「まち むら」135号掲載
ル ポ

1杯のうどんが地域を変える
岡山県瀬戸内市 備前福岡の市出店者会/備前福岡の市圏地産地消推進協議会
食と経済が循環するモデルをつくりたい

 岡山県瀬戸内市の長船町(おさふねちょう)福岡は、吉井川の下流に広がる豊かな穀倉地帯であり、吉井川の水運と山陽道が交差する交通の要衝でもある。この恵まれた地の利に先人の努力が加わり、農商工業が発達し、中世の商都とうたわれた。この地にいま、食と農による地域経済の再生を図り、かつてのにぎわいをよみがえらせようとする活動が広がっている。
 仕掛人の大倉秀千代さんは、吉井川のほとりにある「一文字うどん」の店主。1杯のうどんを見つめ直すことから始まった地域再生の取り組みは20年を超えた。
 一文字うどんは、当時は珍しいセルフうどん店として、大倉さんの両親が1983年に創業した。10年後、地域の繁盛店に成長させた母が病に倒れる。大学進学と同時に東京に出て、恵まれたサラリーマン生活を送っていた大倉さんは店を継ぐ決断を下し、93年、家族とともに帰郷した。
「東京での充実した生活を捨てて帰るのだから、後悔はしたくない。都会ではできないことをやろうと考えていました」
 離れていた問に、ふるさとは大きく変貌していた。なつかしい農村風景は失われ、地域経済は停滞していた。
「このままではさびれるいっぽうだ。農村の景観は維持している農業が自立しなければ自然は守れない。農業を基軸にして食と経済が循環するモデルをつくろう」
 都会ではできないことを…、漠然と考えていた帰郷後の目標は、地域の食と経済の循環を生み出すことに定まった。

小麦栽培と石臼製粉によるうどんづくりへ

 早くも帰郷の半年後には野菜の栽培に着手し、翌春には稲作も開始した。
「でも、うどんの小麦は輸入でしょう?」
 野菜や米を自給し、うどんは手打ちしている。妻の文子さんが東京の友人に電話で話すと、こう問い返された。この一言が大倉さんを奮起させる。
 日本の小麦の自給率は15%にすぎない。当時は、うどん原料となる小麦のほとんどをオーストラリアから輸入していた。日本の伝統食であるうどんを、国産小麦でつくりたい。新しい目標の実現をめざして、北海道産と九州産をブレンドした小麦粉を探し当てる。しかし、「顔の見える小麦」を求める大倉さんはなおも探求を続け、隣接する岡山市西大寺市地区で細々と栽培されていたシラサギコムギに出会った。そして、種を譲り受け、自ら栽培に乗り出す。
 黄金に実った小麦を収穫した大倉さんを、製粉という課題が待ち受けていた。小麦栽培の減少につれ、各地にあった製粉所が姿を消していたのだ。ようやく探し当てた製粉所に委託していた大倉さんは、やがて石臼を導入し、自家製粉を開始する。
 0.12ヘクタールで始まった小麦の栽培面積はいま、委託生産を合わせて3.5ヘクタールに拡大。原料の100%をまかない、全量を自家製粉している。小麦を無農薬栽培にするため、二毛作をする稲作にはアイガモ農法を導入。地域産の飼料を与えたアイガモも特産品に仕立てた。

よみがえる備前福岡の市

 自ら大地を耕しながら、自給できない食材はできるだけ地域産に切り替える努力を続けた大倉さんは、店づくりを基盤にした地産地消の取り組みを、地域に広げる活動を始める。農業について学ぶ学習会、特産品開発の研究会、親子を対象にした農業体験などの取り組みは、思いを共有する生産者のネットワークと、地域食材の掘り起こしにつながっていった。
 そのネットワークを生かし、2004年に店を増築し、地域産にこだわる志ある生産者の商品を販売するショップ「福の市」をオープンさせ、「福の市出店者会」を組織する。その2年後、出店者会は、中世の商都のにぎわいを再現しようと、「備前福岡の市」を復活させた。
 「備前福岡の市出店者会」が主催する月に一度の定期市は、伝統の製法を守る味噌店、温暖な地ならではのサトウキビ工房、天然酵母のパン屋、備前焼の窯元など、個性ある生産者と魅力的な商品が、県内外から大勢の客を引き寄せる。
 そのひとり、近藤富貴子さんは、一文字うどんで使う食材や、備前福岡の市に並べる野菜が途切れないよう作付し、「近藤さんのつくる野菜は甘くて、おいしい」という客のことを思いながら丹精する。その充実した姿を見た次男の妻、美佳さんは、備前福岡の市にお好み焼きの店を出店するようになった。材料はもちろん、大倉さんの小麦粉とうどん、義母の近藤さんの野菜だ。
 11年の歴史は、ひとりひとりの出店者たちを地域経済の再生をめざす事業者に成長させ、美佳さんのような若い後継者や起業家の参加を促した。

学校給食に地場食材を

 地産地消を広げる挑戦が、学校給食へと向かったのは必然だった。2007年、「備前福岡の市圏地産地消推進協議会」が発足すると、大倉さんは会長に就任。瀬戸内市役所、教育関係者、農協をはじめとする生産者や流通業者など幅広い関係機関と連携し、実現に向けて動き出した。
 詳細な調整を重ねた末、2014年度の11月と1月に1週間ずつ、翌15年度は11月と1月に1か月ずつ地場食材給食が実施された。大倉さんも生産者のひとりとして、小麦粉を供給した。
「たまたま生産者交流会の日の献立がカレーだったので、カレールーをつくる小麦粉の生産者として紹介されると、子どもたちが『すごい』つていってくれてね」
 大倉さんは、そのときの喜びをもういちどかみしめるかのように目を細めた。
 生産者から配送業者、そして調理員と、多くの人々の手を経て完成した給食には、子どもたちへの愛情という栄養素が加えられたからなのだろう、調理場に戻った多くの食缶は空だった。残食の減少は、地場食材給食が子どもたちの胃と心を満たしたことを何よりもよく物語っていた。
 1杯のうどんから始まった地域の食と経済を再生する取り組みは、地域の未来を担う子どもたちの給食にまで広がった。それだけの成果を成し遂げてもなお、大倉さんは次のように語る。
「地域づくりにゴールはないし、一世代で完結するものではないと思うんです」
 大倉さんが地域に蒔いた地産地消の種は、出店者会に加わった若い後継者や起業者、地場産食材給食を食べて育つ子どもたちが受け継いでいくことだろう。