「まち むら」126号掲載
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交流で深まる“避難者と共に生きる”手探りで始めた福島復興支援活動
栃木県那須塩原市 那須塩原市生活学校
 栃木県那須塩原市は県北部にある人口約11万7000人の地方都市で、福島第一原子力発電所から約100キロメートルに位置する。事故直後、市内には福島県からの避難者が相次ぎ、今なお仮住まい生活を送る家族が多く、中には定住を決めた家族も少なくない。那須塩原市生活学校(会長・大内康子さん、メンバー23人)は、2011年と12年、チェロやピアノ、歌のコンサートを開いて避難者と交流した。13年度は、独立行政法人福祉医療機構の助成事業を受けて、避難者宅訪問と交流会による復興支援活動に取り組んだ。手探りで始めた活動を紹介する。


避難者宅訪問活動

「避難者はどこに住んでいるのだろうか」。訪問に当たって、まず被災者宅を探し当てることから始まった。23人のメンバーは、まず新聞記事や知人からの情報を頼りにした。
 訪問活動例(1) 福島県富岡町のNさん夫婦は、栃木県那須町の「道の駅那須高原友愛の森」にたどり着いた時、「私の家の1部屋が空いておりますのでお使い下さい」と書いたプラカードを持っていた人に、40日間お世話になったという。「頼るアテのない避難で、とても嬉しかった」と話していた。その後、不動産屋の紹介で一軒家を借りた。ふるさとによく似た風景で、家具付きで助かったという。夫婦だけの生活で「話し相手が欲しい」というので、地区の生きがいサロンに誘った。「病院の場所を教えていただいたり、電話帳をもらったりと親切にしていただいた」と感謝された。
 訪問活動例(2) 楢葉町のUさん一家の避難生活は茨城、東京、那須町と11か所に及んだ。3頭の犬を飼っていたためだった。定住を決めた那須塩原市内で家を新築したがその直後、おばあさんが犬との散歩中に亡くなったことを知った。高齢での転々とした避難生活の計り知れない苦労を思い、訪問したメンバーは心を痛めた。
 訪問活動例(3) 飯舘村の元農協職員Kさんが、花の栽培を那須塩原市内で始めたことを、新聞で知って、訪ねた。父は南相馬市の仮設住宅で暮らし、妻は相馬市の仮設住宅で仕事をしており、単身での花栽培による起業だった。それも村当局を説得し、復興庁の被災地域農業復興総合支援事業を県外で初適用と、その積極さに圧倒された。トルコギキョウを中心に栽培、東京出荷にこぎつけた。「見ず知らずの地で、土地探しにも苦労した」と話すKさんだったが、家族バラバラの生活も苦労が多いようにうかがえたが、「こちらで、花好きの人を4人、バイトで採用できました。何とか前向きに頑張っています」と明るく話してくれたことが印象に残った。
 メンバーの避難者宅訪問は、合計で20世帯に上った。毛布1枚と現金を手にバスに乗って来たと話す人、ようやく落ち着いてホッとしたのか体調を崩したと話す人……と、訪問したメンバーに心開いて、話してくれた人たちは、長く苦しかった避難生活を、胸から文字通り「はき出して」くれたように思えた。それだけでも、この訪問活動は意義があったと思うし、訪問したメンバーにも大変貴重な体験となった。


訪問活動から交流会へ

 交流会は、避難者宅を訪問で知り合った人たちを中心に声を掛けてもらって3回開催した。
 メンバーは会場係、調理係に分かれて準備した。いずれも日曜日の午前10時から午後1時半まで開催した。イベントを一緒に楽しみ、メンバー手作りの昼食をいただくという内容にした。会を追うごとに参加者が増えたことが、何よりもメンバーを喜ばせた。
 第1回交流会(2013年10月13日) 初回だったので何人が来てくれるか心配だったが、参加者は33人。レクリエーション協会のインストラクターによるゲームと腹話術で盛り上がり、津軽三味線の演奏にあわせ栃木県民謡の日光和楽踊りや福島県民謡の相馬盆唄を輪になって踊った。ビンゴゲームの賞品には、地元の農園で買い求めたシクラメンをプレゼントした。昼食はすいとんとおにぎり、トリのから揚げなど。食事を共にしながら、ある女性は、避難所での生活の様子などを話してくれ、「今日は楽しかった」と笑顔で帰って行った。
 第2回交流会(2013年12月8日) 小中学生も含め43人が参加したので、さながら「大きな家族」の雰囲気が感じられた会となった。初めての参加者には胸に名札を付けてもらった。アトラクションの手品で、マジシャンが名札を見て一緒に手品に参加してもらい、参加者も大喜びだった。避難者がメンバーになっているウクレレグループも参加、サンタクロース姿で演奏してくれた。ちぎり絵を教えているメンバーの1人の指導で、クリスマスカード作りも行った。昼食はおでんだったが、この日は調理室が借りられず、車で10分ほどの所で調理して会場に運ぶという苦労があったが、おいしそうに食べる参加者の姿に、メンバーは肩の荷が下りた。
 第3回交流会(2014年3月9日) 2月に開催する予定だったが大雪で延期になり、会場も前2回と違い、公民館に変更となった。参加者数が心配されたが、これまでで一番多い55人が集まった。手紙で延期になったことを知らせ、これまで参加しなかった人たちにも呼びかけてもらったことが参加者の増加につながった。
 ゲームで盛り上がり、避難者宅訪問で会ったKさんが、トルコギキョウとキンギョソウを持参して、避難者にプレゼントして感激された。昼食のちらし寿司を食べながら、1人ずつに、被災前のふるさとの様子や避難状況、現在の生活について話してもらった。那須塩原市に定住を決めた人、除染されたら帰りたいと話す人、定住したいがやはり海の見える所がよいと茨城県の海辺に住むことにしたという人、避難生活で体調を崩した夫婦などと、3年という長い避難生活が人生を大きく変えたことが伝わってきて、胸の詰まる思いがした。
 助成による特別支援活動は13年度末で終わったが、メンバーたちは、14年度に入ってからも、5月末にメンバーの自宅に避難者を招いてバラの鑑賞と交流会を開くなど、この3か年の交流でできた避難者との出会い・絆を大切にしている。