「まち むら」78号掲載
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世代別役員構成で意見集約、交流拡大に成果を上げる
東京都立川市・大山自治会
 東京都立川市の「都営・土砂町1丁目アパート」は、通称「大山団地」として地元に親しまれている。
 かつての平屋建てが老朽化したため、中・高層化への建て替え工事がすすめられ、平成8年から再入居を開始、昨13年11月に全戸の入居を終了した。建て替え前に比べると入居者はかなり若返り、全居住者が会員となっている大山自治会の活動は際立って活発化、都や市でも高い評価を寄せるようになった。とりわけ注目されるのが自治会役員の構成。普通、自治会の役員陣といえば、高齢者ばかりで占められるものだが、ここでは20代を含めたすべての世代から本部役員に出てもらい、老若問わず全会員の意見集約、交流拡大に努めて成果をあげている。


前例踏襲ではすまされない状況に

 大山団地は都下多摩地域の中核、立川市の北部に位置している。団地周辺は、歴史的には尾張徳川家のお鷹場を管理していた砂川家が元禄のころ入植し開拓したという砂川地区。いまでも近くには砂川家や資本家といった豪族の面影を残した屋敷があり、先人たちの足跡をしのぶ防風林が街道沿いにつづいている。また団地のすぐ南には広大な国立昭和記念公園が広がり、北には玉川上水が流れ、それにほぼ沿う形で五日市街道が貫いている。
 大山団地の初入居は昭和38年。建て替え前は最盛期で約900世帯が居住していた。が、現在は5階から14階までの棟が全部で24棟。入居世帯数は1220世帯、入居者の総数2998人。このうち3棟は高齢者世帯専用の「シルバーピア」。150世帯、638人が居住中だ。
 また平成12年秋、伊豆諸島・三宅島から火山噴火のため避難してきた14世帯、40人が入居している。大山自治会の本部役員は、会長と5名の副会長、2人の会計担当の、いわゆる“3役”8名の布陣。ほかに団地を26区に分け、それぞれ区長1名を居住者が選出している。さらに文化、交通安全対策、体育、生活環境、防災防犯、駐車場管理の六つの専門部をおき、各専門部を代表して取り仕切る専門部員を1名ずつ配置。それらを役員とし、締めて40名を数える。
 このうち会長、副会長、会計の3役の世代別構成を2、30歳代の青年層から働き盛りの4、50歳代の壮年層、そして60歳代以上の高齢層までと満遍ないものにしたのは平成8年からだった。建て替え後の再入居で居住者の年齢が一気に若返ったこと、しかも居住者数が約30%も増えて、前例を踏襲するだけではすまされない状況になってきたことなどがその背景にあり、やわらかな発想と企画、それをヴィヴィッドに実践してゆく機動性は若い世代の力を借りなければならないという考えからだ。


よろず相談所の自治会事務所

 当時、会長であり、現在も会長を務める佐藤良子さんはいう。
「建て替えで、この団地に住む人は半数が昔からの、つまり建て替え前からの人、残り半数は一般の公募で入ってこられた人。ですから役員も半数は新しく入ってこられた人になりました」。
 現在、3役の年齢は30代、50代、60代、70代がそれぞれ2人ずつ。男女別では男性6人、女性2人。
 佐藤会長は、
「昨年まで20代、40代の役員がいましたが、今年再任されて30歳、50歳になりました」
 と話す。
 もちろん大部分の役員が勤めをもったり、自営業だったり。決してヒマを持て余しているわけではない。しかし毎月の3役会の出席率は、いつも100%だそうだ。「理由は、楽しいからじゃないでしょうか。それに一度休むと、次に出てきても話しがよく分からないということがあると思いますね。それだけ話し合う議題が多いということでもあるのです」(3役の1人)
 4月の自治会総会、6月の運動会、8月の夏まつり、9月の防災訓練を軸に敬老大会や砂川地区の体育祭、三宅島の人たちとの交流会などイベントが目白押し。さらに役員には近隣団地の自治会との打ち合わせ、都の住宅局や建設事務所、公園緑地課、市の福祉課との話し合い、会報の編集や配布など、仕事は文字通り山積している。
「(現会長以前の)昔なら前例のない問題提起をすれば発現を封じられたものですが、いまは3役会でも役員会でも意見があればどんどん言うことができます。やはりトップに立つ会長のキャラクターの影響が大きいのではないでしょうか」(別の役員)
 風通じのよさが3役会、役員会に根付いているということだが、このことは全居住者もよく知っている。会員が、あちらからこちらから生活上の相談ごとを気軽に自治会事務所に持ち込んでくる。
「いつの間にか、“よろず相談引き受け所”になってしまいました。相談のない日はないといっていいほどです」(佐藤会長)


若い役員の活力と熟年役員の知恵を組み合わせて

 この自治会のありようを、第三者の目でみつめながら感心している人がいる。三宅島から避難中の「立川・大山団地三宅島会」代表の寺沢晴男さんだ。三宅島の村議会議員でもある。
「大山団地では会長中心にみごとな協力体制ができて機能していると思いますよ。会長の佐藤さんは、男なら喧嘩になるようなことでもはっきり発言する。そしてあとのフォローをちゃんとやっている。だれにも公平ですから不満はほとんどないようです」
と寺沢さん。
 ある日、だれに言うともなく
「三宅島ではぶどう狩りというのを経験したことがない。いちどやってみたいものだな」と呟いたところ、会長が小耳に挟んで即断即決、立川市などの支援をとりつけて山梨県勝沼でのぶどう狩りを実現した。そのほかボーリング大会、バーベキュー大会、川遊びなど多彩な交流会も催された。また、三宅島がなにごともなかったら結婚式を挙げていたはずのカップルが突如の噴火で中止、そのままになっているのを知ると、佐藤会長は「大山でもいいでしょう。やりましょう」とすぐ準備に着手。団地そばの郷社、阿豆佐味天神社で挙式。130人の参列者のなかには青木久・立川市長の姿もあった。市長は、ここ砂川地区の開拓者、青木家の末裔だからでもあるが、それ以上に大山自治会への思い入れと絆の深さがあるのも見逃せない。
 再び寺沢さんの話。「三宅島の島民は都内各地に分散して避難生活を送っているのですが、よそではいじめられたり、ひどく肩身の狭い思いをして暮らしているようです。私たちはその点、実に幸せです」
 寺沢さんの大山団地三宅島会では近くの菜園の一部、30坪を借りて三宅島特産の明日葉(あしたば)を栽培することにした。「お世話になった自治会、団地の皆さんになにかお返しをしたい、私たちの感謝の気持ちを形あるもので残したい、という思いからです。ここで長く育ててもらえればありがたいと思っています」
 トップに人を得て、若い役員の活力と熟年役員の知恵とを巧みに組み合わせた自治会の、ひとつの成功モデルがここにある、ということだろう。