「まち むら」128号掲載
ル ポ

歴史ある桐生織物産業の結晶―「からくり人形芝居」
文化の保存と技術の継承に取り組む
群馬県桐生市 桐生からくり人形芝居保存会
織物の町として繁栄を誇った桐生市

 古くは奈良時代に、朝廷への貢物に用いられたという記録も残る―織物の町・桐生。「西の西陣、東の桐生」と並び讃えられ、江戸時代から昭和初期までは国内でも指折りの隆盛を誇った。
 往時の繁栄をうかがわせる、古き良き町並みは、桐生市の中心部である天満宮地区、本町1・2丁目地区に近代化遺産として保存されている。中でも、江戸中期から大正時代にかけて、醸造所の倉庫群だったという一帯が、現在「有鄰館」として、市の重要伝統的建造物群(重伝建)保存、文化情報発信の拠点となっている。
 今回訪れた「桐生からくり人形芝居保存会」(以下、保存会)の活動場所である「芝居館」も有鄰館の中にあり、かつてはビール蔵として使われていたそうだ。

昭和に3回だけ作られた、幻のからくり人形芝居

 現在、保存会は毎月第1、第3土曜日に芝居館での公演を行っている。移動舞台も用意してあり、依頼を受けて、出張公演することもあるという。
 館内にある常設の舞台は三つ。一つは「曽我兄弟夜討」を通年の演目にしており、残り二つの舞台では「忠臣蔵」と「助六由縁江戸桜」、「巌流島」と「羽衣」が半年替りで上演される。また上演前の説明には「弁慶五条橋」が用いられ、観客が実際にひもを引いて、人形を動かす体験ができる。
 舞台と客席の周りには多数の展示ケースが並ぶ。陳列されているのは、昭和3年・27年・36年に制作、披露されたオリジナルのからくり人形48体である。筆者はまったくの素人だが、それでもひと目で、この人形の出来栄えには驚いた。生き生きとした顔や手の表情、色鮮やかで緻密に作られた衣装、間違いなく後世に伝えるべきものだと強く感じた。案内してくれた事務局長の紙谷隆三さんによれば、「人形の価値が見直されるまで長かった。一旦は散逸してしまい、まだ行方不明のものも多数ある。ここまで集めるのも大変だった」という。
 そもそも、からくり人形芝居は、桐生天満宮臨時大祭の御開帳において、飾り物として披露されたものであった。神社の古い記録によると、江戸末期から9回は行われたとされる。特に、昭和3年と27年は「この町の景気がとても良かった年」で、天満宮の臨時大祭は、そんな年にだけ、不定期に開かれていたのだという。4月から5月にかけて2、3週間続くお祭りで、その賑わいは相当なものだったそうだ。本町の1丁目から6丁目の各町会が、大金をかけ、競うように豪華なからくり人形を制作し、お祭りの開催中に芝居を披露した。
 昭和36年の御開帳は「景気を良くする願いをこめて、無理をしたのかもしれない」というのが紙谷さんの説明だった。実際、この年を最後に、からくり人形芝居は桐生から、長く姿を消してしまう。

人形の保存と、からくり芝居の復元は「二足のわらじ」

 人形保存と芝居復活のきっかけが訪れたのは、それから30年以上経った、平成9年のことである。この年、桐生を訪れた日本人形学会一行は、残されていた人形を見て、「気絶するほど貴重だ」と絶賛した。学会から「自覚を持った活用をしてほしい」と強く要請され、保存会の前身、「桐生からくり人形研究会」が発足した。
 貴重なオリジナル人形の保存だけでなく、レプリカを新たに作り、からくり人形芝居そのものの復活にも取り組んでいるところが、この会の特色であると思う。
 当時の舞台装置はもちろん、図面、台本などは全くと言っていいほど残されていなかったが、昭和27年の写真と、昭和36年のフィルムが見つかり、当時の様子をうかがい知ることができた。あとはオリジナル人形の仕組みを徹底的に調べることにより、すべてを一から作り上げたのである。
 時計職人、こけし作家、織物工場主、大学教授など多彩な顔ぶれの市民が集まり、その技術と知識が生かされて、最初の演目「曽我兄弟夜討」が完成したのは、平成10年12月だった。三場の芝居が、開幕から閉幕まで全自動の電動からくりになっている保存会自慢の力作である。
 その後も人形と舞台装置の制作は続き、現在までに37体のレプリカ人形、先に述べた6演目が完成している。

伝統と創造を両立する取り組み

 かつてのからくり人形芝居は、景気のいい年に、町内の旦那衆が金を出し合い、いわば道楽のようにやっていたことかもしれない。祭りが終わって赤字になれば、それを補てんするために人形や舞台を売り払ってしまった。それがために、貴重な資料は散逸したが、「粋な遊び」だったとも言えるだろう。
 会員の中には、戦後のお祭りを経験した人が多くいる。その思い出を尋ねると、「自分が〈からくり〉に関わるとわかっていたら、もっと一生懸命見ておくべきだった」と一様に悔やんでいたが、紙谷さんはこう語ってくれた。
「娯楽の少なかった当時、からくり人形芝居は、人々に強い感動や感激を与えたに違いありません。私たちも、歴史の保存や再現だけでなく、新しいからくりと芝居を生み出すことで、町の皆さんに感動を届けたいのです」これがまさしく保存会の願いそのものだろう。

後継者探しが最大の課題

 最後に、会長の石関博さんから、「後継者探しが最大の課題です」という話を聞いた。「仇討ちやチャンバラだけでは教育上良くない」ということで、現代に合った演目も構想中だという。古典落語ファンの筆者からすると、忠臣蔵や曽我兄弟を知らない世代が出てくるのは寂しい限りだが、確かにどんな大衆芸能も突き当たる壁と言えるだろう。
 また、「ものづくり」の楽しさを子どもたちに広めていくことも重要だと考え、保存会では、小学生を対象にした工作体験教室を出張開催するようになった。現在では、市内の約半数の小学校で行われているという。「からくりはロボットにつながる技術」というのが会員の誇りでもある。将来、桐生の子どもたちの中から、「夢のからくり」が生まれるのを期待したい。
 「伝統と創造、粋なまち桐生」―これは取材後に知った市のキャッチフレーズだが、保存会にもぴったり合っているなと思った。