「まち むら」80号掲載
ル ポ

かけがいのない文化・盛岡弁を次世代に伝える
岩手県・盛岡市 盛岡弁に親しむ会
「おはよがんす」「いいお天気さんでござんすなっす」。岩手県盛岡市の都南文化会館で開かれる盛岡弁に親しむ会の月例会。メンバーが次々に集まると、ホールは盛岡弁一色に。一斉に顔がほころび、和やかな雰囲気に包まれる。
 会員は30歳代から90歳代までの約40人。何か特別なことをするわけではない。盛岡弁を話したい人はおしゃべりを始め、聞きたい人はそっと耳を傾ける。あちらこちらで「あの なはーん〜」(あのね〜)と声が響き、思い思いに有意義な時間を過ごす。
 「みちのくの小京都」とも呼ばれる盛岡藩の城下町、盛岡市。街の中心を南北に中津川が流れる。ほかにも北上川や雫石川、簗川などが市内を流れ、緑に囲まれた美しい街だ。
 盛岡弁は地域によって微妙に言葉遣いが違う。職人街と官庁街で異なり、近郊の農村まで範囲が広がるとさらに複雑になる。世代や家族構成によっても違う。
 時代の流れとともに姿を消しつつある方言。少子高齢化が急速に進むにつれ、地域では世代間の交流が減少。「縦」のつながりが希薄になっている。
 「かけがえのない文化、盛岡弁を次の世代に残したい」との思いは会員共通の願いだ。


本当の盛岡弁を知りたい

 発足は1996年10月。現在、事務局を務める内村ミチさんが体験したある事件が発端だった。盛岡弁の読み聞かせで訪れた公民館で、いつものように話しをしていると「あなたの盛岡弁はおかしい」と指摘された。子どものころから慣れ親しんだ盛岡弁。それまでの人生を否定されたようなショックで以前のように話すことができなくなった。
 「本当の盛岡弁を知りたい」と市内の市場や商店街など人が集まるところに出掛けては、耳を澄まして聞いてみたが答えは出ない。「自分の言葉を取り戻したい。もう一度話したい」との思いが強まり、友人と会を立ち上げた。
 市民の反響は予想以上に大きかった。目的を達したら半年ぐらいでやめようと思っていたのが、1か月で約15人が集まり、半年後には20人を突破。意識の高いメンバーが集まったことから、会を継続することにした。
 「予想外だったのは若い人の参加が多かったこと」と当時を振り返る内村さん。独特のイントネーションとぬくもりのある発音に親しみを感じる人が多く、盛岡弁を操ることのできる人のほうが少なかった。
 危機感を持った会員は、言葉の響きが美しい盛岡弁を次の世代にも残そうと、99年4月に「保存伝承プロジェクト事業推進委員会」を設置。さまざまな事業の取り組みを始めた。


手始めは盛岡弁カルタづくり

 第1弾は2000年8月の「おらほの言葉 盛岡弁カルタ」。昔の盛岡の様子を盛岡弁で詠み、ユーモラスな絵とともに48札のカルタに詰め込んだ。

 よっちゃめぐな わんつかばかりの 酒っこで
(少し酒を飲んだだけで酔っぱらってふらふらするな)

 たもづがれで 買ってすまった あげぇ卵
(体にすがりつかれて赤い卵を思わず買ってしまったよ)

など風土に根ざし、各世代で楽しむことができて、現代にも通じるものを厳選した。
 盛岡弁の男ことばと女ことばを収録したCDもセットにした。老人クラブや小学校、公民館などを訪れ、カルタ大会を開催。子どもからお年寄りまでが素朴であたたかみのある盛岡弁の良さに触れている。
 2002年3月には、盛岡弁のわらべ歌を季節ごとに収録した絵本「おらほのわらべうた」を作製。図書館や学校、高齢者施設などに配布している。


保存、伝承の活動を展開する会員たち

 では、実際の活動を見てみよう。盛岡市大通3丁目の桜城小学校。11月中旬に盛岡弁の学習会が開かれた。
 学校は盛岡駅前から続く市街地の一角で、周囲には高層マンションが立ち並ぶ。転勤族のサラリーマンが多く、核家族の家庭が大半を占める。参加した4年生53人のうち、祖父母と暮らしている児童はわずか2割ほどだ。
 国語の授業で「方言と共通語」に取り組む児童は九つのグループに分かれて、「おむすびころりん」「桃太郎」などの昔話を盛岡弁で学習。初めて聞く生の盛岡弁に興奮をおさえられない様子だった。
 あらかじめ、自己流で「翻訳」した盛岡弁の文章を添削しながら「濁点が多い」「単語のつなぎが難しい」などと感想を言い合った。
 朗読の練習になると、児童はどうしても棒読みに。「みにくいアヒルの子」に取り組んだ今田伽奈子さんは「いざ読んでみると、高低のイントネーションが難しい」と首をかしげた。
 それでも子どもたちは「優しい感じがする盛岡弁は話していて楽しい」と笑顔。「おはよがんす」「ありがとがんす」と覚えた言葉をうれしそうに話していた。
 会員の大森アサさん(71)は「子どもたちに方言を短時間で覚えさせるのは無理。最初は戸惑って当然。その中で覚えた言葉をおじいちゃんやおばあちゃんに会ったとき、少しでも□にしてほしい」と願っている。
 5月からは、盛岡市中央公民館で盛岡弁の昔語りを開始。4人の語り部が、岩手の名の由来とされている、同市名須川町、三ツ石神社の「鬼の手形」の言い伝えなど、数々の昔話を披露した。会場の都合により10月までの期間限定だったが、いつでも盛岡弁を聞くことのできる数少ない場所として好評を博した。
 インターネットを使った伝承も考えたが、基本はあくまでも「口承」と活用の是非を保留。内村さんは「互いに顔が見える場所で心を通い合わせたい」と力を込める。


世代間交流にも大きな役割

 現在、方言はもとより若者を中心とした乱れた言葉遣いによる日本語の衰退が著しい。家庭では核家族化が進み、もはや都市部では、三世代がそろう団らんの風景などを見ることは少ない。会員の藤原昌子さん(57)は「今の子どもたちは塾や行事に追われ、ゆっくりと会話を楽しむ時間すらない」と同情も交えながら指摘する。
 世代間の交流が少なくなりつつある現在、親しむ会の活動は方言の伝承だけでなく、コミュニケーションの場として大きな役割を果たしている。
 「方言は地方の文化、歴史、伝統をありのまま映す鏡。時代とともに言葉は変わる。だからこそ残さなければならない」と内村さん。会員一人ひとりの情熱が、新たな盛岡の文化を創造する。