「まち むら」74号掲載
ル ポ

住民の声をもとに街並み保存に取り組む
愛知県知多市 岡田地区
 愛知県知多半島の北西部に位置する知多市。名古屋港に面した臨海部では、火力発電所や石油コンビナート群が威容を訪る。かたや、内陸部では田や畑が広がるなか、名古屋まで急行電車で30分という利便性を生かした新興住宅地も続々と生まれている。今年で市制施行31年目。新しい表情が知多市の顔となりつつある中、由緒ある歴史を生かし、地域に根づいた「まちづくり」を進めているのが、これから紹介する岡田地区だ。
 岡田地区は、地元では「知多木綿発祥の地」として知られる。江戸時代、恵まれた海運を利用して、知多木綿は全国各地に運ばれ、浴衣や手ぬぐいなど庶民の衣料として便われた。明治、大正、昭和の時代と繁栄を続けた。多くの女性工員が木綿を織った織布工場が点在し、製品の木綿はもちろん、資産家たちが成した財産を入れる土蔵が、街のシンボルとして輝きを放っていた。
 しかし、昭和50年代に入り、安価な外国製品が流入してくると、その輝きは影で覆われるように。地場産業の衰退が街全体の活気を急速に失わさせた。織布工場は、今では数軒が残るだけ。おりしも、バイパスの開通で、中
心街のメインの通りが裏街道に。店をたたむ商店も相次いだ。相当の費用がかかる蔵の修復、維持を断念する者も増え、取り壊しの話があちこちから聞こえてくるようになった。


街並み保存会の結成

 地区の有志が危機感を抱き、立ち上がったのが、今から10年前。明治期に建てられた郵便局と、隣接する白壁
の土蔵を取り壊す話が持ち上がった時だった。板塀が続き、蔵が立ち並ぶ。街並みが往時をほうふつさせる中心地。「2つがなくなれば、くしの歯が欠けたようになってしまう」。平成4年には「岡田街並み保存会」を結成し、取り壊しに待ったをかけることから、街の活気を取り戻す活動が始まった。
 保存会の発足以来、その職にある竹之内資郎会長は「他の地域にはない、由緒ある財産。とにかく、残したかった」と振り返る。使い道は存続が決まってから考えた。郵便局は、簡易局としての業務を続ける一方、街並みの古い写真を収めたアルバムや地図を置いたり、会員が集うスペースを設けて、保存会の活動拠点に。木綿蔵は、地元の女性グループに運営を任せ、機織りが体験できる「手織りの里」として、今では観光客らでにぎわいが絶えない。
 現在、個人会員60人と4法人が集う保存会では、その後も、岡田地区の観光ポイントを紹介する散歩マップを作ったり、蔵や名所、旧跡の前にいわれを書いた立て札を設置するなど、さまざまな活動を展開。地域活性化の「中核部隊」として、岡田の名前を復活させることに大きな役割を果たしてきた。


住民意識改革のためのアンケート実施

 竹之内会長が「私たち保存会はコミュニティの一支店、実行部隊」と話すように、この間、地元の自治会の連合組織である「岡田コミュニティ」でも、保存会と一体となって、活性化策を模索してきた。
 保存会では、当初から「行政には頼らない」を基本に置いてきた。例えば、蔵の修理など街並み保存は、行政の「規制の網」はかぶせず、個人の判断に任せるのが望ましいとした。負担を無理強いはできないとの思いからだった。が、修理資金の補助ではなく、貸し出しを、中心部の道路整備を、などと行政への「要望」はたくさんある。そこで、コミュニティが、その要望を伝えるパイプ役を担った。
 昨年の8月には、コミュニティは岡田地区の全1800世帯を対象にした「まちづくりアンケート」を実施した。保存会が「蔵のある街並みを生かしたまちづくりと言うけれど、メンバーの60人だけでは、地域は勤かせない。住民の意識改革につながれば」と発案。コミュニティでも「アンケートがきっかけで住民全体の意識が高まり、市へのアピールにもなるはず」と考えて、調査、分析を請け負った。
 当時のコミュニティの後藤律次会長は「まちづくりはすべての住民の意見を扱い上げることから始まると思う」と話す。調査結果では、蔵のある街並みを保存することに64%の世帯が賛同し、蔵の所有者への質問でも、大半が蔵の維持に協力すると回答。「蔵の日を設けて一般開放したら」「知多木綿を売る専門店をつくったら」とのアイデアも多数、飛び出した。「歩んできた道は間違っていない」と実感できた。
 住民の熱意の高さに、「取り組めるものからどんどん取り組んでいきたい」と話した後藤前会長。早速、街並みを散策する観先客を案内する「観光ボランティアガイド」の養成講座を2月に開き、6月から活動をスタートさせた。ガイドはそのまま、保存会へと入り、コミュニティと保存会の「二人三脚」の活動がうまく回った好例となった。
 さらに、7月には、郵便局や木綿繭がある通りで、コミュニティと保存会が共催し、初めてフリーマーケットを開くという。観先客に来てもらうことができる街並みの整備は順調に進んでいる。住民の熱意も高まりを見せている。けれども、かつての活気を収り戻すまでには道はまだ、遠い。「観光客に来てもらっても、実は、食べたり、休憩してもらえるお店がない」と竹之内会長。フリーマーケットを通して「にぎわいの感覚」を呼び戻し、そんな悩みを解消する動きにつながれば、と願う。


広がる活動のすそ野

 保存会が先べんをつけ、コミュニティが強力にバックアップして押し進めてきた岡田地区のまちづくり。一気に理想の姿に近づけることはできないが、すそ野の広がりは至るところで現れている。
 例えば、地元・岡田小学校。学校でも世帯を対象にしたアンケートと同じ内容の調査を児童対象に実施し、結果をもとに内外での学習や取り組みにつなげている。「ふるさとを良くするため、私たちに何かできるか」と考え、川や公園の清掃奉仕や、蔵のある街並み、そして、郷土の歴史を知る学習へとつなげている。
 地区にある私立大同高校知多分校の教員や生徒たちも、地域の動きに触発されて、100か所ある蔵の調査、分析に収り組み、保存会やコミュニティヘと貴重な資料を提供した。「岡田を知ろう会」をはじめ、公民館や学校で開かれる勉強会や講演会も、枚挙にいとまがない。
 さらに、住民たちの意欲的な活動を聞きつけたのか、今年4月には、名古屋のNPOが岡田に「進出」し、空き家だった医院を無償で借り受け、他のNPOや市民グループに自由に使ってもらう「NPO活動の拠点」もオープンした。
「岡田にはすばらしい歴史がある。郷土愛、プライドを持って、住みよい街にしよう」。保存会やコミュニティだけでなく、今や、住民が一丸となりつつあり、そのエネルギーがじわじわと威力を発揮し始めている。