「まち むら」135号掲載
ル ポ

大地震・原発事故の複合災害にもめげずざる菊と清流の里づくり
福島県川俣町 小綱木地区自治会
 福島県の北部に位置する川俣町小綱木(こつなぎ)地区は、県庁所在地の福島市から約30キロメートル、太平洋の浪江町に至る国道114号線沿いの途中に位置する山間の里である。農業が主力産業で、ほとんどが兼業農家である。
 小綱木地区には現在、約200世帯、約600人が暮らしている。養蚕が盛んだった昭和の半ば頃までは1200人余の人口があり、村立の小中学校も存在し、「小綱木村」として単独の自治体を形成していた。
 しかし、高度経済成長期以降、村からの若者離れが進み、1955(昭和30)年に川俣町に合併、現在の「川俣町小綱木地区」として生まれ変わった。ただ、川俣町に合併されたものの、小綱木地区住民による「小綱木地区自治会」は継続的に運営され、独自の自治活動を行ってきた。
 廃校になった小綱木小・中学校はその後、ブランド化した“川俣シャモ”の加工場として蘇り、地域活性化の中核施設として新たな雇用も生まれた。

希望の花が咲く

 2011(平成23)年3月11日、東日本を中心に大規模地震が発生した。いわゆる、3.11東日本大震災である。
 小綱木地区にも、大地震による被害がもたらされた。しかし、一部に土砂崩れ被害はあったものの、ほとんどの家屋が持ち堪えた。住民みんなが、ホッとした。
 だが、次なる災害が小綱木地区住民を襲うことになる。3.11の大地震に端を発して、東京電力福島第1原子力発電所が爆発事故を起こす。大量の放射能が福島県内だけではなく、遠くは関東地方や東京、中部圏に至るまで流れた。
 それ以降、福島県は東電福島原発が立地していた太平洋沿岸地区を中心に「避難地区」に指定され、未だに避難生活を余儀なくされている。
 小綱木地区は、原発避難地区から除外されたものの、隣接する川俣町山木屋地区や飯舘村は、「避難地区」に指定された。これが、「地域分断」の始まりであった。隣接する飯舘村や山木屋地区の住民には、放射能汚染による損害賠償が行われることになった。だが、地域指定から外れた小綱木地区には、何も補償がなかった。
 住民の多くは、「放射能が小綱木でピタッと止まるなんてあり得ねえ。被害だけもらって、理不尽だ」との思いを強くした。稲作や野菜作りを断念する農家も出てきた。
「このままでは小綱木地区が消滅してしまう。何とかしなければ…。住民が元気を取り戻す妙薬はないものか…」
 3.11当時の小綱木地区自治会長・佐藤輝彦さん(68)は、仲間と連日語り合った。
 ある日、仲間の一人、佐藤武二さん(67・現在の自治会長)が「芹の沢集落の村上孝さんが“ざる菊”という珍しい品種の菊づくりを始めている。初めて見たが、見事な菊の花だった。村上さんに協力をお願いして、小綱木地区の集落全部を“花いっぱいの里”にしていこう」というアイデアを提案した。
 “ざる菊”は、笠菊の一種で正式名称は「クッションマム」という。主として、神奈川県小田原市で栽培され、注目されるようになっていた。小田原市に住んでいた小綱木地区芹の沢集落出身の村上孝さん夫婦が、余生を故郷で暮らそうと、今から10年程前、芹の沢集落にUターンしてきた。村上さんは、小田原から20株のざる菊の苗を取り寄せた。それを畑に移植、コツコツと株分けをして増やしていった。赤や黄、白など5色のざる菊が2000株まで増え(現在は約5000株)、3.11の2年後、全国紙に「復興への希望の花が咲く」と紹介された。2013(平成25)年秋、小さな集落に全国から約1万人もの観光客がこぞって訪れるようになってきた。

“ざる菊と清流の里”づくりが始動

 たった一人で始めたざる菊畑に端を発して、先の佐藤武二さんの提案は、すぐに行動となって動き出した。放射能汚染で下を向いてばかりでは、小綱木地区の明日はない。
「堂々と胸張って生きられるよう、花いっぱいの里づくりをしていこう」
 小綱木地区自治会は、一丸となった。3.11の2年後、福島県の地域づくりサポート事業の助成を受けることができ、自治会会員から女性5人、男性5人、合わせて10人による「小綱木地域活性化計画策定委員会」(清野賢一会長、菅野京子副会長)を立ち上げた。
 昼はみんな働いている。夜間での会合しかできない。午後7時から地区の集会所に参集し、ワークショップを重ねた。時には、夜の10時近くまでに議論が白熱した。地域内を改めて歩き回り、先進地視察も行った。自分たちの足で小綱木地区を歩き回ってみると、これまで何気なく見ていた光景が別の風景に見えてきた。集落ごとに丹精を込めて手入れしている花壇や庭木、滝が幾重にも連なって流れている「長滝川」など、地域の“宝物”が次々に再発見された。
 同委員会は、1年がかりで手作りの計画書をまとめ上げた。メインテーマは、「ざる菊と清流の里づくり」。
 具体的な事業は、@村上家の「ざる菊園」への支援と活用、A集落・沿道花壇の充実・拡充、B長滝川(清流の里)の整備と観光化、C地域活性化イベント(こつなぎ花祭り)の企画・開催など。
 計画策定後、継続的に事業を実践に移していくため、計画策定委員会を衣替えして「こつなぎ花と清流の里づくりプロジェクトチーム」を発足させた。このプロジェクトチームは、現在も地域活性化に奮闘している。
 プロジェクトチームが中心となって最初に行ったのは、「こつなぎ花祭り」。2014(平成26)年秋、1回目の花祭りが開催された。地区住民だけではなく、川俣町の市街地住民や近隣住民、「ざる菊園」に観覧に訪れていた人々も参加して、大成功をおさめ、毎年開かれている。
 花祭りでは、川俣シャモ肉加工場を運営する川俣町農業振興公社の協力を得て、「シャモはっとう汁」という食品開発に成功、参加者に無料で振る舞った。大好評だった。地域資源を活用した特産品開発の手がかりも得た。
 住民の自主的な活動も、活発化してきた。小綱木地区には住民間の親睦を目的とした「喜楽会」(清野賢一会長)という団体がある。喜楽会では、自主的に「ざる菊園」の草刈り作業や、観賞時期での駐車場案内係を買って出るようになった。自治会だけではなく、地域住民一丸となった取り組みへと発展している。
 3.11から6年目、原発被災地にもようやく一条の光が差し始めている。