「まち むら」80号掲載
ル ポ

自前で防災情報を流す広報塔を整備
愛知県・豊川市 御油連区
 愛知県豊川市の西の端に位置する御油地区は、旧東海道の宿場「御油宿」の面影を残す。高層ビルなど近代的な建物よりも、国天然記念物の古い松並木が背丈を伸ばして目立っていた街並みに今年3月、小さな変化が起こった。地区内各地に立つひときわ背の高い屋外広報塔。区長がマイクを握って「○○さんの葬儀は本日午後1時より…」、かと思えば小学校の教頭が飛んできて「大雨警報が解除されたので、御油小学校の授業は午後から再開…」。塔の頂上にある拡声器から、身近なコミュニティ情報が流れる。しかし、それは日常の仮の姿。広報塔は予測される東海地震の防災情報を屋外で働く区民にいち早く知らせる使命を担って、区民の自己資金で立てられた。


一町内には無理なこと?

 広報塔は高さ15メートル。先端には四方を向いたラッパ型の拡声器。9か所に設置してあり、地区面積3.5平方キロメートルの隅々まで放送が届く。施設の中枢となる放送基地と親局は、地区中心部の御油公民館内に設置され、各広報塔と無線で結ばれている。広報塔自体にも放送端子を備えたボックスがあり、各町内の代表がマイクを差し込んで緊急放送することも可能。大地震で停電しても数分間ならば内蔵バッテリーを電源に稼働する。総事業費約2000万円。このうち、1割だけ愛知県からの補助金が支給された。
 3100世帯、人口9100人の地区が1800万円もの整備費をどう捻出したのか。自治会長にあたる早川淳連区長(69)は「御津町境の共有林が県立ふるさと公園用地になり、県に約3000万円で買い上げてもらった。連区で緊急災害対策費と教育基金の二つの特別会計を設けていた」と台所事情を説明する。しかし、防災無線整備を目指して先進地の三重県明野町を視察した早川さんら連区役員は愕然とした。「自治体にはできても、一町内には無理なこと。高額すぎる」。一時はあきらめかけたが「機能は劣っても、やれる範囲でやろう」と一致するまでそう時間はかからなかった。
 「いざ、ライフラインが止まり、道路が寸断されるような大地震が起きたら、警察も行政も、自衛隊でも現場に到着するまでに数日かかると覚悟したほうがいい。この間は、頼れるのは隣近所だけだ」と早川さん。6月に国の震源域と予測震度の見直しから豊川市も東海地震の防災強化地域に指定されたことより、阪神淡路大震災が区民を防災に目覚めさせていた。
 防災の日の9月1日午前9時、御油公民館のサイレンが鳴り、広報塔が「防災訓練」を繰り返しアナウンスした。区民たちが水筒やペットボトルを手に避難訓練を開始し、続々と避難所の御油小学校に集まってくる。市総合防災訓練の第2会場として名乗りを上げ、温存してきた緊急災害対策費のほとんどを注ぎ込む決断をした連区役員たちは、参加者数を確認して胸をなで下ろした。区民の1割を超える約950人。期待の新施設が、本来の使命でデビューした記念日となった。


防災マップを全戸に配布

 御油地区は1959(昭和34)年3月まで、宝飯郡御油町というひとつの自治体だった。豊川市と合併してすでに40年以上になるが、市では一番新しい地区で、自主独立の気風が残る。早川さんらは「もう豊川に一体化している」と否定するが、市内他地区では町内単位で150を超える自主防災会を組織している中、御油地区だけは10区(町内会)をまとめて一つの自主防災会をつくっていることにも独自性が垣間見える。5月には、市に先駆けて地区の防災マップを作成して全戸配布した。ほぼ全世帯が判別できるA2判の地図に、緑色で13か所の避難広場、赤色で市指定避難地の小学校と公民館、茶色で6か所の土石流や崩落が心配される急傾斜地を示している。これまで、市役所近くのグラウンドの一会場で実施してきた市総合防災訓練の第2会場に指定されたのも、こうした独自の熱心な取り組みが認められたためだ。
 御油自主防災会の役員は連区の役員が兼ね、役員経験者からの選任を含め計40人。しかし、そこに会長も副会長も設けないのが“御油流”。「災害はいつ起こるか分からない。起こったら防災訓練のシナリオ通りにはいかない」と早川さん。だれもが防災リーダーであり、だれもが指揮者の責任を負うとの論理だ。今回の防災訓練でも1000人分の昼食を炊き出し訓練したが、避難した参加者の女性たちが、指名されるでもなく作業に加わった。「訓練を見学するだけのショーに終わらせてはいかん」と役員らが会議を重ねた成果が現れた。


祭りが地域の一体化にひと役

 一つだけ不安があるとすれば、御油地区のど真ん中を走る国道1号線、名古屋鉄道名古屋本線の北東側丘陵地が大規模な宅地開発で人口が爆発的に増えたこと。合併時の約2500人、500世帯が、現在は人口で3倍以上、世帯数で6倍以上に膨れあがっている。本当に全区民が同じ危機感や意識を共有できのか。この不安を取り去ってくれたのが宿場時代から続く毎年8月の「御油祭」だった。「新しい住民も、子どもが小学校を通じて祭に参加するようになると、自然と参加するようになり、祭を中心に一体感が深まっている」と早川さんは分析する。伝統行事がコミュニティに果たす役割が御油地区では実証されていた。
 11月下旬、豊川市は防災強化地域指定を受けて、自治会の代表を大震災に見舞われた神戸市視察に派遣した。参加した早川さんは震災体験者が語った一言が耳について離れない。「仏を作って魂入れず」。仏様、つまり死者をたくさん出してしまったのに、教訓が生かされていない、震災直後は復旧、復興に一致団結したコミュニティが震災から7年経って薄れかけてきている、と早川さんは読みとった。巨費を投じた防災無線整備から、防災マップづくり、大がかりな防災訓練と続き、区民の防災意識は理想的な高まりをみせている。「この盛り上がりを維持したい」。早川さんらの課題はこの一点に絞られてきた。
 連区の役員をはじめ、趣味の講座などで老若男女が集まる公民館で、雑談交じりに次回の防災訓練が話題に上った。「ライフラインで、ます確保すべきは水じゃないか」「井戸が残っているから、一度調べて地図にしてみまい」「消火栓をだれでも使えるように研修するのもいいぞん」。どうも、次回訓練のテーマは水に決まったようだ。自慢の広報塔が「警戒宣言発令」を叫ぶ日は必ずやってくる。地区を見渡すノッポの広報塔を見上げると、危機感を風化させまいと見張ってくれているように思えてきた。