「まち むら」87号掲載
エッセイ<生活>

おちゃわんプロジェクト
江 尻 京 子(ごみ問題ジャーナリスト)
 われてしまった食器、使わなくなってしまった食器。多くの自治体では不燃系ごみとして回収している。不燃系のごみは、プラスチックや金属類がほとんどだが、プラスチックは容器包装リサイクル法や技術の発達により資源として活用される量が増え、金属類は鉄、非鉄ともに古くからリサイクルされている資源である。
 しかし、食器すなわち陶磁器類については、たいていはそのまま最終処分場まで行ってしまう。土中に埋めても腐るものではないので、長期間土の中で眠り続けることになる。すなわち、最終処分場の嵩を増やすことになってしまうのである。
 かねてより、私はなんとか廃食器のリサイクルができないものかと思っていた。風のうわさで、廃食器回収をしている団体がある…とか、集めたものを砕いて原料にしているらしいという話はなんとなく耳にはしていたが、なかなか具体例に出会うことができず、今ひとつ実感がわかないままでいた。
 昨年秋、久しぶりに会った知人が「今、瀬戸に通っている。食器のリサイクルが本格的になってきたよ」と教えてくれた。企業の研究所にいた技術畑の人である。話を聞いているうちに、自分の目で見たい、現場を歩きたいという探究心(というより好奇心)がどんどん大きくなってきた。そうなってしまうと抑えが効かなくなってしまう性格の私。ありがたいことに、羽田から飛行機に乗れば、九州でも、四国でも、北海道でも日帰りができてしまう時代。あるいは、一日だけ時間を作ることができれば、夜おそく出て翌日夕方まで動くこともできるし、早朝着く便で帰京し、そのまま仕事場に行くこともできる。さっそくスケジュールの調整にとりかかり、最終の新幹線で名古屋に入り、翌日一日とその翌日の昼過ぎまでフルに動いて、タ方の会議に間に合うように戻るという二日間コースを作り出した。
 さて、名古屋入りした翌朝、瀬戸に出向さ、一日かけてリサイクル陶土を作る工場や町並み、原料の採掘現場などを見て回った。瀬戸市の資源リサイクルセンターにも寄り、市民がびんや缶などの資源を持ち込む様子なども見た。
 瀬戸市では今年四月からこの場所で廃食器の回収をスタートしたと聞いている。
 瀬戸でリサイクル食器に携わる人たちから、美濃ではグリーンライフ21(GL21)という食器リサイクルのプロジェクトが数年前から活動していること、瀬戸は廃食器五〇%含有の製品だが、美濃は二〇%であること、九州の有田でも同様の試みが始まっていることなどを教えてもらった。そうか、美濃か。美濃焼きいえば多治見だ。多治見は名古屋から一時間足らずで行くことができる。「では、明日は多治見に行ってみます」そう言って私は瀬戸から名古屋のホテルに戻った。
 ホテルに帰ってメールチェックをすると、ついこの間まで名古屋で仕事をしていた友人からメールが届いていた。返信に多治見行さのことを書いて出すと、まもなくメールがきた。翌日は、そのメールを頼りに駅前の観光センターで地図をもらい、まずは多治見PRセンターに向かった。PRセンタ−には会いたかったリサイクル食器が並んでいた。回収箱も置いてある。話をしているうちに県のセラミックス技術研究所に行って話を聞いたほうがいいだろうということになった。
 今年二月、私が所属するNPO(東京多摩リサイクル市民連邦)で廃食器の回収をしてみた。おどろいたのは、持ってくる人たちの「語り」である。どうしてもごみにはしたくなかった。ごみに出すくらいなら悪いこととは知っていても割って砕いて公園に埋めようと思っていた。大事な人が使っていたものをごみとして捨てることはできないなど、同じ容器でもぺットボトルやビンや缶を処分するときにはこんな言葉は出ないだろうなということを次々と語っていくのだ。廃食器を媒介としたコミュニティ型リサイクル活動、すなわち市民主導型の回収システムを作り出すことができるのではないか。まずは活動実績があるGL21とリサイクル市民連邦が中心となり、モデルづくりをすることになった。名づけて「おちゃわんプロジェクト」だ。
 食器リサイクルのネットワークづくりは今はじまったばかりだ。