「まち むら」70号掲載
ル ポ

里山を守り、次の世代に伝える活動
静岡県金谷町 里山仕事・しょんた塾
 いま里山が注目を集めている。あまりにありふれた存在であったがゆえに、その価値や存在の意味について誰も顧みたこともなかった里山が、これまでのこのくにの自然と人びととのかかわりを象徴するものとして見直され、次の世代に受け伝えるべきかけがえのない財産になろうとしている。


塩ノ田を里山のモデルに

 私たちが活動拠点とする静岡県金谷町はお茶の生産で知られる。この地域はその温暖な気候から、放置すれば潜在植生であるシイ、カシ、タブなどの照葉樹林に遷移していく。すでにスギ・ヒノキの造林地以外はほとんど照葉樹林に移行しているか、林床に丈高くヒサカキなどが茂りフジのツルが巻き付いてアカマツや落葉樹が駆逐されつつある。また放置された竹林が拡大・侵入して見るも無残な荒れ山になっている。
 金谷町神谷城地域の一画「塩ノ田」(しょんた、と読む。会の命名の由来)に休耕された棚田とそれを取り巻く落葉樹林があり、たまたまそれを発見した会員有志が所有者の許可を得て活動拠点とすることにしたのが「里山仕事・しょんた塾」の始まりである。
 林床のササ刈り、侵入竹の伐採と竹林の手入れ、巻きついたフジやアケビのツル取り(トンヅル切り)、ヒサカキなどの除伐、コナラの植栽、休耕田のヨシ・ササ刈り、ササ根を据り起してレンゲを蒔く、などの活動を月に1回程度の頻度で行っている。しょんたを里山のモデルにしよう、というのが目標である。また近くにある城郭遺構の侵入竹の伐採や近隣自治体での里山保全活動への支援・交流や造林地の間伐などへも参加している。
 こうした活動で「ウデを磨き」近隣・周辺地域の里山保全活動の「助っ人衆」になることも目標、そのため作業だけでなく測量や救急法・応急手当、道具や機械の使い方など指導者の養成を意識した内容にしている。
 思いと目標、意気こそ高いが活動はまだ始まったばかり、あまり急がないでノンビリ・ジックリ力を矯めていく、まちづくりへの市民権もそのうち身に付くだろう、というのが発足1年目の里山仕事・しょんた塾である。


次々に消えていった里山

「いきている鳥たちが、生きて飛びまわる空を、
 いきている魚たちが、いきて泳ぎまわる川を、
 あなたに残しておいて、やれるだろうか、父さんは」

 フォークソングの勃興期1960年代の末に笠木透が歌ったちょうどその頃から、市街化開発やゴルフ場建設といった「列島改造」の波を真っ向から浴びて都市近郊の里山は次々に消えていった。公害、開発、三面護岸の河川改修など、戦後生まれの子どもたちが駆け回っていた野山・川・溜池・里山、そしてそこをすみかとする草花と動物たちは、子どもたちがテレビをあそび相手としている間に、急速に縁遠いものになっていった。
 しかし里山の衰退は、ブルドーザがうなりを上げて削っていくような、目に見える形で失われていく以前から、すでに始まっていた。
 田んぼの肥料が、化学肥料に転換していくことによって刈敷の供給源としての価値を失っていったのが、最初の始まりだった。生活のエネルギー源が電気と化石燃料に転換していくことによって薪炭の供給源であった里山は忘れ去られていった。敗戦直後の生活燃料・薪炭供給のための過剰な利用と軌を一にして、いわゆる「拡大造林」政策がとられ、皆伐された堅木山・雑木山はスギ・ヒノキの造林地に姿を変えていった。
 そして最後に里山の衰退を決定的にしたのが減反政策だった。圃場整備と並行して里山と接する田んぼは最初に減反・耕作放棄の対象となり、里山は耕作者からも縁の薄い存在となっていった。ブルドーザがやって来たのは、ちょうどその頃だったのである。


祖先たちの営為を連綿と伝える里山

 「里山」という用語は、まだ10数年の歴史しか持っていない。しかし近年の研究から、その植生や生物環境の豊かさ・生産力は熱帯雨林に匹敵し、生物多様性を保持し遺伝子資源を温存する限りない可能性を持っていることが明らかになっている。林床管理や萌芽更新の利用など幾世代にもわたる薪炭利用の中で培われたサスティナブル(持続的利用)な管理技術は、エネルギー供給と自然環境保護を両立させる点で、日本が世界に誇ることのできるものであることも解明されてきた。
 しかも里山の植生・生物環境の実体と人びとの管理技術は、実は水田耕作の開始以前、氷河期に遡る縄文の祖先の時代から続いてきた一体のものであり、三内丸山遺跡の遺物から推定されるクリ・クルミ・トチなどの有用樹種の選択的育種・育林技術、焼畑耕作などに端を発すると見られている。つまり、中国雲南省地域を起源とするとされる「照葉樹林文化」やその周辺から発した稲作文化など、このくにの文化の重層構造のいわば基底層から始まる文化、幾世代もを経た祖先たちの営為の象徴が里山にほかならない。
 見事に手入れされたヒノキ林での森林浴は心地よいものである。苔むして鬱蒼とした原生林も、どこか畏まる雰囲気をたたえた鎮守の森も、それはそれでいいものだが、芽吹きから「山笑う」新緑、紅葉、葉を落とし林床に陽が差し込む冬の風景まで四季の様相を折々に変えて見せてくれる典型的な里山、落葉広葉樹林の心地よさは、民族的な原風景であり、私たちの遺伝子のどこかに刷り込まれているのかもしれない。


次世代に受け伝えるべき里山の文化

 何千年にもわたる人びとの営為が、このたかだか数十年の間に失われようとしていること。同時に、薪を集め焚付けの松葉を拾い(ごかき、という)、炭を焼き、刈敷を田にいれ家畜の糞尿を落葉や刈草とともに堆肥にした人びとがまだ生きており、その思いや仕事の技を受け伝えることの機会が残されていること。里山仕事・しょんた塾の活動の原点はここにある。
 里山をまもり復活させることは、いわゆる「自然保護活動」でもあるが、同時に年寄りたちの生きて働いてきた田んぼや畑、そしてそれと一体となった里山、つまり人びとが暮らしてきた地域環境への思いを共有することでもある。あそびで始まったしょんた塾は、ここに思いを渡らせた結果、身のまわり・地域の自然環境とそれをもたらした歴史にも目を広げ、地域を愛すること自体を活動の目標に掲げている。里山はその象徴ともいえるのであり、活動の発足に際し特定非営利活動法人(NPO)の認証申請をするにあたって「まちづくり」「社会教育活動」を活動領域に加えたのはそうした所以である。