「まち むら」123号掲載
ル ポ

みんなが手を取り合い、力をあわせて山里の“宝”を活かす
山口県岩国市 地域交流の里
廃校舎を利用して山里を活性化

 山口県岩国市を流れる清流錦川をずっとさかのぼって行くと、自然あふれる山里、天尾(てんのお)地区がある。6月のある晴れた日、田んぼから賑やかな声が聞こえてきた。田植えの真っ最中だが、日本人だけではなくアメリカの子どもや大人の姿もある。みんなが一列に並んで田んぼの中に入り、苗を植える光景はほほえましかった。この田植えの主催者は、天尾地区で地域に根ざした活動をしている「地域交流の里」。
 「地域交流の里」は、天尾地区の廃校舎を拠点として、地域の活性化を目的に、「地域交流」や「国際交流」などの実践体験活動を行なっている。代表は、白髪が美しい新庄菊子さん、87歳。新庄さんが「地域交流の里」を作るきっかけとなったのは、山口県主催の農林関係者の会議でたまたま隣に座った天尾地区の男性とのおしゃべりだった。
 天尾地区は、歴史のある場所だが高齢化と過疎化が進み、岩国市立天尾小学校の児童は4人しかいなかった。小学校には新しい校舎と使われなくなった古い校舎があった。男性は、その廃校舎を活用して地域を活性化する活動ができたらうれしいと話した。もともと、まちづくりグループの代表をつとめ、ユースホステルを運営していた新庄さんは、過疎が進む地域を元気にする手伝いができるならと興味を持った。ふたりの話は盛り上がり、一緒にやろうということになった。
 すぐ行動を起こすのが新庄さんの持ち味。さっそく教育委員会に行き、粘り強く交渉を繰り返し、やっと校舎を借りることができた。そして平成19年4月「地域交流の里」がスタートした。しかし、それからが大変の始まり。使われなくなって5年経っていた古い校舎の中は、物が散乱し足の踏み場もなかった。それを会員7人で片付けた。雨漏りもひどく、使えない部屋もあった。電気を通そうとすると、古い配線なので通すと危険と言われ断念した。前途多難・・・。でもそういう困難を楽しんでしまうのが、新庄さん。「どんな場所でも、拠点があるのはうれしいこと」と前向きだ。

ちょっとした工夫で楽しさいっぱい国際交流

 1年目から会員の田んぼを借りて、地元の人たちと都市部の人たちの交流の場として田植えと稲刈りをした。翌年はタケノコ掘りと岩国寿司の体験も始めた。この年から岩国市にある米軍基地の人たちも参加するようになった。これは、日本の文化や生活を教える基地内のファミリーサービスの担当者が、新庄さんの知人だったことがきっかけだった。うれしいことに、企画の段階から参加させてほしいと言ってくれた。田植えも稲刈りも、基地では受付開始5分で定員になってしまう人気ぶりだ。
 稲刈りは田植え以上に賑やかだ。稲を刈った後の田んぼで食事をし、日米のゲームを楽しむ。そして最後には、田植えと同じく手作りの紙のメダルの修了証をもらう。そのメダルにはなんと5円玉が付いている!アメリカの子どもたちは「本物のお金?」と驚き、穴の開いたお金に大喜びだった。「お金をかけなくても、ちょっと工夫すればみんな楽しめるんよ」と新庄さんはおどけたように笑った。

最強の仲間集めのコツは「亀の甲より年の功」

 「地域交流の里」は、毎年イベントを増やしてきた。昨年度は、4月の二輪草まつり、タケノコ掘りから始まり、6月の田植え、8月は日米の子どもたち対象のサマースクール、10月の稲刈り、2月には餅つき、雛まつり、竹林整備、一年を通して岩国寿司体験、いきいきサロンを開催している。平成24年からは心強い助っ人が現れた。岩国YMCA国際医療福祉専門学校の学生さんたち。これで、天尾地区は、「地域交流の里」、「地元自治会」、「米軍基地の関係者」、「岩国YMCA国際医療福祉専門学校」、「関係行政」が手を組んで協働する場となった。この人たちを巻き込んだのは、誰あろう新庄さん。「亀の甲より年の功って言うじゃろ!ハッハハ。」
 昨年から始めた「いきいきサロン」は、YMCAの学生さんたちが中心になっている。若い人と接することで地元のお年寄りはますます元気になる。しかし、いきなり地域に知らない人たちが入ってくることは、良いことをしようと思っていてもうまくいかないことが多い。地域の人たちと学生たちの間に新庄さんたち「地域交流の里」の会員が入り、ワンクッションおくことでうまくいっている。とはいえ、新庄さんも天尾地区の住人ではない。最初はなかなか難しい点もあったという。しかし、幸運なことに新庄さんの夫の兄のお嫁さんが天尾の出身だった。「○○さんの親戚の人かね」ということで信頼をおいてもらった。こうなれば鬼に金棒!

山里でみんなが奏でるハーモニー

 なぜここまで新庄さんが熱心に活動をするのか。その原点は、広島の原爆だった。当時、新庄さんは山口赤十字病院の救護看護婦養成所の生徒だった。広島から運ばれてくる原爆被害者の救護にあたった。暑い中、搬送された患者の黒焦げの傷口からはウジがわいた。むごい状態で亡くなった人をたくさん見た。そういう中で、生きるという意味を考えた。「生きている限り、人のために、自分ができることをやっていきたい」その気持ちが今でも新庄さんを前につき動かしている。
 今年3月、天尾小学校の2人の児童が卒業し、残念なことに133年間続いた天尾小学校は休校となった。しかし、その前に新庄さんは素敵なイベントを企画していた。地域に残る千年前の昔話を、子どもたちの朗読劇にした。天尾小学校最後の4人の児童たちが堂々と語る姿は感動的で、拍手が鳴り止まなかった。「子どもたちが、ふるさとを、母校を忘れないように、思いをこめました」と新庄さんはしみじみ語った。
 今後は、空き家を都会の人たちの田舎体験の場にしたいという夢がある。いろいろな人に天尾の人たちと交流してもらい、山里の生活の大変さ、豊かさを知ってもらいたい。山里の高齢者の生活の知恵・都市住民の生活の知恵・日本の自然を活かした国際交流を通して、誰もが活躍できる「場」を作りたいと考えている。みんなが手を取り合って大きな輪をつくり、笑いながらハーモニーを奏でる、そんな交流がしたいと願っている。
 新庄さんのアイデアの豊富さ、斬新さ、人と人をつなぐ力は本当に素晴らしい。イベントも画一的なものではなく俯瞰的でよく練られている。そして、苦労を苦労とせず笑い話にしてしまう超ポジティブな新庄さんの生き方は元気の源といえるだろう。