「まち むら」134号掲載
ル ポ

まちを音楽で包む一大フェスを四半世紀開催し続けて
宮城県仙台市青葉区 公益社団法人定禅寺ストリートジャズフェスティバル協会
実行委員会組織から4か月でフェスティバル実施

 9月前半の週末、夏の暑さから解放された仙台のまちが音楽に包まれる。現代の「杜の都」を象徴するケヤキの大木が立ち並ぶ定禅寺通りを中心に公園で、ビルの前で、商店街で、数々のバンドが2日間にわたって音楽を奏でる「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」(以下、JSF)。初回(1日のみ開催)は出演バンド25、ステージ9か所、観客5千人だった「おまつり」は、25回目の2015年(2日間)には730バンド、92ステージ、観客70万人という規模に発展した。
 主催する公益社団法人定禅寺ストリートジャズフェスティバル協会(旧・同実行委員会)は、商店主、企業幹部、音楽家などまちづくりを考える人たちを中心に構成される。イベント業者などでないにもかかわらず、広範囲に多数設置されるステージ、各地から集まるプレイヤー、好みのステージを求めて移動する大勢の観客、たくさんのボランティア……、仙台市人口の7割にも及ぶ人々が集まる「おまつり」を、四半世紀以上にわたって開催し続ける手腕がみごとだ。
 発端は、定禅寺通りに面した再開発ビル「141ビル」のホールで継続的に開催されるジャズコンサートでピアノを演奏していた榊原光裕さん(現・公益社団法人定禅寺ストリートジャズフェスティバル協会代表理事。ピアニスト・作曲家・編曲家)とビルの管理会社に勤務する後藤政彦さん(当時)の「何かおもしろいことをしたいね」という会話だった。夢を構想に仕立て、91年に十数人で実行委員会を設立すると、4か月後に第1回JSFを開催した。「社会的にも『イケイケの時代』で(笑)、私もそういう性格ですので『まず、やってみようよ』と始めました」と榊原さんは振り返る。

大規模な「おまつり」を支える地道な作業

 主観かもしれないが、JSFは賑わい具合がちょうどいい。人は多いが混雑が苦痛ではなく、ステージ同士は音が混じらない距離に置かれ、ぶらぶら歩いていると別の音楽が聞こえてきて、ほどなく次のステージに着く。空間とその中の人や音のバランスが絶妙なのだ。
 その陰では、膨大なアナログの作業が行われていた。バンドすべてについて楽器配置図と音源(映像)による選考を行い、入れ替わりがある会場には毎年ロケハンを実施する。
 また、事業費、管理費合わせて約6千万円の予算(平成27年度実績)についても、市民のカンパや寄付、サポーターズ会員会費、企業協賛、出演者負担金、印刷物広告負担金、グッズ販売等の事業収益、補助金などで賄うが、約6分の1を占める企業協賛は実行委員が一軒一軒訪ねて直接依頼、その他に街頭募金にも立つ。予算計画を含む運営のシステムができたのは8年目頃といい、それまでは計画を立てて進めながらも「(資金が)足りなくなったら自分たちで出そう」との覚悟で臨んでいた。
「あまり器用ではないのかもしれません」という表情には、ことばと裏腹な自信が窺える。器用すぎないやり方から得られるメンバーの理解や体感に意義を認め、その過程を大切にしてきた。会議も週2回、当日が近づけば毎日、時には夜を徹して行われ、翌日仕事があっても時間を作って集まる。「なんでそこまで……」と言った後、「開催が2日間になったときもみんなひーひー言っていて『もう、やめよう』という言葉も出ましたが、それでもまたやるのです。さすがに拡大したいとは思っていないみたいですが、縮小しようとは言いませんね」と愉快そうに笑う。意地や誇りもあるだろうが、一番の気がかりは企業協賛。規模縮小→客数減少→協賛の減額という図式は避けたいのである。ついでながら、第1回以来毎年仙台市関係の補助金を受けているが、県からは一度もない。「逆に、自分たちでやれているというのは誇りでもありますが」と苦笑した。
 認知度が上がってきた頃、ある大企業から「冠協賛(単独)しますよ」とオファーがあった。しかし、当時の実行委員長・鎌田栄一さんが「普通協賛(他社と並列)でしたらいただきます」と辞退した。この話をするとき、榊原さんは「鎌田さんが守った」ということばを選んだ。「JSFは自分たちの想いだけでなく、みんなが集まってやる手づくりのおまつり。イベントではなく、あくまでもおまつりなのです」その認識が情熱の源のようだ。

観客も一緒に作るフェスティバル

 JSFについて少し補足しよう。まず名称は、「定禅寺ストリート/ジャズ」ではなく「定禅寺/ストリートジャズ」が正しい。ストリートジャズはJSF発の造語で、アメリカ生まれの自由な精神と表現の音楽、ジャズの精神を受け継ぎ、定禅寺から新しい音楽・文化を創造していきたいという想いが込められている。現在では各地に広まり、これまでいくつかの団体がこのことばを使わせてほしいと挨拶に訪れている。
 JSFでは、ジャズを音楽の1ジャンルではなく、「本来、音楽は屋外で行われ、人と人との出会いの場」という榊原さんの考えに沿って、「柔軟性に富みコラボすることを楽しむ」精神を指す。ジャズだけでなくロック、アコースティック、和楽器までと実に様々な音楽が奏でられ、出演者も北海道から沖縄まで、ときには海外からもやって来るフェスティバルは、正にそれだ。
 入場無料、どれだけ聴こうと、踊ろうと自由。2日分の全会場や全バンドが載るパンフレットを手に、音楽を楽しみ、そぞろ歩く人々の姿は、一般客なのに格好いい。
 そして、これほど人の動きがあるのに酔った人の転倒や熱中症以外にケンカもトラブルもないという。「事故が起きると開催できなくなるのでご協力くださいと呼びかけていますし、お客さんたちも理解してくれていると思います。お客さんも一緒に作っているフェスティバルなのです」と、あくまでも在り方を大切に考える。終了後には「開催前よりきれいにして帰る」と街中を大掃除することも「みんなのおまつり」らしい。

「奇跡」を起こすみんなの力

 初回が終了したとき、すぐさま出演者たちから「おもしろかったね。またやろうよ」の声が出たそうだ。実行委員会形式でスタートしたJSFも、現在では有給の事務局員が3名常勤するが、ボランティア、実行委員などたくさんの人が無償で開催を支える。事前の会場探しから終了後の報告書作成や記録写真展開催まで、活動は1年中続き、実行委員の仕事は多い。
 2015年、運営の安定を目指し、数年かけて実行委員会を公益社団法人化した。定款には、目的として「音楽や表現活動の喜びを分かち合う」「活動を通して、まちづくり推進と、文化・芸術の振興を図り、子供の健全育成に寄与」などを掲げ、JSFの子供版「ジュニアジャズミーティング」の開催や、専門学校と連携して学生たちにボランティアを体験してもらうなど、様々な手法を模索している。
「みんなの力が集結しないと無理です」と榊原さん。「毎回奇跡が起きている」ということばは、決して大げさではない。