「まち むら」80号掲載
ル ポ

「村づくりは群れづくり」活発な地域振興を展開する
兵庫県・安富町 末広地区
 世界遺産の、「白鷺城」で知られる姫路市から北へ約25キロの安富町末広地区。10月20日は、地区始まって以来とも思えるにぎやかさを見せた。ふるさと祭り、地区共同墓地公園完工式、都市部の森林ボランティア隊員との交流、小中学生の地域に学ぶ体験学習という地元主催の催しに加え、兵庫県が意欲的な地域団体を公募し、対話する「さわやかトーク西播磨」が開かれたからだ。
 小林敏昭区長(62)は振り返る。「五つの行事を行なうという大変な一日。88世帯、316人の住民のほとんどが参加して楽しみました。末広にとっては記念すべき晴れがましい一日となりました」。とくに同トークには橋本健造町長に加え、井戸敏三知事、黒田進・西播磨県民局長ら県幹部も駈けつけて住民らと地域振興の在り方や県政について熱心に話し合った。また、もちつきに飛び入りしたり、地元の松タケを入れた松タケごはんを住民らと食べて交流を深めた。


訪問者を「人が輝き、地域が光る村づくり」の木製看板が迎える末広地区

 この日に象徴されているように、地区は周辺でも目立つ地域おこしを実践している。同町役場では、「視察も後を絶ちません。他市町から視察先の問い合わせが入った場合、推薦することもよくあります」と太鼓判を押す。
 こんな同地区が動き始めたのは、1983年から。集落面積の9割を占める人工林の価格低迷による林業不振、減反政策などに伴なう放棄田の増加、人□流出。地域はあえぎ、集落運営の予算難も予想された。「これではあかん、という雰囲気が村中にあったのです。当時の松柏茂区長が、“ふるさとのためなら私が責任をもつからやってくれ”と決断され、行財政改革委員会を組織しました。地区が現状打開へ方向性を探り始めたのです」と岡本一三副区長(72)は当時を思い出す。
 取り組みを進めるためにミニ通信を毎月発行するなど情報を十分に流した。その上で利害が絡む問題もあったことから住民たちが徹底的に話し合いを重ね改善した。以前は全世帯で組織していた末広区が地区有林も経営しながらその収入で地区を運営していた。それを地区の行政は各戸からもらう協議費(1世帯で年間2万6000円)で運営し、共有林は新しく生産森林組合を組織して独立会計に移した。いわば行財政の分離の断行だった。
 同委員会は順調に運営されても、地域の現状維持にとどまる。住民たちは、次に集落の「夢」と「希望」づくりへと思いを進めた。つまりふるさとの青写真、グランドデザインづくりに着手したのだった。1992年になり末広振興計画策定委員会を組織し、2年がかりのさまざまな討議、模索の末に振興計画ができ上がる。6構想18事業計画という地域全体をにらんだ総合的な内容だった。例えば構想では、「ホタルと水辺空間ゾーンの推進」「豊潤の森ゾーン演出」「バイパスと墓地公園ゾーンの造成」「福祉とやすらぎの里ゾーンの創造」などがある。実現には、各事業ごとに特別委員会を設けて、「それぞれの事業は、担当委員会が最初から最後まで責任をもって完了するまで取り組む』(小林区長)という方式で推し進めた。


おばあちゃんの投書をきっかけに9年の歳月をかけ墓地公園づくり

 この中で、共同墓地を改修して墓地公園にした件は、なかなかドラマ性がある。「歳を取ると足腰が弱って共同墓地のお参りも難儀する。歩きにくい墓地内の道を何とか直してもらえれば」というおばあちゃんのミ二通信への投書がきっかけで始まった。着手のエピソードも興味をひくが、9年がかりの同事業は大きな副産物を生んだ。担ったのは30〜40歳代の委員たち。集落内では“若造”扱いされていた人たちが、墓地にクワを入れるという地元のタブーに挑戦しながら、車イスでも墓参り可能という明るい立派な墓地公園への改変を進めていく中で、高齢層の評価も一変。「若い者もやるではないか」と意識変革が進み、以後は壮年層に先輩たちが協力する形で、他の事業も進むことに。小林区長は、このことに何度も触れて「集落にさらに新しい風が吹いたと言えます。地域振興の取り組みの過程では画期的なことでした。力を合わせて頑張った“若造たち”も、その実力を認めた先輩方もえらかった」と高く評価する。


自然と共生する川への改修や林道兼用のバイパス…事業着々と

 11月24日、小林区長と岡本副会長に生産森林組合で会計を担う吉田恵一郎さん(52)の案内で地域を巡ってみた。地区を東西に流れる林田川の支流、中の谷川は「ホタルと雑魚と人間が共生できるふるさとの川づくり」をテーマに改修が進んでいる。流路の変更に伴う潰れ地の交渉では担当する委員会が地権者と県との交渉を仲介して腐心した。これを知った県の設計担当女性技師は、何度も現地を訪れたり地元と話し合いを重ね、設計をいく度も修正する熱心さだった。小林さんたちは工事の終わった川を指差しながら「私たちの熱意に彼女はこたえてくれました。自然環境にあった工法を導入してくれ、町のシンボルであるホタルの住みやすい川になりつつあります」と語る。
 同川に沿って走る2車線の舗装道路、山ろくバイパス。生産森林組合などの森林伐採時を考え、林道も兼ねて建設された。ここでは事業を進めた特別委員会などが約80人の地権者から土地を買い上げて提供するから、という条件で安富町と交渉し、立派な道路が町事業として開通した。すでにかなりの大木に育ってきた杉などを見上げた3人は、「この道のおかげで切り出す時も苦労はなさそう。木材価格が低迷している現在は、良材でも立地条件がよくないと相手にされませんから」と地区の取り組みに改めて満足そうだ。
 次に同バイパスから東側の山手にある墓地公園に回った。完工式で除幕した記念碑が、入り□にあり目をひく。「この地に縁ある者 力を合わせて成し遂げる」と文字の刻まれた碑は、インド産の赤い原石を中国で加工したもの。3人は「偶然なんてすが、仏教が日本へ伝来したルートに当たりますね」と□をそろえた。この墓地で特色あるのが、地区外に住む地元出身者用の一画。「ふるさとは出たが、将来は末広に帰って眠りたい」――という各地からの願いにこたえて造成した。16世帯分の墓が建立できる。
 そのほかにも、歩くことで足裏の神経を刺激して病気を治すという健康歩道やゲートボール場を備えた公園「杉の子広場」、地区の景観づくりにと取り組んでいる間伐材による花壇設置など事業の成果を示す施設があちこちに見られる。花壇には、地元の中学生たちが設計して植栽した約30平方メートルの1基も。


次の目標は「老いを地域で支える」

 同地区では「村づくりは人の群れづくり」をモットーにしている。各委員会などに、Uターン者らの多種多様な職業、技能を持つ人たちが集う中で、地域振興を図ってきた。次の目標は、「老いを地域で支える村づくり」と説明する小林さんは、これまでの体験を基に「ヨソモノ・バカモノ・ワカモノ」を大切な人材にあげた。このような人材をそろえた末広は、「さわやかトーク」の席で、「夢ある取り組み」と県知事らをうならせたように、さらなる地域づくりが期待できそうだ。