「まち むら」119号掲載
ル ポ

被災者に寄り添い、復興を支援する
岩手県遠野市 NPO法人遠野まごころネット
復興の主役・被災者をボランティアが後押し

 がれきが運び去られた浸水域は、広漠とした更地に戻った。コンクリートの土台だけが、かつてここに住宅が建ち並び、商店街があったことを物語る。東日本大震災で被災した岩手県大船渡市では、昨年末からプレハブの仮設商店街が建てられ、地域経済の再生を先導し始めた。
「よお、森ちゃん、今日も暑いね」
 商店街を歩く森大樹さんは、行く先々で声をかけられる。森さんは、内陸部の遠野市から被災地を後方支援するNPO法人遠野まごころネットの大船渡地区コーディネイター。仮設商店街が開くイベントの開催などに協力している。
「この髪型のおかげで地元の人にすぐ覚えてもらえるんで、得してますね」
 大学で機械工学を学び、システムエンジニアとなった森さんは、ロックミュージシャンをめざして上京。ボーカルとして音楽活動を続けていた。アフロヘアはこのときからのトレードマークだ。しかし、喉を痛めて音楽の道を断念。その直後に東日本大震災が起きる。東京の住まいを引き払い、目的地をふるさとの高知県から被災地に変更。昨年5月9日の夜に遠野にたどり着くと、翌朝からがれき撤去に汗を流した。
「数日後、『長くいるなら、ボランティアの世話役になってほしい』と声をかけられたんです。自分にできることは何でもやろう、そう思って引き受けました。復興の主役はあくまで地元の人たち。ぼくたちの役割はその後押しなんです」
 1年以上を経て、方言もわかるようになった。この6月には大船渡市に事務所を借り、スタッフと共同生活を送りながら、地域全体をくまなくめぐる。そして、どんな支援が求められているかを探り、全国から訪れるボランティアとともに復興支援にあたっている。


内陸から被災地を後方支援

 遠野まごころネットは、東日本大震災に被災した岩手県の沿岸部を支援するため、社会福祉協議会を中心に、広範な団体を結集して設立された。
「沿岸部と街道で結ばれている遠野の人々は、明治29年、昭和8年の津波の際にも沿岸部を助けに行きました。遠野にとって、津波に襲われた沿岸部を支援するのは自然の流れなんです」
 事務局チーフマネージャーの柳澤亮さんはこう話す。支援の内容は、時間の経過につれて変化する。被災直後には物資を運び、復旧の妨げになるがれきを撤去し、避難所で被災者の心身のケアにあたった。被災者が仮設住宅に移れば、コミュニティづくりに取り組む。震災から1年半で受け入れたボランティアは7万人を超えた。
 被災地での支援を継続しながら、5月には竜巻に襲われた茨城と栃木両県へ、7月には九州北部豪雨の被災地へ、8月には豪雨に見舞われた京都府宇治市にスタッフを派遣し、蓄積した知識と経験を各地の災害救援に生かしている。
 大船渡での活動を終えた夕方、森さんは本部で開かれるミーティングに参加するため、車で1時間の遠野に向かった。震災直後に比べて減少したとはいえ、遠野にはいまも全国からボランティアが訪れる。プレハブの宿泊棟で合宿しながら被災地で活動した後、遠野を去るボランティアに、現場を離れてもできる復興支援があると、森さんはこう呼びかけた。
「被災地のみなさんは、時間がたつにつれ忘れられていくことが怖いといっています。地元に帰ったら、ぜひ被災地の状況を多くの方に伝えてください」


被災地が抱える新しい課題

 震災から1年半を経た被災地の課題は、仮設住宅でのコミュニティづくりと産業再生だと、柳澤さんは力説する。
 被災者のなかには震災前のコミュニティを離れて仮設住宅に入居した人が少なくない。まごころネットでは、お茶会や農園づくりを通して新しいコミュニティづくりに取り組んでいる。
 一方、学生用アパートの多い大船渡市では、「みなし仮設」と呼ばれる民間アパートなどに入居したため、支援を受けられない被災者が多いと森さんは訴える。
「大船渡のみなし仮設は700世帯といわれていますが、個人情報保護法のために行政は被災者の情報を支援団体に出せないので、独自に情報を集めて支援につなげる努力をしています」
 勤務先が被災したため失職した被災者に安定した雇用と収入をもたらす産業復興も大きな課題だ。まごころネットでは、被災者による内職や、仮設商店街の振興、養殖業の復旧などに力を入れている。
 復興の遅れは子どもにも影響を与えている。親の失業を理由に進学をあきらめる受験生が出ているのだ。多感な思春期に震災を経験した子どもたちは、将来はふるさとの復興に貢献したいと語る。復興の遅れがその夢への扉を閉ざすのだ。
「多くの奨学金は震災孤児を対象としており、失業した被災家庭の子は対象からはずれています。まごころネットは寄付金をもとに無利子・無返済義務で生活費にも使える奨学金を創設し、100人以上に支給しました」(柳沢さん)
 長期にわたって被災者に寄り添うからこそ、必要な支援内容を的確に把握し、迅速な対応につなぐことができる。


被災者とボランティアの心の交流が復興を進める

 昨年12月、大船渡市に「地の森八軒街」という8軒の仮設商店街がオープンした。商店主のほとんどは店舗と住居を同時に失い、なじみ客だった住民も仮設住宅に移って地域を離れた。しかし、さまざまなイベントを企画しては、客足の回復を図っている。まごころネットはこうしたイベントにボランティアを派遣して、地域経済の再生を応援している。
「ボランティアの方々のおかげで、この間の盆踊りも盛況でした。次は地の森八軒街にちなんで『発見祭』というイベントを計画しています」
 包装資材店タツヨシの佐々木義智さんがこう話せば、和菓子舗「都美多」の富田光也さんは笑顔で言葉を添える。
「ただボランティアの方々に顔を見せてもらえるだけで、元気がもらえます」
 森さんがこの地で支援活動を続ける原動力は、こんな「人との出会い」だ。
「被災者であっても他の被災者のお世話をし、ぼくたちにも『上がりなさい』と家に招き、『食べなさい』と食事を差し出す。人を受け入れ、持てるものを分かち合うここの人たちとの交流にぼくたち自身が励まされているんです」
 パン屋と住宅を失った志田裕子さんもそのひとり。仮設住宅の入居者とボランティアを結ぶ「おもてなし隊」を立ち上げ、炊き出しやお茶会を開いている。
 おりに触れて立ち寄るカレー店の鈴木典夫さんと奈代子さん夫妻も、住居を兼ねた店を失いながら、避難所で炊き出しを行なった。現在は住宅の自力再建が難しい地域の高齢者が住む集合住宅の建設準備に奔走し、多くのボランティアに居場所と食事を提供し、相談に乗る。
 ともに励まし合い、支え合う被災者とボランティアの交流と協働が、復興への希望を生み出している。