「まち むら」76号掲載
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食の記録集「やまあいの絆」を自費出版
岩手県大東町 京津畑自治会
 岩手県南の玄関口である東磐井郡。大東町の京津畑地区は同町中心部から北へ16キロに位置する集落で、眼前は北上山系の山々が迫る。清流砂鉄川の支流・興田川の源流沿いに形成された集落は、60年余前から世帯数がほとんど変わっていない。ここで暮らした先人たちは、厳しさとやさしさの両面を持つ自然の中、貧しい食糧時代を生き抜くためにさまざまな知恵を絞ってきた。それらを受け継いできたお年寄りたちはまさに地域の知恵袋だ。大先輩に負けじと若妻たちも積極的に新たな食文化の構築に励んでいる。同自治会が発刊した食の記録集「やまあいの絆」は、温故知新を実践する同地区食文化の集大成といえよう。「やまあいの絆」が訴えかけているものは何か? そして、これを発刊するきっかけとなった京津畑地区の文化祭の様子を覗いてみた。


文化祭で150の郷土料理を展示

 多くの人たちは「東北イコール雪国」というイメージを抱いているだろうが、岩手県の沿岸と内陸の中間に位置する東磐井郡は、冬の最低気温が零下10度以下までに下がることはあるものの、降雪量は比較的少ない。しかし、東西を山に囲まれた大東町京津畑地区は、例外といえよう。
 京津畑地区は典型的な中山間地域。河川沿いに整備された県道に沿って南北に細長い集落を形成している。胆江地方と東磐井地方の物流の交差点として発展したと見られる。猫の額ほどしかない平地に作られた水田は、広いものでもせいぜい3反歩。標高300メートル〜350メートルの高地に加え、ヤマセの影響を受けやすいことから、大規模な稲作経営を望むことはできない。厳しい自然環境の中、先人たちは、わずかな畑で採れた野菜やワラビ、キノコなどといった山の幸の組み合せ、自生するワサビ、自家製の味噌など、工夫を凝らした味付けで、食文化を築き上げてきた。
 同自治会主催の文化祭で郷土料理を紹介したのは平成11年が初めて。翌年の祭りで「食の文化祭」と銘打って、大々的に展示。「戦時食」と「行事食」、「山菜食」、「漬物」、「今おやつ」の各係が調理に当ったほか、年配の主婦たちが当時の記憶をたどって作り、150点余りの料理が並べられた。
 食の記録集「やまあいの絆」は、「せっかく地域住民が丹精込めて作った料理を展示試食するだけではもったいない」ということから、発刊された。同地区の戦中戦後の食文化を振り返り、伝統食の良さを見直すとともに、21世紀に継承しようという思いも込められている。
 冊子に目を通して初めに驚かされるのは、ワラビやフキ、ゼンマイといった山菜の多さだった。一方、「ご飯」と名の付く料理も大半がヒエやアワ麦などの雑穀。「銀シャリ」料理の少なさから、同地区の農業事情をうかがい知ることができそうだ。


