「まち むら」84号掲載 |
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市民、行政が一緒になって水路のマップづくりをすすめる |
佐賀県・佐賀市 佐賀の水みちマップづくり実行委員会 |
佐賀市は佐賀平野のほぼ中央に位置する田園都市。「水郷」「水都」と呼ばれる都市は全国に数多く、九州でも柳川市などが有名だが、佐賀市は縦横に走る水路網の総延長が約2千キロで、面積当たりの長さでは全国トップ。実は「日本一の水の都」である。 その″“無名の水郷”で今、河川浄化を目指すユニークな運動が進んでいる。迷路のように入り組んだ水路を地図に記録し、流量や水質も調べる「水みちマップづくリ」。市民グループの発案を端緒に連携が広がり、学校や地域へと拡大。スケ−ルの大きい市民運動へと発展している。 先人たちの知恵が蓄積した水路網 佐賀の水源地は背振山地だが、「背振山系は山が浅く、保水力が乏しい」(渡辺訓甫佐賀大学教授)とされる。一方、干拓によって農地は拡大し続けた。できあがった広大な平野を、規模の小さい河川の流れで潤すにはどうすればよいか。先人たちは水路を張り巡らして平野に水を蓄え、繰り返し水を利用する、低平地ならではのシステムを築き上げた。それが2000キロの水路網なのだ。 とくに17世紀初め、佐賀藩内各地で治水・利水事業を行なった成富兵庫茂安は、平野を貫く嘉瀬川に「石井樋」を築いた。土砂の流入を防ぐ石積み技法など、高度な取水システム。生まれた多布施川の流れは佐賀城下の生活用水、佐賀平野の農業用水となった。幕末期には日本初の反射炉による鉄製大砲鋳造などにも利用され、「薩長土肥」の一角を占める飛躍の基盤にもなった。 先人たちの知恵が蓄積した「水の都」。川をせき止めて泥を上げる「川干し」が定期的に行なわれて水質保全や陸化防止が図られ、泥は田畑の肥料にもなっていた。ところが、経済発展とともに市民生活が水路から離れていくに従って、水路の荒廃が始まった。 無秩序な開発や埋め立てもあり、水路は寸断され、水質は悪化し、ゴミも目立つようになった。文化都市ならぬ、蚊の多い「ブン蚊都市」の汚名も付けられるに至って、やっと河川浄化の機運が高まった。市民挙げての河川浄化運動が始まり、市民グループの活動も盛んになった。 明らかになる複雑な流れの実態 2002年4月、「佐賀における水循環を推進するための懇談会」という会合が開かれた。市民グループ「森と海を結ぶ会」(会長・半田駿佐賀大学教授)が呼びかけ、河川浄化運動に取り組む市民グループや行政機関など約30団体が参加。数回の会合で水路網の実態把握が必要との認識で一致し、市民の手で「水みちマップ」を作成することを申し合わせた。 水みちマップづくりは複雑に入り組んで把握の難しい水路網を、市民が歩いて調べる試みだ。 初めての調査は2002年7月の日曜日に行なわれた。家族連れ、職場仲間のグループなど約230人が集合。3〜5人で班をつくり、約200メートル四方程度の担当地区を決めて出発した。幅1メートル足らずの小さな水路も見逃さず住宅地図に書き込み、流量を調査、水を採取してCOD(化学的酸素要求量)な とを記録。「よく見ると、魚や虫がいるんだね」などと感心した参加者が多かった。 各班の調査結果はその日の午後、市内の小学校体育館で集約された。地図を張り合わせて巨大な水みちマップができる。この日調べた水路は市内中心部の約71キロ。ビルや民家の下を通る水路など、新たに約5キロを発見した。 マップづくりの発案者の1人で、まとめ役を務めた島谷幸宏国土交通省武雄工事事務所・前所長(現・九州大学教授)は「複雑な流れの実態が分かった。多布施川に近い水路は流れがあってきれいだが、川から難れると汚れる。水を循環させれば、全体がきれいになる」と総括。参加者は調査を市内全域に広げていこう と話し合った。 学校へと広がった運動 2回目の調査は12月に実施した。約150人で約60キロの水路を調べ、地図にない1.2キロを新たに確認した。実行委員会の方針は「市民みんなで楽しみながら」。家族や仲良しグループでの参加が多く、踏査の後には事務局が準備する果物や料理も。子どもたちは「探検みたい」とはしゃぎ、大人は「童心にかえって楽しかった」と満足そうだ。 取り組みは事務局の呼びかけで広がっている。2年目の2003年には学校が調査に参加し始めた。総合学習で環境問題を取り上げる学校が多く、水みちマップづくりは地域に根ざした絶好の素材だ。 日新小、若楠小、北川副小、城南中は総合学習の一環で参加。佐賀大学では農学部の学生たちが取り組んだ。実行委員会のスタッフも、子どもだちと一緒に地域を歩いている。 実行委員会は10月、それまでの調査成果を報告する「水みちサミット」を開いた。日新小、若楠小の子どもたちも魚の多い場所や汚れた地点などを報告。「みんなで知恵を出し合い、自然を大切にする活動を進めたい」と訴え、聴衆から大きな拍手を浴びた。 芽生えた「みんなで」の機運 これまでも、河川浄化に向けては多くの取り組みがあった。ところが、大半は行政頼リ、で終始。河川浄化をテーマにしたシンポジウムを取材しても、行政批判に始まり、行政への陳情で終わるという印象が強かった。 しかし、水みちマップづくりでは「行政も、市民も一緒に考え、行動しよう」という空気が芽生えてきたように感じる。島谷前所長は「『…してくれ』という陳情ではなく、『…しよう』という自発的な熱意を感じる。住民の経験、生活の知恵は若手職員の教育にも役立っている」と言ったが、国土交通省武雄工事事務所の有志たちの積極的な姿勢もムードを変えた要因にみえる。 これまで7回の調査で踏査した水路は計約210キロ。多布施川から佐賀城下に流入し、複雑な水路網を北西から南東へ通り抜けていくことが明らかになった。多布施川に近い市街地北西部では2〜4ppmだったCODが、市街地の南東部まで流れてくると6〜8ppmに。諫早干拓問題も絡んで有明海の環境変化が指摘されているが、佐賀市街地を通過する間に水質が悪化し、汚れた水が有明海に向かっていくことも分かってきた。 市民、行政機関、業界団体などが連携して始めた、新しい町づくリ運動によって「流れさえあれば、水はきれいになる」という仮説は実証されつつある。しかし、総延長2000キロからすれば、まだ取り組みは始まったばかり。その先にある本題の水循環実現や水質浄化は、ハード、ソフトの両面からのアプローチが必要で、容易に解決する問題ではない。 火付け役となってきた「森と海を結ぶ会」の事務局長、そして、水みちマップづくりでは実行委員長を務める樋□栄子さんは「行政他団体の枠を超え、みんな同じ市民としてかかかる運動に育てたい。水の実情を知ってもらうために、水みちマップづくりをさらに広げていきたい」と力を込めている。 |