「まち むら」122号掲載
ル ポ

伝説の木の復活に挑む
福岡県久留米市 ちくご松山櫨復活委員会
櫨が築いた苗木産地

 福岡県久留米市の東部に位置する田主丸町は、植木や苗木の産地として知られる。その歴史は江戸時代、大庄屋だった竹下武兵衛周直が、1本の櫨(はぜ)を発見したことに始まる。
 櫨は九州をはじめとする西日本に生育するウルシ科の落葉高木。秋になると葉を真っ赤に染め、ぶどうの房のような実をつける。その実から採取される木蝋(もくろう)は、主に和ろうそくの原料として高値で取り引きされた。そのため多くの藩が栽培を奨励。筑前・筑後と呼ばれた現在の福岡県は最大の産地となる。
 その生産を支えたのが田主丸だった。武兵衛が発見した櫨の実はひときわ大きく、蝋分に富んでいた。彼は自生していた地名にちなんで「松山櫨」と名づけ、普及に乗り出す。やがて田主丸は苗木産地として発展し、その供給を受けた福岡県の木蝋は全国の市場を席巻する。櫨は貴重な換金作物として農村の経済を支え、川の堤防に植えて水害を防ぐ水害防備林としても重要な役割を果たした。
 しかし、照明が電灯に変わり、わずかに灯明として使われるろうそくの原料も石油由来のパラフィン蝋に変わる。木蝋の需要が激減すると、商品価値を失った櫨の木は伐採され、かつて地域に繁栄をもたらした産業を知る人さえ少なくなった。

まぼろしの櫨を求めて

「6年前までは、私もそのひとりだったんですよ」と、「ちくご松山櫨復活委員会」代表の矢野真由美さんはほほえむ。雑誌編集者を経てウェブデザイナーとなった矢野さんは、田主丸植木販売協会からホームページの製作を依頼された。その過程で地場産業の歴史をたどり、松山櫨と出会う。
 2007年、ふるさとに松山櫨を復活させようと決意した矢野さんはひとりで活動を開始する。だが、「切りやすいところにある木は切り尽くされたので、松山櫨が残っているかどうかもわかりませんでした」と、当時を振り返る。まずは情報を求めて文献を探り、かつての櫨農家や製蝋業者など関係者を訪ね歩き、その内容を「松山櫨便り」という通信に綴り始めた。
 松山櫨は再発見されることを待っているかのように、矢野さんを多くの出会いへと導く。そのひとり、元製蝋業の案内で朝倉市の櫨農家を訪ねると、高い崖の上にあるため伐採を免れた老木が枝を広げていた。松山櫨だった。
「この松山櫨を、田主丸で復活させたい。強くそう思いました」
 矢野さんはその枝から接ぎ穂を採取。熟練の植木職人に接木してもらうと、借り受けた古民家「櫨屋敷」の敷地に植える。伝説の松山櫨は、誕生の地でふたたび根を張り始めた。

櫨の魅力を伝えるために

 松山櫨を復活させるかたわら、矢野さんは和ろうそくの製作にも取り組む。和ろうそくは、筒状の和紙に藺草(いぐさ)の髄を巻きつけた灯芯の上に、木蝋を何重にも塗り重ねてつくる。そこには、美しい炎を上げながらすすを出さず、蝋だれも起こさず、跡形もなく燃え尽きるよう工夫を重ねた先人の知恵が凝縮されている。
 しかし、和ろうそくの衰退は、櫨農家や製蝋所だけでなく、芯巻きや和ろうそく職人をも減少させた。矢野さんは、芯巻きがさかんだった朝倉市に残る職人を探し当てる。その後、この職人が高齢のために引退すると、その技術を受け継ぐ。そして県内唯一の製蝋所、滋賀県の和ろうそく職人の協力を得て、和ろうそくを完成させた。
 さらに、様々な分野の芸術家と連携し、櫨の資源性を広げる商品を開発してきた。陶芸家とはキャンドルスタンドを、染織家とはスカーフなど布製品を、木工作家とはペンダントやストラップをと、関連商品は幅広い。その目的を、矢野さんはこう話す。
「売るためにやっているのではなく、櫨のよさを生かすために商品にし、伝える手段として売っています。アイディアはまだたくさんあるんすよ」
 地域の宝を掘り起こし、その魅力を商品に生かす活動は、地域に新しい特産品を誕生させることになった。和ろうそくをはじめとする櫨の関連商品は、どこにもない特産品として地域のイベントなどに輝きを添えている。

活動の輪が広がる

 水をたたえた器に櫨キャンドルが浮かび、たそがれどきの部屋にゆらめく炎が存在感を放つ。矢野さんはまた、新商品を送り出そうとしている。
「水に浮かぶフローテンィング・キャンドルなら、安全だと思ってもらえるので、力を入れているんです」
 蛍光灯で隅々までを照らし、屋内から闇を追放した日本とは異なり、欧米ではいまもキャンドルの明かりだけで食事を楽しむ習慣を維持している。矢野さんは日本でこそ、和ろうそくの明かりで和食器や和食を生かしてほしいと考えている。
「和ろうそくを灯すと、漆塗りの器が美しく見えるし、煮物などのおかずもそれはおいしく見えます。それに、和ろうそくの消臭効果が室内の匂いを消して空気をきれいにするので、食事もおいしく感じられるんですよ」
 活動拠点である櫨屋敷では、櫨キャンドルづくりなどの体験学習に加え、この5月の週末からカフェも始めた。1杯のコーヒーを求めて訪れる人は、テーブルの上に揺れる和ろうそくの炎にも心を癒されている。
 埋もれていた地域の宝に光を当てる活動は、共感を呼び、矢野さんがたったひとりで、手探りで始めた活動は、10人の仲間とたくさんの支援者、数えきれない櫨製品の愛用者に支えられるようになった。復活させた松山櫨の苗が実を結び、その木蝋で和ろうそくをつくれるようになる日まで、矢野さんの挑戦は続く。