戦時食、行事食、保存食、漬物、そしておやつ

 写真で紹介されているのは、戦時中の食事が15点、行事食が8点、保存食や漬物などが31点、昔と今のおやつ22点などなど。予想以上のバラエティーの豊かさは、「1年を通して飽きがこないように」との主婦の願いが込められているようだ。
 戦時食は昭和10年代の食事を、年配の主婦たちが当時の記憶を掘り起こして再現。ヒエを使った「稗粥(ひんぎゃ)」と呼ばれる質素なものから、十割そばとニンジン、大根などを煮込んだ具沢山のはっとう(すいとん)など様々。戦前から戦中戦後の食糧難を思い起こすとともに、厳しい時代を生き抜いてきた人たちの力強さに思いを馳せるばかりだ。菊池てる子さんはヤマユリの根の混ぜご飯を紹介。ヤマユリの球根は加熱するとホクホクとした食感が楽しめる当地方ではポピュラーな食材。首都圏では高級食材の一つとされているが、この辺りは道路沿いにヤマユリが自生する宝の山なのだ。余談になるが、菊池さんの自宅は京津畑地区南の玄関口にあたり、自宅東側の斜面には1500株ものヤマユリが自生している。毎年7月ごろになると、白い花が咲き誇り、風に乗って独特の香りが道行くドライバーの鼻をくすぐる。JR大船渡線摺沢駅から江刺市方面に車で約30分。時間があったら足を運んでみてはいかが?
 地方の伝統文化を色濃く表す行事食では、祝い事や農作業の時に振る舞われる食事を紹介している。このうち田植え作業の合間を縫って食べたのが「田植食」。小豆入りのご飯で作った12個のおにぎりをホウの葉に乗せたもので、“かつての乙女集団”行事係によると、「このおにぎりを田の神様に上げて食べると、女性は田植え作業でも腰を痛めることはない」という。昭和の初期に数個の一斗缶を背負いせんべいを歩いて売りに回っていた筆者の祖母(故人)とくらべても、背筋はシャンとしたおばあちゃんの多さに、妙に納得してしまった。


地場産品を使った食生活の再認識を

 「食の文化祭」に参加した管理栄養士の小野寺憲子さん(大東町摺沢)は、冊子の中で「添加物だらけの市販のおやつと加工食品でお腹をいっぱいにしていたら、健康長寿は望めません。昔のおやつのおいしさ、すばらしさを、安全で安心な地場産品を使った食生活を再認識しなければならないと思います」とのメッセージを寄せている。
 300部を自費出版したが、周辺町村からの希望者ですべてソールドアウトという反響ぶり。同自治会の事務局の伊東鉄郎さんもこれにはいささか驚いた様子。「印刷会社もかなり勉強してくれているが、『ある程度数がまとまらないと…』と言われている」と苦笑いする。まだまだ眠れない夜が続きそうだ。


文化祭は食べて踊っての大にぎわい

 今年の文化祭は11月25日に京津畑小学校の体育館を会場に開かれた。前年に比べ「食文化」を全面に押し出す予定ではなかったらしいが、100点余りの料理がズラリ。当初計画よりも5割も多かったことから、急きょテーブルを増やしたという。料理展示の一方で、大人たちは酒を酌み交わしながらの宴会。体育館の隅っこでは子どもたちが遊び回るという東北の片田舎らしい風景だ。
 宴会では、法被姿の自治会員も、酒で顔を真っ赤にしながら、マイクを片手に会場を行ったり来りと忙しそう。けれども「やらされ仕事」という感は全く見受けられない。みんなの生き生きとした表情が印象的だ。
 地元料理もさることながら、酒好きの男性たちが造ったどぶろくがテーブルの各所におかれている。その一升瓶には「○○酒造組合」と書かれたラベルも貼られ、市場でのどぶろく解禁に向け、準備万端といったところだろうか。取材で会場をウロウロしていたら、気さくに声をかけられ、こともあろうか助役さんの隣にご案内。普段はスーツをビシッと決めている助役さんだが、この日ばかりはノーネクタイに作業着と、すっかりリラックスしてただのオヤジさんに見えてしまった。
「こんな助役さんをみるのは初めて」と思いながら、次から次へと出される料理は、すべて「MADE IN 京津畑」。ワサビ醤油を付けたもちや十割そばで作ったはっとう、ワラビやフキといった山菜の煮物が出てくる出てくる。なかでも驚いたのが、イタドリの炒め煮。普通なら農耕地の雑草として刈り取られ、焼かれてしまう運命のイタドリを食べてしまうというたくましさには感服。甘さ、辛さ、しょっぱさともほどよい味加減は、田舎の手料理そのものだった。
 田舎の文化祭で忘れてならないのはステージ発表。なかでも、地域と切っても切れない関係の郷土芸能ももちろん披露された。烏帽子をかぶった男たちの鶏舞、武蔵坊弁慶と牛若丸の決戦を描いた神楽などが次々と繰り広げられた。また、京津畑小学校が縁で結ばれた先生カップルを来場者みんなで祝福する光景もあり、地域の結びつきの強さを実感した一日だった。