「まち むら」77号掲載
ル ポ

地域通貨が人を結び商店街を元気にする
千葉県千葉市・ゆりの木商店街
 JR西千葉駅から北に延びるゆりの木通りの東側には「ゆりの木商店街」が、西側には千葉大学のキャンパスが広がる。道路の向こうに並ぶ木々をながめながら、商店会長の海保眞さんは目を細める。
「いい景色でしょう。こんないい景色を毎日見ていられるなんて、ほんとに恵まれていますよね。これまでは反対側にも店があり、背後に住宅が広がっていればこの商店街はもっとにぎわうのにと、ずっと思っていたんですけどね」
 片側だけの商店街は発展しない、といわれる。30軒近い店が建ち並ぶゆりの木商店会も、最近まではそんな商店街のひとつだった。その商店街がいま全国から注目を浴びている。


これはおもしろいことになる

 きっかけは3年前、海保さんが経営するマドカ美容院の扉を、60代の紳士が開けたことに始まる。美容師の宮嵜ひとみさんは、そのときの印象を今も鮮明に覚えている。
「七三分けでポマードがたっぷり。どう見ても美容院には来ない、ぜったいに床屋に行くタイプ。これはおもしろいことになると思いました」
 ポマードの紳士は、千葉市にあるNPO法人「千葉まちづくりサポートセンター」が発行する地域通貨、ピーナッツを商店会でも使ってほしいと要請した。
 「エコマネー」ともいわれる地域通貨は、人と人との交流を媒介として失われつつある地域コミュニティの再生を図り、地域経済を活性化させる目的で発行される。その数は全国で100を超えるといわれる。千葉県全域を対象としたピーナッツの単位はP(ピー)。1Pは1円に相当する。99年に導入され、いまでは500人を超える「ピーナッツクラブ」の会員間で流通している。


地域通貨のしくみ

 しかし、月に一度の商店会の例会で、ポマードの紳士の提案は否決される。
「うちだけでもやってみよう」
 海保さんはそう決意した。さっそく海保さんと3人の美容師が会員になった。2000年4月のことだ。店長を務める宮嵜さんは次のようにいう。
「美容院という場所がピーナッツの普及にぴったりだったんです。私たちは最低でも30分はお客さんと話しながら髪に触っているので、その時間にお客さんが納得してくれるまで説明することができます。ものを買うだけの他の店ではこうはいかないでしょう」
 シャンプーと力ットをする場合、ふつうのお客さんは1000円のシャンプー代に3800円のカット代を合わせた4800円を払う。ピーナッツクラブの会員はこのうちの5%にあたる240円を「240P」で、残りを現金で支払う。
 海保さんにとっては売り上げが5%減り、お客さんからみれば5%割引になるに等しい。海保さんは大福帳にたまった残高を、美容院のチラシの配布やお店の前に並べた鉢植えの水やりをしてもらったりして使う。一方、お客さんたちは、会員の「できること」や「してほしいこと」を一覧表にしたピーナッツカタログを見ながら、自分の能力や特技を生かしてマイナスになった残高を返していくことになる。そこに地域通貨を介した関係が生まれ、地域通貨の循環とともに交流が増幅していく。
 支払いを終えると、美容師とお客さんが「アミーゴ!」(スペイン語で「友だち」の意味)と声をかけあって握手を交わす。そんな楽しいコミュニケーションも多くのお客さんの心を惹きつける。「あれ、なあに?」という質問に答えてピーナッツの説明をするうちに、いまではマドカ美容院を訪れるお客さんの半数近くがピーナッツクラブの会員になった。


アミーゴの輪が広がる

 商店どうしのつきあいもなく、ばらばらに商売をしていたゆりの木商店街には、98年に初めて商店会が結成された。その後、ピーナッツを受け入れたことで、商店街、というより商店会の人の気持ちは少しずつ変わっていった。
 商店会ができた年の8月に初めて開催された夏祭りは年中行事として定着している。翌年からはピーナッツクラブの会員で有機農業に取り組む野栄町の生産者が参加し、近くにある障害者施設も入所者の作品を出展してくれた。月に一度、第3土曜日にはフリーマーケットを始めた。ここでも野栄町の有機農産物は大人気で、早々に売り切れる。商店会で食材として使い始める食堂もできた。
「野栄町の人たちが車で1時間半もかけて駆けつけてくれ、サポートセンターの人たちも協力してくれた。そういう試みがまちを元気にすることを、周囲の人たちも理解してくれました」(海保さん)
 いまもゆりの木商店会としてピーナッツクラブの会員になったわけではない。個々の商店が自発的に会員になり、その数は20軒を超えた。ポマードの紳士もマドカ美容院の常連になった。もうポマードは使わない。最近、おしゃれになったと周囲の人からいわれることが増えた。
 アミーゴ(友だち)の絆は深まり、その輪が広がることで、「それまで考えてもみなかったことが、次から次へと起こるようになった」(海保さん)。
 「これはおもしろいことになる」と直感した宮嵜さんの予感は的中した。


商店街が変わる

 ゆりの木通りに、各店が競うように四季おりおりの花を飾るようになって2年がたつ。この冬には初めて、楓の街路樹をイルミネーションで飾った。自分たちが木に登って取りつけ、電気代はコードに近い各店で負担した。
「仕事で疲れて帰る人が、真っ暗な道を凍えながらコートの襟を立てて歩くより、あったかい気持ちで帰れるんじゃないかと思ってね」(海保さん)
 花やイルミネーションが道ゆく人の心を癒すのか、大学側の道ではなく商店街側を歩く人が増え、花やイルミネーションを話題に見知らぬ人とあいさつを交わすことが日常になった。商店会の人たちも、地域の人とそんな関係を結ぶことが商店街を元気にすることに気づいた。
「できるだけこのまちのお客さんを大切にして、町の人たちから大切だと思われたい。商店会もまちの人も、自分のまちは自分でつくるんだと思えるようにしたいですね」(海保さん)
 商店会にはいま、交流を深め、広げてきた地域通貨をいっそう循環させ、商店街の活性化につなげようという機運が高まっている。海保さんは商店街の食堂で順番にお昼をとる。商店会の人も海保さんの美容院で髪を切るようになった。忘年会や新年会も千葉駅周辺ではなく地元の店で開く。気軽に話し合える関係ができたことで、お互いの店をもっとよくしようと助言をし合うようにもなった。
「誰でももっと人と関わっていい人生を送りたい、社会をよくしたいと思っています。仲間と接しているとそれが自然に言葉になり、行動につながっていく。それが当たり前になりました」(海保さん)
 窓の外にはいつも緑が見える。こんな豊かな気持ちで仕事ができるんだから片側だけの商店街でよかった。最近やっとそう思えるようになったと、ゆりの木商店会の人たちは語り合っている。