したり。行政サービスの格差も厳然としてあった。住民の数も、昭和五十年には二百人余りいたが現在は百三十人ほど。高齢化率も五○%近い。
「このままでは集落が消える」と危機感を募らせた住民有志は平成七年、「床鍋地域開発検討会」を結成。地域の活性化について自ら積極的に考え始めた。そこで出た要望はやはり「道」だった。
 担当として携わった村産業課の高橋正光課長(当時、企画室)は「村としても床鍋に対する思い入れはあった。村中心部に通じるトンネルができないか、いろんな事業を探して県や国に働きかけを強めた」と振リ返る。その結果、十年度から県が国の「ふるさと林道緊急整備事業」の指定を受け、新たに村中心部と集落を結ぶ道の整備を始めた。
 一方、住民も暗いと評判の悪かった幹線道沿いの雑木を伐採したり、手作りの夏祭りを開催するなど、自分たちでできる活性化に取り組んだ。


いったんは挫折した廃校活用

 その中で、昭和五十九年に廃校となった旧床鍋小字校跡の活用も大きな課題として浮上した。「取り壊して福祉施設にしようとか、いろいろ意見はあったが住民がどうこう言って具体化できるような感しではなかった」。有志の一人、大崎博文さんが振り返る。何の活用策も具体化することなく、そのうちに検討会の活動も低調になってしまったという。
 しかし十一年、もう一度床鍋の将来をとことん考えようと、十五人ほどの有志が月に一回のペースで活性化への話し合いを始めた。検討会も「床鍋とことん会」と名を変えた。「最初は漠然としたイメージばかりで不安だった」(大崎さん)が、有志ばかりでなく集落全体に会合への参加を呼び掛けると、常時二十〜三十人が来るようになり活気が出始めた。地区長となった大崎さんは高橋課長にも「力を貸してほしい」と訴えた。


住民自ら経営する店を

 十二年度からは村と一体となって本格的な集落活性化プランの策定も開始。高橋課長は「地域に何があって何がないのか、住民自らに整理してもらうことから始めた」と話す。
 地域には豊かな森や川、神社など名所旧跡がある。しかし、「ちょっと物を買うにも須崎まで行かないかん」「酒を飲む所もない」。こうした不便さを解消する鍵は、やはり学校跡だった。
 学校跡をコンビニや居酒屋に変えればいい。といって、民 間事業者が乗り出してくれるわけがない。浮かんだのは 「集落生協」の発想。住民自らが商品の仕入れ費などを出し、店を経営する。もちろん、利用するのも住民だ。
 高橋課長は「例えばスーパーに行けば九十五円で買えるものが、そこでは百円の値段かもしれない。でも、集落が払う仕入れ費用は七十五円。差額の二十五円は集落の利益であり、ひいては住民の利益になる。ただ、行政の事業に居酒屋はなじまないかなとは思ったけど(笑)」。翌十三年度に実施計画が立てられ、十四年度に県の補助などを含め約九千万円掛けて大規模な木造校舎の改修に取り組んだ。
 そして昨春、施設が完成。三年間に及ぶ住民の話し合いが形になった。コンビニや居酒屋のほか、交流室や調理コーナー、風呂場などを備えており、宿泊もできる。「校舎は集落の資源であり、住民の思いが詰まった場所」。そんな観点から、改修に当たってはできるだけ元の木材を生かし、黒板やオルガンなどもそのまま残すなど、郷愁を感じさせる仕上がりとなっている。
「あなたたちが汗をかかなければ、行政は手を引きますよ」。当初はそうやって住民を叱咤激励してきた高橋課長は「『住民参加型』ではなく、まさに住民が作った計画」と誇らしげに言う。
 施設は床鍋を巣立った人(出身者)たちがいつでも戻れるようにとの思いから「森の巣箱」と名付けられた。「とことん会」はその運営委員会に再度、衣替えした。オープニングセレモニーは住民が企画した「入学式」。床鍋出身者らも多く参加した。運営委員会の大崎登会長は「再び集落に人を呼び戻したい。そんな思いを込めた」と話す。
 「集落生協」の基本は住民利用であり、宿泊機能も出身者の里帰りを意識したものだった。しかし、マスコミで取り上げられたこともあって、村外からも大きな反響があった。一か月もたたないうちに、村外客からの宿泊予約が相次いだ。親子連れ、小学生のスポーツクラブ、一人でやって来る客もある。
 昨年一年間の宿泊客は実に約六百人、施設全体の総売り上げは約一千五百万円。地元女性ら常時二人ほどの雇用も生まれた。コンビニや居酒屋の従業員として働く大崎智子さんは休みなしの忙しい日々が続くが、「県外の人が二回きてくれたり、グラウンドに子どもの声が響くのがとてもうれしい」と笑顔を見せる。


「葉山で一番元気な地域」に

 もちろん、施設に住民が集まる機会も増え、これまで以上にコミュニケーションがとれるようになったという。客の意見を聞いて施設までの案内板を作ったり、花壇を整えたり。皆が経営者だから、自主的にやれることをやる。
 今年三月にはさらに追い風も吹いた。県が整備していたふるさと林道が開通したのだ。これにより、集落から役場までは車で十五分と大幅に時間短縮。ゴミ収集車も入るようになり、「ヘき地」の汚名は返上された。それどころか、村内では「今、葉山で一番元気な地域」との声が聞かれる。
 もちろん、これから先も好調な運営が続く保証はない。住民は農村体験のメニュー作りに取り組むなど、さらに床鍋を売り出す作戦を練る。一方で「村外客に頼ってばかりでは駄目だ。住民が積極的に施設を利用していく意識も持たないと」と足元も見据える。
 施設によって過疎化に歯止めがかかったわけでもなく、高橋課長は「村外に出た床鍋出身者のUターン、農業をやって暮らしたいIターン希望者らに移住してもらえるようなPRも必要だろう」。集落の存続という重い課題を今なお抱えながら、大きな夢に向かって住民の挑戦は続いている。(高知新聞社須崎支局・古井永伍)