「まち むら」83号掲載
ル ポ

日本一の湖山池にビオトープ計画
子どもと大学生が変える地域の未来
鳥取県・鳥取市 湖山池自然再生協議会
 わずか16万人。県庁所在地では山口市に次いで人口が少ない鳥取市の北西部には、日本最大の池がある。総面積7平方キロメートル。満々と水をたたえる湖山池はかつて、伝統漁法による豊富な漁獲量が地域経済を支え、池畔住民に脈々と息づく伝説が味わい深い文化を育んできた。しかし、戦後の高度経済成長は彼
の地にも環境破壊の例外を与えなかった。アオコの異常発生や不法投棄など負の遺産を受け継いだ住民の心は、しだいに「日本一の湖山池」から離れてゆく。
 2001年春。転機は訪れる。池畔に建つ鳥取大学の学生が始めた試みは、子どもたちを介して地域を巻き込み、町づくりのモデルケースとして全国からも脚光を浴びるまでになった。市民団体「湖山池自然再生協議会」の軌跡を追う。


嘆き節から始まった

 01年4月、大学で地域設計学を受講していた若田泰徳さん(22)=鳥取大4年、同協議会事務局長=ら7人に与えられた課題は、池周辺の湖山地区に関して問題点を挙げプロジェクトを起草すること。書を捨てよ町に出よ。関西地区の学研都市構想に基礎から携わった霜田稔教授の狙いは、「学生たちに肌で現場を知ってもらうこと」だった。
「30年前のように泳げないものかねえ」。池と地元のかかわリ合いを調査した若田さんには、2年を経た今もお年寄りが口にした嘆き節が耳に残る。確かに当時、水質に関しては市が検討委を設置し、各自治体ごとの清掃活動も頻繁に行なわれていた。しかし、統一した行動はなかった。周囲16キロ。広大な池を取り巻く新旧自治体は横断的な接触がなく、古くは水利権を争った農漁業の間にも見えない壁が存在した。嘆き節は、望みなき末来を示しているかに思えた。


子どもたちが橋をかける

 鳥取市では、92年策定の「湖山池公園基本計画」でお花畑や池に浮かぶ島の整備をしたが、02年春に見直しを決定。「以前のように」。繰り返し聞くその言葉から、若田さんはいわゆる「箱物」に頼った行政の計画を白紙化する試案を練る。後に「霞の里構想」として吸い上げられたその提案には、池周辺の3小学校との取り組みは記されていなかった。
 分断した住民をつなぎ、池への意識を統一する手だてはないか。始まった模索に背中を押したのは02年度から施行される総合学習の時間、新学習指導要領だった。従前から率先して授業に湖山池の学習を取り入れていた鳥取大付属小を始め、複数の市立小学校を訪問。学習のサポート役に需要があることを知る。


子どもたちから始めよう

 コーディネートに奔走した学生たちの努力により、3小学校計280人の合同総合学習には、伝統漁法「石がま漁」を保存するNPO代表ら多彩な講師陣が顔をそろえた。釣りや探検ごっこなど飽きさせない工夫を凝らした総合学習の時間は、児童らの興味を池の歴史や生息する動植物へと、そして大きな疑問へと引き寄せる。「どうして汚いんだろう、どうしたらきれいになるだろう」。その疑問はまず、家庭へと投げ掛けられた。


壁はなくなった

 子どもから家庭、そして地域へ。世論喚起の道が見えてきた。水辺の観察や源流探しなど夏休み中のフィールドワークでまず、児童に交じって保護者が顔を見せる。秋に大学の教室を開放して行なわれた講座「楽しく学ぶ湖山池」には自治体の面々が参加した。
 協議会の前身「湖山池地域連携懇談会」が機能し始めた。会則を設けずゆるやかな結束を呼び掛ける会では、小さなグループが持ち寄った提案を学生たちが咀嚼、吟味した上でフィードバックする手法が取られた。「壁が徐々に低くなる」。実感があふれた。
 翌03年1月、学習成果を発表したシンポジウムには会場に立ち見が出る500人以上が参加。わき上がる拍手に地域が一つになったことを感じた。「住民の意欲にどう応えるか」。一段高くなった目標に、具体的な方針を挙げる必要が迫っていた。


ビオトープ計画へ

 多様な野生生物が生息し泳げる湖山池を取り戻そうと、計画は着手された。場所は、池東岸を流れる大井出川周辺の市有地約700平方メートル。水辺に親しみやすい環境を整え市が造成の際に盛った土を低くすることや、魚の産卵場所を確保するため水際に植物類を生やす案が挙がっている。
 かつて水田地帯だった同所は99年、市の旧計画で一面のお花畑に変わっていた。異国原産の豪奢な花々は、護岸化された水辺と無理な造成に映えるはずもない。訪れる人もまばらで、さかのぼった97年には、近くの山王自治会が旧計画の素案にいち早くビオトープ作りを俎上していた。あえなく廃案に終わったが、原風景に寄せる思いと地域のシンボルとしての池の存在は、並々ならぬものがあった。
 ビオトープの管理上で協議会の中心メンバーの岩山かおりさん(22)=鳥取大4年=は、同自治会が示していた先見性ある町づくりの方針に感嘆する。スペシャリストには事欠かない国立大学。農・工学部の学生らとも相談し、より具体策を提示するまでになった。「自発的な地域の実践は、同時多発的な環境への取り組みのモデルケースになる可能性を秘めている」。自信があった。


以前のように

 鳥取県は00年、県下市町村との費用折半を条件に最大300万円の助成を認める「ビオトープ補助金」を制度化。鳥取市の動きを待つばかりだが、民間主導の環境対策としては協議会の試みは目をひくものがあった。
 4月から毎月1回のペースで開催しているワークショップには、自治体の有志や子どもたちが参加。測量など整備を見越した専門チームと、水辺で遊ぶ児童や保護者らが分け隔てなく時間を共にする。漁業関係者や画家ら専門家は通称「遊び人」として裏方に控え、船での島めぐりや池の産物を使った料理教室などを開催。口コミで伝わる楽しさは、最大で100人を集めるまでになった。
 行政への住民参加が叫ばれて久しい。「金は出しても□は出さない」という英断には責任の所在、公金の運用などさまざまな課題を乗り越えなければならないが、オブザーバーとしてワークショップに参加する市職員は「綿密な計画と豊富な専門知識に舌を巻いた」と驚きを隠せない。12月定例市議会までには助成が
議決される見通しだ。
 なるほど、なおも問題は残る。ビオトープ完成後の維持まで地域の関心を維持できるのか。根強く残る水利権のわだかまりを解くことは可能なのか。しかし、大井出川の緩く浅い流れは産卵の場を失ったトンボの再来を、土の護岸は水質浄化作用がある微生物の繁殖を期待させる。「以前のように」。地域一体となって、お年寄りが望んだ泳げる池の復活を目指す「湖山池自然再生協議会」の挑戦は、まだ始まったばかりだ。