「まち むら」120号掲載
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郷土料理が支え合う地域をつくる
大分県大分市 吉野鶏めし保存会・吉野食品有限会社
 大分県で「吉野鶏めし」を知らない人はいない。大分市吉野原(よしのはる)に伝わる素朴な炊き込みごはんの販路は、全国にも広がる。年商4億円を超える地域ブランドに育った郷土料理のコミュニティ・ビジネスは25年前、地区の婦人会による伝承活動として始まった。


人の輪の中心に鶏めしがあった

 県庁所在地とはいえ、大分市の中心部から南東に20キロの距離にある吉野原は、のどかな農業地帯である。江戸時代からこの地区に受け継がれてきた鶏めしは、雉(きじ)など山鳥の肉とごぼうを具材にした炊き込みごはん。その伝承活動に取り組んできた吉野食品社長、帆足(ほあし)キヨさんはこう語る。
「山鳥だけでなく猪など山のものの肉は、ごぼうを入れないと生臭みが取れない。昔からそういわれてきました。時代が移り、山鳥の肉が鶏肉に替わっても、ごぼうを入れるのはそのためなんです」
 鶏めしは、道路づくりなど地域の共同作業や農作業の打ち上げ、祭りなど人が集う際に欠かせない行事食であった。みんなで汗を流した後には、心をひとつにする楽しみが待っている。女たちは各家庭が持ち寄った食材を手際よくさばき、大釜で炊き込む。男たちは鶏がらを肴に酒を飲み交わし、地域の未来を語り合う。はしゃぎ回る子どもたちはそんな話を耳に傾けながら、地域のことを学んだ。
 鶏めしは家庭のもてなし料理でもあった。急なお客があれば、母親は台所に立ち、父親が鶏を絞め、子どもはごぼうを取りに畑へ走り、一家総出でもてなす。
「お祭りや運動会、もてなしやふるまいなど、何かあったらまず鶏めしをつくります。人のコミュニケーションをとりもつ鶏めしは、たくさん炊いて、おおぜいで食べるからよけいおいしいんです」
 帆足さんの言葉からは、鶏めしを囲んで談笑し、にぎわう情景がいきいきと浮かび上がる。鶏めしはただの郷土料理ではなく、ともにつくり、ともに味わうことで人の心をつなぎ、互いに支え合って生きる地域の連帯を強めるものだった。


6人の主婦が立ち上がる

 高度経済成長期を迎え、洋食が普及し始めると、地域外から嫁いできた若い主婦のなかには、鶏めしにグリーンピースやにんじんなどの具材を入れてアレンジする人も出てきた。昔ながらの鶏肉とごぼうだけの鶏めしを守りたい。普及のために販売すれば、婦人会の活動資金もできる。吉野原に生まれ育ち、郷土料理に愛着をもつ帆足さんはそう考えた。この提案に賛同した有志6人は1988年、「吉野鶏めし保存会」を結成する。
 最初に取り組んだのは、レシピの統一だった。同じ料理とはいえ、各家庭の味は少しずつ違う。そこで4種類の味つけに絞って試食会を開き、現在のレシピを選んだ。そしてこれをおにぎりにし、梅干しとたくあんを添えて売ることに決めた。6次産業という言葉もなく、農村女性の起業が珍しかった当時、大分市と大分県が米の消費拡大運動の一環として支援を表明する。
「おにぎりは手でにぎったほうがあったかみがあるし、米の消費拡大のためにおにぎりは大きめにして、3個入りにしようと当時の市長にご助言をいただいて、販売のかたちが決まりました」
 「米」という漢字を構成する「八」と「十」にちなみ、8日と18日の日に市役所と県庁で販売できることになった。そこで、月に2日だけ、帆足さんの自宅の軒下に張ったテントで調理をし、座敷でパックに詰めることにした。保存会はこうして、活動の一歩を踏み出した。


女性たちの結束で事業を拡大

 保存会はおにぎりの販売で得た利益で少しずつ厨房機器を増やし、メンバーが資金を出し合って小さな厨房を建設する。家事と農作業に保存会の活動が加わり、多忙を極めていた帆足さんの肩に、さらに実母の介護がのしかかった。
「ばあちゃんはみんなで看るけん、鶏めしを続けようと仲間が応援してくれ、婦人会の会合にも送り出してくれました。私自身が仲間に支えられたことで、子育てや介護をみんなで支え合える地域をつくりたいと思うようになりました」
 やがて大分市の老舗トキハをはじめデパートの実演販売に招かれると、鶏めしが炊き上がる時間に行列ができるようになる。販売量が着実に伸びるなかで、帆足さんが気をもんだのは、衛生管理だった。食中毒を起こしてはならないという責任感から心配で夜も眠れない。深夜にふとんを抜け出しては、厨房を掃除し直した。だが、無理を重ねた帆足さんは体調を崩し、悪性リンパ腫と診断される。
「こげな病気に負けてたまるか。鶏めしを成功させないうちは死なれんけんと、病床で考えていました」
 脱毛や吐き気などの副作用と闘いながら、3度の抗がん剤治療に耐え、完治させた原動力もやはり鶏めしだった。
 その間にも事業は順調に拡大し、鶏めしは県内のデパートやスーパー、コンビニなどに欠かせない商品として定着。九州各県を中心に13の直伝店でも生産され、ネット販売を通して全国にも広まった。2002年、ともに働く仲間を社会保険に加入させるために吉野食品有限会社を設立。帆足さんは社長に就任した。


地域づくりの核になる会社に

 吉野食品の加工場では毎日、夜の2時半に灯りがつき、早番の社員が米を研ぎ始める。多い日には1万個のおにぎりを生産するいまも、社員がひとつひとつていねいに手でにぎっている。
 6人の主婦が始めた活動は51人の社員が働き、年商4億円を超える企業に成長した。地域産米のヒノヒカリをはじめ、鶏肉やごぼう、梅干しなどの食材も可能なかぎり地域で調達するため、地域経済への波及効果は大きい。
 そして、事業を全国に拡大したいまも、鶏めしは吉野原という地区のコミュニティ・ビジネスであり続けている。社員の大多数を占める地域の女性たちは、子育てや介護をしながら安心して働くことができる。定年は男性が70歳、女性が65歳だが、希望すれば1年ごとに契約を更新し、75歳まで延長できる。
 小中学生に鶏めしづくりを教え、高齢者の弁当をつくる地域貢献にも力を入れている。難病を患っている人から電話がくれば社員を派遣し、食事を届けるなど、地域福祉を担っていたこともある。
「私自身が母を介護や自分の闘病を通して支え合うことの大切さを知っていますから、みんなで子どもを育て、障がい者や高齢者を見守る地域をつくることが夢でした。これからも、誰もがなかよく、ともに暮らしていける地域づくりの核になる会社にしていきたいと思います」
 帆足さんのその夢は叶えられた。郷土料理を守ることは、支え合い、助け合う地域をつくることにつながっていた。