「まち むら」120号掲載
ル ポ

北の大地に希望のいちごが実る
北海道伊達市 伊達市・伊達市農協
被災した姉妹都市を救え

 有珠山と昭和新山を望む広大な農地に、新しいビニールハウスが建ち並ぶ。北海道伊達市が建設したいちご団地には、東日本大震災で被災した宮城県亘理町(わたりちょう)の農家の明るい声が響いている。
「またいちごに触れる。それだけでうれしいですね。それに、こっちに来てから、女房がはつらつとしてるんですよ」
 佐藤長市さんは笑顔でこう話すと、妻の恵理子さんにほほえみかけた。
 伊達市の開拓は、亘理町を治めていた仙台藩一門の亘理伊達家と家臣団による入植に始まる。そのためいまも親戚や縁者と行き来する世帯も多く、伊達市と亘理町は「ふるさと姉妹都市」の提携を結んで交流を重ねてきた。
 東日本大震災が起きると、伊達市はすぐに職員を亘理町に派遣。その後も継続して職員を送り、緊急救援から自治体業務までさまざまな支援を続けている。そのひとつが、被災農家への支援だ。
 亘理町は隣接する山元町とともに、東北最大のいちご産地を形成している。両町で生産されるいちごは「仙台いちご」のブランドで首都圏や北海道にも出荷されていた。しかし、農地の9割が津波に襲われる。ハウスは流され、栽培に欠かせない地下水は塩水化。被害はいちご農家380戸の356世帯に及んだ。
 そこで伊達市は、生産再開の見通しが立たないいちご農家への支援を決断。国の緊急雇用創出事業を活用し、伊達市農協の試験栽培指導員として招聘する体制を整えた。5月に職員が亘理町に説明に向かうと、7月の第一陣を皮切りに、5世帯12人が伊達市に移住した。


被災農家支援で地域農業を活性化

 北海道の南西部に位置する伊達市は津軽海峡を抜ける対馬暖流の影響を受け、「北の湘南」といわれるほど温暖で、積雪も少ない。農業には恵まれた条件ゆえに、大規模化する北海道農業には珍しく、70品目もの野菜を産する畑作を中心に稲作、果樹、酪農などの集約型農業が多角的に営まれている。
 だが、多様な農産物が生産されるという特性は、市を代表する特産品がないという側面をあわせもつ。また、国内農業の低迷を背景に、農業人口の減少と耕作放棄地の増加も止まらない。伊達市はこうした課題の解決をめざし、2010年に農業の活性化に乗り出していた。
 一方、亘理町の農業は、稲作といちごの複合経営に特徴づけられる。なかでもいちご栽培は、長い歴史と高い栽培技術を誇る。30年以上の経験を重ねた佐藤さんは、次のように語る。
「じいさんの代に露地でやっていたいちご栽培を、私も高校卒業と同時に始めました。いちごはね、いま喉が乾いているなとか、いちごと話すくらいにならないといいものができないんですよ」
 伊達市にかぎらず、就農希望者の受け入れに力を入れてきた道内の自治体では、東日本大震災の被災者に対象を拡大し、離農跡地などをあっせんしている。しかし、集団での受け入れ体制を整えたのは伊達市だけだった。そこには、被災者への支援と市内農業の活性化の両立を図ろうという期待があると、伊達市経済環境部農務課長の松井知行さんは語る。
「何でもできるけれども、これといった特産品のなかった伊達市の農業に新しい特産品を生み、低迷している地域農業に新しい風を入れる相乗効果をもたらすことができると考えました」


求められていた夏いちご

 伊達市に移住した生産者たちは、北海道電力が提供した社宅に落ち着き、さっそく試験栽培を開始した。時期はずれに手に入った苗は数年前に開発された業務用いちごの「すずあかね」、栽培方法も棚に設置したプランターで育てる高設栽培だ。「とちおとめ」など生食用のいちごを、畑に植える土耕栽培をしていた農家には初めての挑戦だった。
 いちごの用途は生食用と業務用に大別される。その違いを、伊達市農協営農対策室長の山口和海さんはこう話す。
「生食用には果皮も果肉もやわらかく、甘い品種が望まれますが、ケーキなどの業務用には表面がかたくて、日もちがよく、適度な酸味がある品種が求められます」
 ところが、国産の業務用いちごは夏に市場から姿を消す。ケーキ用の需要がピークに達するクリスマス前後に収穫するため、冬から春に結実する一季成りいちごのハウス栽培が主流になったからだ。
「端境期の夏は、主に米カリフォルニア産が空輸されています。これを補うために開発された、夏から秋に実をつける四季成りいちごの新品種が『すずあかね』です。この品種は最高気温が25度を超えない地域、つまり平地では北海道や東北でしか生産できないんです」(山口さん)
 スイーツブームを背景に需要が高まる夏いちごを安定して生産することができれば高値で取り引きされるうえ、伊達市には念願の特産品ができる。
 さっそく札幌市の大手洋菓子メーカーきのとやがこのいちごに注目し、「伊達いちごパイ」と「伊達いちごマカロン」を開発。また、生食用のいちごを市内の道の駅にも出荷すると長い行列ができ、賞賛と応援の声が寄せられた。


新しい夢に応援の輪が広がる

 昨年年2月、5世帯のいちご農家は新しい20棟のハウスで生産を再開した。
 佐藤さんの自宅は2階を残して破壊されたが、集団移転の対象からはずれた。津波にのまれた農地の復旧のめどは立たないのに、消防団員として活動していたため就職活動に出遅れた。伊達市への移住は、再起を賭けた決断だった。
「ここでは亘理弁も通じるし、伊達の人はやさしいですよ。市役所や農協の人がよく訪ねてくれ、飲みにも連れ出してくれるし、地域との交流も広がりました。伊達の人たちにここまでしてもらって、ほんとうにありがたいです」
 昨年4月には、三女の大学入学を見届けた妻の恵理子さんが愛犬とともに合流。犬を散歩させる公園で「ワン友」もできた。仮設住宅では手放せなかった精神安定剤を服用することもないという。
「毎日、瓦礫を見ながら狭い仮設住宅で暮らしていては、前向きにはなれません。ここに来てから、余震のたびに身構える緊張感から開放され、精神的に楽になったので、少し太ったんですよ」
 あたたかく迎えてくれた新天地は、亘理町の農家に新しい夢を与えてくれた。佐藤さんは初めて取り組む新しい品種の栽培にやりがいを見い出している。
「いちご栽培は、10年周期で新品種が出るたびにゼロからのスタート。そんな冒険をずっとやってきましたから、また挑戦するだけです。ここでがんばって、夏のいちごの輸入をストップさせ、北海道だけでなく、東京や大阪にも出荷できる産地にしていきたいと思います」
 その夢の実現を、これまで応援してくれた多くの市民が見守っている。