「まち むら」123号掲載
ル ポ

集落で守り伝える古代布
山形県鶴岡市 関川集落・関川しな織協同組合
日本三大古代布・しな布

 古来、人は山野に自生する植物を利用し、食料はもちろん、衣料をも自給してきた。しかし、草や木の繊維から糸をつくり、織り上げる自然布は、大量生産に適した綿や化学繊維の普及とともに姿を消していった。
 いまでは「日本三大古代布」と呼ばれる沖縄の芭蕉布、静岡の葛布、新潟と山形のしな布がわずかに生産されているにすぎない。このうちしな布は、県境をはさんで隣接する新潟県村上市の2集落と、山形県鶴岡市の関川集落に伝承されている。
 42世帯の関川集落では、しな布を核にむらづくりをするため1985年、分校跡地に「関川しな織センター」を建設。各家庭でつくった糸をここに持ち込み、布に織り上げ、加工・販売する集落ぐるみの生産体制を整えた。
 センターでは現在、3人の女性が織りを担っている。織り機が並んだ作業室には、縦糸の間に杼(ひ)を走らせ、筬(おさ)を打ち込む音が響く。
「1日に2メートルは織れるんですが、接客しながらとなると、計算どおりというわけにはいかないですね」
 五十嵐美穂さんと野尻弓子さんは手を休めることなく、来館者の質問ひとつひとつにていねいに答える。
 糸を1本ずつ織り進める作業には、熟練の技だけでなく、精緻な仕事への収集力と労力をいとわない持続力が求められる。しかし、作品として完成するまでには、布に織るよりも、糸にするまでの工程のほうがずっと多く、はるかに長い時間がかかる。

自ら布をつくりだす喜び

 その糸づくりは梅雨明けに始まると、関川しな織協同組合組合長の五十嵐善幸さんは語る。この時期、原料となるシナノキの樹皮はたっぷりと水を含み、はがしやすくなる。男性たちは山に入り、木を切り倒して樹皮をむき、さらに外皮と内皮をはぎ分ける。
「樹齢15年から20年の木の皮がいちばんいい。それ以上たつと、固くなるんです。この仕事は力が要るので、昔から男性の仕事とされています」
 豊かな森林資源に恵まれたこの地の先人は、数ある樹種のなかからシナノキに着目し、美しくも強靭な繊維を取り出す技術を生み出した。
「シナはどこの家の山にもありますが、集落の共有林にも2000本を植林しています。それに、株を切れば、翌年には横からひこばえが生えますから、再植林する必要もありません」
 次いで、女性たちが内皮を灰で煮て、川で洗い、糠で発酵させ、細く裂き、長くつなぐ。糸になるまでの22もの工程はひとつとして機械化されておらず、いまもすべてを手作業で行なう。しかし、そのなかにこそ自ら布を生み出す喜びがあると美穂さんは語る。
「それでも、やっぱり自分で糸をつくりたいんですね。そこに、ものづくりの楽しみがあるんだと思います」
 たしかな技術で1本の糸、1枚の布に自分を表現しながら創作する喜びこそ、関川の女性たちがしな織を伝承し続けてきた原動力なのだろう。

伝統を受け継ぐ意志

「しな織の最古の記録は、平安時代に編纂された延喜式です。しかし、およそ人間が衣類をまとうようになった頃からあっただろうといわれています」
 善幸さんは遠く縄文時代にさかのぼるといわれるしな織の起源をこう語り、その伝統を受け継ぐ誇りと責任について次のように続ける。
「その長い伝統を絶やしてはいけないし、集落のためにも守り続けていきたいと思っています」
 それは集落全体の意志でもある。関川ではしな織センターの建設を皮切りに、89年には集落の全世帯を組合員に「関川しな織協同組合」を結成し、第1回しな織まつりを開催する。集落をあげて人口の10倍を超える2000人もの来訪者を迎えるまつりは、今年で25回を迎える。
 さらに、2000年には、帯や帽子、バッグなどの作品を展示・販売する「しな織の里ぬくもり館」をセンター横に併設。来館者がコースターなどを織る体験学習ができる体制も整えた。
 05年、念願がかない、関川と隣接する新潟県村上市の2集落で生産されるしなふは、「羽越しな布」として国の伝統工芸品の指定を受けた。

古代の技をネットで発信

 集落内ではいつも、季節ごとの作業が行なわれている。だが、しな織に関わる世帯は半数の20世帯に減少した。後継者を育成するため、組合では全国から研修生を受け入れ始める。それは一人の女子学生の訪問をきっかけに、関川の人々がしな織を再評価することでもあったと、善幸さんは振り返る。
「彼女は突然ここを訪れ、糸から布までの一貫生産に感動した、ぜひ雇ってほしいと訴えたんです。こんな山の中の集落に、都会から来たいという若い人がいるなど想像もできなかった。彼女が来たことで、私たちはあらためてしな織のすばらしさに気づいたんです」
 組合では、空き家になった古民家を宿舎にし、厳しい財政のなかから生活費を捻出して、研修生として受け入れる決断を下す。95年からこれまでに11人の女性が2年をかけて一連の工程を学んだ。現在は神奈川県出身の12期生、西山理恵さんが研修中だ。
 このうち五十嵐千江(ゆきえ)さんは、関川の男性と結婚。組合の事務を執りながら、しな織の魅力をホームページ上のブログに綴っている。ツイッターやフェイスブックとも連動したブログには、しな織を生み出す関川の自然の豊かさ、農作業や山菜取りなどの山里暮らしが生き生きとした写真と文で表現されている。
 遠く縄文時代に豊かな自然と人の叡智の交流から生まれ、伝承されてきたしな織はインターネットという新しい通信手段を通してより広く、より多くの人を魅了していくことだろう。