「まち むら」129号掲載
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キーワードは「生涯学習」と「ノーマライゼーション」
介護、療育、国際交流まで多様な事業展開
埼玉県朝霞市 特定非営利活動法人メイあさかセンター
平日は毎日開く「ミニデイサービス」

 朝霞市は、埼玉県の南部に位置し、都心へのアクセスが良好であることから、今も人口増を続ける住宅都市である。
 今回紹介する「メイあさかセンター(以下、センター)」は、国税庁の認定(現在は埼玉県の認定も)、埼玉県の条例指定を受ける特定非営利活動法人(NPO)で、「生涯学習」と「ノーマライゼーション」をキーワードに実に多様な事業を展開している。
 センターでは、平日の午後は毎日、ミニデイサービスを行っているということで、その時間に合わせてお邪魔し、代表理事の尾池富美子さんにお話をうかがった。朝霞市役所から、地域づくり支援課の山守達也さんにも同席いただいた。
 「事務所も兼ねているので、手狭なスペースですが、駅から近いし、大家さんや近隣の方がとてもいい人なので、移る気になれないんです」と尾池さん。
 取材中、次々に女性高齢者が訪れてきて、室内はまさに満員状態に。その日は、空き牛乳パックを使った椅子づくりなどが行われ、手を動かしながらの活発な「おしゃべり」は、インタビューの傍らで途切れることなく続いていた。90歳になる女性もとてもお元気で、認知症・介護予防に、大きな効果があると感じた。
 このミニデイサービスは、「高齢者生きがい支援通所サービス事業」として、市から家賃・光熱費などの補助金を受けており、男性高齢者が集まりやすいサテライトサロン(パソコン教室などを実施)と2か所で運営されている。どちらも平日は毎日開いているのが特長で、ボランティアベースの取り組みとしては、稀なケースではないかという。
 他にも高齢者、知的障がい者が一緒に療育音楽を楽しむ月例会や、NPOの設立申請手続きについて専門家(行政書士)が支援するセミナー開催など、センターの幅広い活動は枚挙にいとまがない。

28年間続く、マレーシアとの国際交流

 そんな中、特筆すべき取り組みとして、ぜひ紹介したいのが、児童画をツールにしたマレーシアとの国際交流事業―「絵を通じての友好」である。
 この事業が始まったのは昭和62年(1987)のこと。尾池さんのご主人が同国に単身赴任していたことがきっかけだった。お世話になったマレーシアへ、何か恩返しできることはないかと「家族会議」で話し合い、絵であれば、言葉や文化の壁を越えてつながり合えるのではないかと思い至ったという。
 地元の小学校から、児童が図工の授業で描いた作品を提供してもらい、76点をスーツケースに詰めて、尾池さんはマレーシアに向かう。しかし、当時のマレーシアは、教育環境も開発途上で、作品の交換に応じてくれるかどうか、全く見通しが立っていなかった。1か月半の滞在期間中に30点の児童画がマレーシア側から提供されて、日本に持ち帰ることができた。記念すべき第1回の児童画交流がこうして始まったのである。
 1980年代初めから、マレーシア政府は「ルックイースト政策」を掲げ、日本との交流推進に非常に積極的であった。そうしたタイミングにも恵まれ、国の教育省や州の教育局を巻き込んで以降、毎年2回のペースで、これまで54回の作品交換を重ねている。

貴重な作品を展示、保存していく苦労

 「作品を提供し続けてくれる両国の学校、先生、保護者の協力には深く感謝しています」と語る尾池さん。だからこそ「作品を丁寧に扱うことが重要」と強調する。「子どもたちの絵は、どれも世界にひとつしかない貴重な作品です。返却することはできませんが、お互いの国で大事に展示・保存されていることを知ってほしいのです」
 児童画には1枚1枚、厚紙で補強する簡易額装が施され、さらに児童名、作品の題名が翻訳されたカードが添付される。交換される作品が、1年に4000点にも及ぶ現在では、それだけでも気が遠くなるような作業である。
 交流開始時にはスーツケースに収まっていた作品も、現在では幾梱包にもなり、渡航時は苦労している。
 さらに、子どもたちに「貢献」を実感してもらうためにと発行しているのが「ピンクの賞状」として両国で親しまれている「国際友好賞状」。マレー語・日本語で併記されているこの賞状には、在ペナン日本国総領事、マレーシアの教育局長、図書館長、学校長など、作品が贈られた州の教育行政関係者の署名が並ぶ。
 これまでに発行した賞状は、およそ5万枚。親子で持っている例も珍しくない。子どもたちは「ピンクの賞状」を楽しみに待っていて、時には学校から催促があることも。
 「国際的に、署名は重い責任を伴うものですから、発行にも慎重を期します」―そのため、賞状を受け取る児童の氏名を一覧にして提出するそうで、その作業にも両国学校の協力が不可欠だという。
 絵画交流事業の20周年記念に、センターが編集した児童画集を見せてもらった。絵画教育ばかりでなく、マレーシアの生活文化の発展の過程を知る上でも貴重な資料だと思った。

児童画から人的交流へと大きく発展

 「朝霞を児童画であふれるまちにしたい」というのが尾池さんの夢だ。バスのラッピングや壁面タイルなどで、これまでの作品を町並みの中にアーカイブすることができたら、地域の宝になることは間違いない。思わず筆者から、同席していた市職員の山守さんに「前向きな検討」をリクエストしてしまった。
 「私たちのような、小さなNPOだけでできることではありませんでした。第1回の交換からずっと、様々な協力者との良い出会い、つながりがあったからこそ続けてこられたと思っています」―児童画だけにとどまらず、両国の生徒・教師などが、相互訪問する人的交流にまで広がった事業の四半世紀を超える歴史を、尾池さんはこう振り返る。

どの事業もわが子のように愛し、育てる

 年齢やハンディキャップの有無、民族、文化といった様々な違いを超えて、人と人とを「つなげていく」のがセンターの役割と言えるだろう。
 「メイあさかセンター」の「MAY」は、尾池さんのお子さん3人のイニシャル。現在は独立され、朝霞市、さいたま市、マレーシアにお住まいとのことだ。その話を聞いて思った。多様に思える事業が、どれもわが子のようなものであり、分け隔てなく慈しみ、成長を見守る楽しみが、今も尾池さんたちの原動力になっているのかもしれないと。