「まち むら」133号掲載
ル ポ

大人の真剣な遊びで輝く 火縄生産量日本一の小さな集落
岩手県住田町 五葉山火縄銃鉄砲隊伝承会
知られざる日本一の歴史の発覚をっかけに

 岩手県南東部の住田町。周囲を囲む山々のなかでも標高の高い五葉山の麓で、火縄銃を軸にした活動が行われている。「五葉山火縄銃鉄砲隊伝承会」、名称は少々しかつめらしいが、その活動はユニークで真剣、そして明るく誇り高い。
 藩政時代、岩手県の大部分は南部藩だったが、県南部は伊達藩に属し住田町はその北端にあたる。内陸と沿岸を結ぶ街道が通り、藩境近くは金山、鉱山等に恵まれていたため、厳重な警備が敷かれていた。伊達藩は巨大鉄砲藩として知られ、火縄の原料となるヒノキを多産する五葉山は「檜山」とも呼ばれ、藩が守護する「御用山」であった。それにちなんで名付けられた麓の桧山集落には藩から特別に数丁の鉄砲が貸与され、自衛の鉄砲隊が組織されていた歴史がある。
 しかし現代では、狩猟で鉄砲を使う猟師の文化は継承されていても、火縄の歴史を知る人はいなかった。そこへ平成2年、日本鉄砲史学会会員・火縄銃研究家の川越重昌氏の調査で桧山が火縄生産量日本一だったことが明らかになる。これが、過疎化、高齢化問題に直面し、将来に明るい材料を見出せずにいた山村の小さな集落に風を起こした。

伊達家家紋の使用を許された「平成の家臣」に

 史実は地域に誇りを芽生えさせた。早速同年夏、地元の「滝観洞(ろうかんどう)まつり」に砲術の森重流一門を招聘、住民たちは初めて火縄銃演武を目にする。「住田町」に初めて響いた銃声は有志の心を揺さぶり「先祖供養と先人が築いた業績に感謝を捧げる証として鉄砲隊を『復活』させ、歴史文化遺産の保存と伝承に取り組みたい」という想いから伝承会設立に向けて準備開始、翌年2月11日「五葉山火縄銃鉄砲隊伝承会」が誕生した。
 活動の中心は、火縄銃演武の披露・伝承である。まずは森重流に砲術を学び、免許皆伝となった。当初は定期的に練習を行ったが、現在は、新人が入隊したときや、鉄砲隊の指揮官である鉄砲頭が必要と判断したときにのみ行う。空砲とはいえ火薬を使用するため、絶対に事故があってはならない。不発時の対応をはじめとする技術も大切だが、何ごともないときの気の緩みは最大の敵だ。気を引き締めるための練習をする。
 古武道は、現代ではスポーツや芸術文化として確立され、実弾を使わない火縄銃は後者となる。「上手い人は、手順が正確で、さらには速さと所作の美しさがあります」と事務局の高萩政之さんは話す。自身は平成12年住田町にUターンして就職した後、入隊している。
 同継承会は初期に、砲術の習得と共に二つのことに取り組んだ。ひとつは、町内の各個人宅で使われずに保管されている火縄銃を探すこと。鉄砲刀剣類とあいて品として登録、銃の復元保存を図った。もうひとつは甲冑づくり。川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の寺田勝廣会長に指導を仰ぎ、平成4年2月に「桧山よろい工房 羅象館」を開設した。「みんな面白がって参加しており、甲冑も仕事が終わると夜な夜な工房に集まって作業していたそうです」と高萩さんは誇らしげでさえある。
 甲冑は、鉄板を伸ばし、体型に合わせて曲げて組み立てるが、薄く伸ばす作業がむずかしく、既製品であれば15キログラム程度のところを自前のものは20キログラムにもなった。製作経験者20名、そのうち現在も活動しているのが10名だが、年齢を重ね、重量級甲冑の着用が厳しくなっているという。しかし、出来映えはどうであれ、自分で作ることに意義があった。
 演武披露を始めたのもその年だった。1年目から年に9回もの披露の機会に恵まれ、県外にも出向いた。平成6年6月にはなんと伊達家18代当主・伊達泰宗氏が住田町を来訪、御前演武が実現する。同年9月からは、隊員の縁で登米伊達家のある登米市でも毎年演武を披露、翌年からは仙台市の青葉まつりにも参加することになった。泰宗氏から伊達家の「竹に雀」の家紋使用を許され、「平成の家臣」に認可、さらには殿の着付けの手伝いに呼ばれるほどの主従関係を築いている。

合意形成に努める戦略が多くの参加や応援として結実

 現在、会員は20〜80代の47名、男性9割以上、町内在住者9割程度、会長等の役職がある「伝承会」と、奉行や目付が並ぶ「鉄砲隊」の二つの組織が併存する。火縄銃に係る活動は前述の通りだが、背景に地域活性化の希望を控え、少しでも多くの人々を巻き込もうと活動を続けてきた。
 まず大切にしたのは地域の合意形成だった。伝承会設立後も住民たちと話し合いを重ねた。人口減で地元の郷土芸能存続が危ぶまれるなか「どうせ続かないだろう」と否定的な見方もあったが、郷土芸能と違い地域外からも参加できることから、有志たちは成果に期待を持っていた。
 設立メンバーには、現・町長の多田欣一氏や観光関係の事業を営む千田明雄氏など、予てより地域活動で成果を上げてきた人たちがいる。千田氏は『地域づくり 平成19年12月号』(一般財団法人地域活性化センター発行)の誌面で、夢を失うことの危機感と真剣に遊ぶことの重要性を語っており、実際、生き生きと活動する有志たちの姿を見て、難色を示していた地域に合意さらには応援の機運が醸成されていった。
 それから女性への配慮。演武は女性にも門戸を開いているが、現況は全員男性だ。女性が楽しめる場は他にあり、県外イベントに同行したり着付けを手伝ったり、出陣演武のときに必ず食す「よもぎまんじゅう(大福)」ほか特産品を作る「火縄の里母ちゃんの会」が結成され、地元ゆかりの手作りおやつを開発してイベントや道の駅などで販売、別の形で輝く時間を共有している。「男だけ遊んで生き生きしても、家で奥さんにやっかみ言われて家庭がうまくいかなくなってはいけない」と考えて掲げた「夫婦で楽しめる」という自慢のコンセプトがみごとに奏功している。
 一方で男性たちも土産品開発を試み、絵馬を製作している。細部にこだわり、縄は綿100%、「板に付ける焼き印も、焼き鏝をガスで熱すれば早いのに『やっぱ炭だよね』と炭を起こして作りました」と終始笑顔の高萩さんは、次の瞬間「でも、まだ1個も売れていないんです」と言って声を立てて笑った。伝承会のカラーが窺える。
 演武では鉄砲隊が出かけて行くことが多いが、今後はもっと地域に人を呼び込みたいと考えている。その一環として平成16年からはツアー対応に取り組み、演武の練習見学や歴史解説のほか、模造銃を持たせたり鎧を着せたり、母ちゃんの会の菓子でもてなして参加者たちをよろこばせてきた。もうひとつは、火縄綯(な)いの習得。綯い方が通常の縄とは違い、使用に耐えるものを綯える人が少なくなった今、火縄の里としてその文化を後世に残したい。
 いくつもの戦略を実行しながら「大上段に構えて地域おこしをしてきたつもりはない」「経済活動だけが重要ではない」という。演武の際は現代的なものは身に付けず旧南部領での演武は「南部攻め」と呼び、楽しむことに手を抜かず真剣に遊び、自分たちが輝いて見せる。実以てカッコいい「男伊達」ぶりである。