「まち むら」132号掲載
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全住民に提供される十分な「情報」が「自助・共助」の「3日間」を支える
千葉県習志野市 本大久保ホームタウン自治会自主防災会
はじめに―「実践的自主防災活動」でトリプル受賞を達成

 今回ご紹介する「本大久保ホームタウン自治会自主防災会」(以下、防災会)は、「IT技術を活用した実践的自主防災活動」が認められ、平成26年の「第18回防災まちづくり大賞」で、千葉県内初となる「総務大臣賞」に輝いた。また同年、「千葉県地域防災力向上知事表彰」、「防災功労者内閣総理大臣表彰」も受賞している。
筆者が、埼玉県熊谷市の自治会長県外研修で千葉を訪れた際、防災会の取り組みについて貴重なお話をうかがい、すぐに本欄への寄稿を思い立った。

不安定な地盤に悩まされた住民の「漠然とした不安」

 本大久保ホームタウン(以下、団地)は、千葉県習志野市のほぼ中央に位置する。元々、水田や畑のある低湿地だったところを盛土で埋め立てた、約420棟の一戸建て分譲地だ。地盤が不安定だったため、昭和55年の入居開始当初から不等沈下が発生し、住民にとって悩みの種であった。
 団地に自治会が発足したのは、10年余り経った平成3年。それまでは「ただ住んでいるだけという感じ」だったと、防災会の企画部長でIT担当を務める川谷聡さんが、かつての印象を話す。
 自治会の活動は、徐々に活発になった。きっかけは、平成14年に「コミュニティハウス」が開館したことだった。気軽に立ち寄れ、様々なサークル活動を行える場所ができたことで、住民の交流は急速に進展したという。団地の公共下水道整備が済み、不要となった汚水処理場の跡地に建てられたこの建物は、元々強固な基礎を持っていたことから、災害時の拠点としての役割を担うこととなった。地域住民の間には、かつての不等沈下の経験から、地震に対する弱さ、集中豪雨による水害などの不安が、漠然とあったという。

自主防災会の結成から10年後「専任体制」へ

 平成7年に起こった阪神淡路大震災の教訓を得て、全国的に組織化が進んだ「自主防災組織」が、平成10年、団地にも結成されることになった。
 当初、防災会の体制は、自治会役員が兼務する形でスタート。消火器訓練や救急救命の講習、非常食の備蓄などが行われたが、毎年交代となる役員構成では、取り組みの充実に限界があった。
 結成から10年が経った平成20年、防災会は重要な転機を迎える。前年の自治会長で、現在、防災会の会長を務める長谷川清次さんの提案で、自治会とは別に、専任の防災委員体制を整えることとなったのだ。
 サラリーマン世帯がほとんどを占める団地も、完成から20年が過ぎ、仕事をリタイアした住民が増えつつあった。そうした世代を中心に、日常的に活動するコアメンバーである「防災委員」を組織。現役世代や女性には、緊急時のみ出動する「協力委員」を依頼した。毎年公募を行うことで、徐々に人数を増やし、現在は防災委員33名、協力委員42名の体制となっている。

「防災委員」と「協力委員」で役割分担―ITを活用した情報収集と発信

 この二つの委員を中心にした役割の明確化が防災会の特色のひとつだ。
 「防災委員」の役割は、迅速な状況把握と正確な情報発信、これらに基づく現場対応の指揮である。災害が発生すると、発電設備を備えたコミュニティハウス内に「防災センター」を設置し、四つに分けられたブロックを担当する防災委員から状況報告を集約する。これには、平時の反復訓練が不可欠で、人員の初動配置や、パソコン・携帯電話・簡易無線機の操作方法を、毎月必ず確認する。
 災害時にはこの防災委員がリーダーとなり、緊急時のみの出動となる「協力委員」が加わり、初期消火、応急救護、炊き出しといった現場の対応を行っていく。
 さらに、ITを活用した防災体制は、防災委員の間だけでなく住民向けにも整備改良を進めている。
 例えば、防災会のホームページ内(文末URL参照)にある「防災ネット」には、防災センターから住民へ情報を発信する掲示板、携帯電話会社が設置する「災害用伝言板」へのリンクがある。「助けて!メール」は、宛先が自動設定されていて、班と名前と状況を記入すると、住民から防災センターにメールが届く仕組み。これらの利用方法については、住民向けの「防災IT講習会」や、防災訓練時の模擬運用で、定期的に周知が図られている。

東日本大震災で実践された取り組みと浮かび上がった課題

 平成23年の東日本大震災の際、こうした日々の訓練が、大きな効果を発揮した。
午後2時46分の地震発生から、わずか9分後に「緊急招集メール」がメーリングリスト方式で発信されると、すぐに各委員の現在位置がメールで返ってきた。
「大規模な災害後でも、パソコンや携帯電話のメールがすぐに使えなくなることはあまりありません。メーリングリストは、すべてのやりとりが一斉に配信されるので、情報共有には非常に有効でした」
 防災会の川谷企画部長が当時を振り返る。川谷さんは震災時、職場にいたため、団地に戻れない旨を報告した。「メールですぐに把握できたので、混乱はなかった」と長谷川会長は言う。
 午後3時15分には「防災センター」が立ち上がり、ブロック担当の防災委員から被害状況の報告が集まり始める。電話やメールは繋がりづらくなっていたので、簡易無線機がとても役に立った。
 現在、防災会に6台ある簡易無線機は、防災会長と4ブロックの担当防災委員の他、「スクーター担当」の防災委員に貸与されている。東日本大震災の発生後、ブロック塀の倒壊や道路の亀裂などが報告されていたため、団地内を自動車で走行することは危険だった。たまたまスクーターを所有していた防災委員が巡回をしたところ、住民の中から「安心した」という声が多く聞かれ、以降、防災委員の役割として継続することとなった。
 このように、初めての実践経験とも言える震災を経て、改善された点は他にもある。防災会副会長の徳野勤さんが製作した「安否確認プレート」の運用もそのひとつだ。
 自治会役員、防災委員が担当ブロックの安否確認をする際、各戸を訪ねる時間的余裕はなかった。そこで、あらかじめ全戸に緑色のプレートを配布し、被害のない住民はそれを門扉などに掲示するよう依頼した。訓練をしてみると、役員はひと目で状況をつかむことができ、情報収集速度が飛躍的にアップしたという。

まとめ―不足する「物資」よりも、十分な「情報」を日頃から提供する

 災害発生からおよそ3日とされる「自助・共助」の期間に何ができるか。防災会は、常にこの課題を実践的に追求しているという。その結果として着目したのが「情報」の提供なのではないだろうか。
 食料、水、毛布などといった「物資」の備蓄では、おそらく災害時に全住民分を賄うことはできない。しかし、これらを各戸で準備しておくように呼びかける「情報」は、普段から十分に、何度でも提供できる。
 避難場所はどこか、消火器はどこにあるか、といったことから、防災訓練で得られる経験や知識、それ以外の様々な行事で出会った新たな顔見知りまで、すべては住民にとって貴重な「情報」となる。地域における「IT」の役割は、決してデジタルな領域だけにとどまるものではないのだと、防災会の活動に教えられた気がする。