「まち むら」128号掲載
ル ポ

古城址の再生で人づくり仲間づくり地域づくり
秋田県八郎潟町 NPO法人浦城の歴史を伝える会
 秋田県八郎潟町。その名の通りここは半世紀前まで八郎潟に面した漁業と農業のまちだった。現在八郎潟町の西には干拓でできた、東京23区の2倍半の大潟村が広がっている。一方町の東側には屏風のようにそびえる峰がある。この峰には戦国時代三浦氏の立てこもる山城があった。浦城と呼ばれたこの山城は秋田県中世史の結節点に位置しており、いまも歴史家などが訪れて止まない。
 『浦城の歴史を伝える会』(以下『伝える会』)はこの山城跡の再生を通して地域づくりに取り組んでいる、会員100名ほどのNPO法人だ。もっとも、「地域づくり」はあとからついてきたお題目で、会員たちの本音は「おとなの遊び場づくり」にあるらしい。

遊び心が推進力

 いまでは年間3000人近い人が訪れる浦城址も、『伝える会』が手を入れるまでは藪と草の難攻不落の山城跡だった。北嶋雄一理事長は自らも郷土史家であるだけに、歴史に興味のある人が容易に登れる道を作りたかった。
 平成の浦城史はここから始まる。北嶋理事長の熱意と呼応して地域の大人たちが城址に石柱を建てた。そして杣道ができた。峰の頂上には本丸跡がある。ここには歴史学習館を作った。さらに途中には逆茂木を擬したバリケードを設け、武者溜まり跡から本丸跡へ続く坂には階段を渡した。バリケードも階段も不要の杉の間伐材を利用した。さらには鐘撞き堂、見張り台も設置した。
 あたかも戦国時代を思い起こさせる景観が出現したが、これらは必ずしも史実に基づいて復元されたものではない。むしろこうだったらいいな、きっとこうだったろうという会員の遊び心から案出されたものである。歴史の専門家や行政サイドからはときにクレームもつくというが、一方で史実のコピーではないアイデアと工夫が山積みされている。

芸術、そしてセラピー

 平成24年の台風で峰の大きな杉が何本も倒れた。倒木の根株は始末に困ったが、生け花の先生がこれを見てアートを思いついた。根を逆さにして花を飾ってみよう。ひとつ作ってみたら今度はみんながやりたがった。平成26年の浦城まつりでは10株の生花アートが城址内に飾られて人の目を楽しませた。
 浦城は山城であっただけにちょっとした登山でもある。ふもとから本丸跡まで20分ほどを要するが、登りついた本丸跡から見える眺望はすばらしい。ふもとの八郎潟町の屋根並みばかりでなく、大潟村の広大な田園風景、男鹿半島の山々、そして遠く日本海も視野に入ってくる。
 高いところから景色を眺めるというのは気持ちのよいものだが、そればかりではないと会員でもある精神科医の佐々木康雄さんはいう。「高いところに登る、高いところから景色を眺める。それだけでも、精神にダメージを受けている人には治療効果があるのです」
 実際、『伝える会』の事務局には、かつて引きこもっていたり就職が続かないといった社会参加が上手でなかった人が3人詰めていて、浦城址を訪れる人たちのガイド役をボランティアで引き受けている。
 浦城址は、『長信田の森心療クリニック』に通う若者たちで2009年に結成された太鼓グループの演奏舞台にもなっている。自分を表現することが苦手で、誰も理解してくれないと自分を社会から隠したがっていたが、太鼓演奏が彼らを変えた。彼らの演奏には多くの人が集まってくるが、彼らにとってはいちばんの聞き手はこの浦城址らしい。演奏依頼が重複するときは必ず浦城を優先しているという。

スピード感のある活動

 NPOには共通の悩みがある。資金、資材、マンパワー。高度の専門性がある一方で総合的なマネージメントは力不足など。
 『伝える会』には絶妙なバランスがある。北嶋理事長の歴史に対する想いが会員を発熱させている。事務局長をはじめ支える人たちの専門性や知識が活動出力を安定したものにしている。地域史家、医師、石材業、土木工事体験者、映像会社員。それぞれが楽しんで自分の専門性を提供している。酒店の店主は『浦城』というお酒まで作った。
 活動資金はNPOには悩ましい問題だ。『伝える会』とて例外ではない。県や町などから引き出せる補助金には限界と利用制限がある。『伝える会』の場合さる大手製薬会社から毎年100万円の支援がある。きっかけは社長の夫人が浦城主三浦氏の末裔にあたるということだったが、企業のCSRに応えるに十分の成果を『伝える会』は達成している。
 地域づくりは待っていては進まない。『伝える会』は自分たちから動いている。浦城址は史跡でもある。史跡保存のため工作物の設置は原則認められない。しかし史跡には保存と同時に活用という課題もある。『伝える会』は浦城址にさまざまな工作物を作った。何もなければ楽しくない。何もないところに人は来ないと考えるからだ。
 たとえば、本丸跡に達するには急な土手を登らなくてはならない。そこで階段の設置を考えた。教育委員会は認めない。そこで知恵を出す。「ここには子どもたちもやってくる。行政も『伝える会』も双方がよいと思うことでも、子どもがケガをすれば一変する。子どもが安全に登れるためには階段が必要だ。また登り道を階段に限定することで史跡が踏み荒らされることの防止にもなる」このような落としどころを考えた。こういうアイデアは活動の中からしか出てこない。

地域づくりの源はアメニティ

 いまでは、地域づくりは行政だけでできるものではないと考えられるようになった。だからといって、財源不足、職員削減に苦しむ自治体が、できなくなったことを自治会などの地域組織に請け負わせることをもって解決策とするのではその地域に未来はない。
 地域が世代を重ねることができるためには、その地域の人たちがその地域に愛情を持てなければならない。それは周りの自然であったり、重ねられてきた歴史であったり、受け継がれてきた芸能であったりする。要は自分たちの地域に居心地のよさを感じているかどうかなのだ。
 この居心地のよさをアメニティと呼びたい。地域組織の活動源はこのアメニティがあるかどうか、そしてアメニティを育む活動が発現しやすいかどうかにある。
 『伝える会』の活動は意図せずして地域のアメニティの濃度を飽和状態に高めているように見える。