「まち むら」117号掲載 |
ル ポ |
住民の手で支える地域のお店 |
北海道富良野市 麓郷振興会 |
唯一の生鮮雑貨店が経営危機に 住民組織の自治会である麓郷振興会(会長・目黒英治さん)は、北海道富良野市の十勝岳連峰南麓に位置します。大正11年、美しくも厳しい富良野の大地を開拓する農民の結束の中から生まれました。ヨーロッパを彷彿させる田園風景は、手つかずの森林を切り開き、荒れ野を一鍬一鍬耕した住民の汗と涙の結晶。子々孫々に伝えていきたい誇りでもあります。テレビドラマ「北の国から」の舞台ともなりました。 過疎高齢化が進んでいるのは、この麓郷も例外ではありません。麓郷振興会を構成する10の町内会のうち1町内会は統計上、準限界集落に数えられます。東西12キロメートル、南北8キロメートルという広大な土地に496人、164世帯が住み、人口は農林業で栄えた昭和30年代の2千人から激減。現在は小学生16人、中学生12人を数えるだけとなりました。 そして2年前、長年にわたって経営を続けてきた麓郷唯一の生鮮雑貨店「Aコープ藤林商店」が経営危機に。地域経済の疲弊だけでなく、農村に渋滞まで生まれた「北の国から」の観光ブームも去り、富良野市街地には大型店が生まれたことも遠因でした。もし藤林商店がなくなれば10数キロメートル離れた市街地まで、車で買い物に行かなければなりません。交通手段を持たない高齢者が日々の買い物に困る「買い物難民化」の問題も急浮上したのです。そこで、「住民の大切なお店をなくしてはいけない」という声が次々に挙がり、麓郷振興会が中心となり、藤林商店を地域ぐるみで支援、経営存続の道を模索していくことになりました。 「森の駅」にリニューアルオープン まず取り組んだのが、道の駅になぞらえた「森の駅」として平成22年8月、Aコープ藤林商店をリニューアルオープン。市街地の大型店で買い物を済ませてしまう住民の地元回帰を目指すばかりでなく、観光客をより多く呼び込むことで、来客数の増加を目標にしました。 森の駅では、地域のおじいさんやおばあさんが丹精した野菜を販売したり、住民が開拓以来育んできた木工の技を披露するイベントを開催。休憩所をはじめ、住民の活躍や地域の見所を伝える情報発信コーナーを新設。住民同士や来訪者の交流拠点に位置付けると同時に、近隣のお年寄りを森の駅まで送迎するサービスも始めました。 また、Aコープ藤林商店には麓郷地域の住民だけでなく、近隣の山麓地域からもたくさんの買い物客が訪れていました。そこで、「森の駅」へのリニューアルオープンをきっかけに、麓郷とともに近隣の東山や西達布、老瀬布、平沢、布礼別、富丘、八幡丘に至る山麓地域を一体の生活圏、観光圏ととらえ直しました。同時に、これらの地域を貫く一本の道を「富良野パノラマロード」と命名。伸びやかな田園や雄大な十勝岳連峰が目前に迫る道内屈指のドライブルートを観光客にPRしていくことにしました。森の駅は、住民にとっては生活道路であり、観光客にとってはドライブルートである「富良野パノラマロード」の中心地点に位置することから、森の駅を支える上で近隣地域の振興や連携も不可欠と考えたのです。 支援の輪が広がりコミュニティの核に 森の駅へのリニューアルオープンから約1年半が経ち、一度、街へと離れてしまった買い物客が少しずつ回帰。観光客が休憩所や情報コーナーに立ち寄ったりと、一人当たりの買い物客の滞在時間も増加しました。地元産のピーマンやレタス、ニンジン、タマネギ、カボチャなどが「新鮮で美味しく価格も安い」と評判になりました。 住民の間からは、若いお母さんたちがつくるハムや豆腐など「麓郷ならではの加工品をもっと置いてみたら」と提案があったり、「がんばって」と店員にエールが送られるなど経営に関心を持つ応援団が増え、支援の輪が広がり始めています。 麓郷振興会の目黒英治会長は「森の駅の試みは始まったばかり。待ったなしで過疎高齢化が進む中、お店の存続は利便性や地域経済を映す鏡であるばかりでなく、お店の中での住民同士のあいさつ一つをとってみても、地域への愛着やコミュニティの大きな核にもなっている」と語ります。将来的には、ギャラリーやカフェを設置したり、クリスマスツリーを飾ったり、地域内での購買を促す地域通貨発行のアイデアも温めています。 東日本大震災の被災家族を受け入れ 昨年3月11日、東日本を突然襲った大震災。大きな衝撃を受けたのは、この麓郷も例外ではありません。テレビや現地で被害を目の当たりにし、「被災者の希望に少しでもつながれば」と、麓郷振興会が住民に協力を呼びかけたところ、空き家や物資の提供など次々に支援の輪が拡大。「北の国から」の脚本家倉本聰氏の提唱する「被災学童集団疎開受け入れプロジェクト」に協力する形で昨年夏、被災地から5家族15人を受け入れ、夏休みを利用した短期、3ヶ月に及ぶ長期の麓郷滞在も実現しました。 受け入れにあたって、被災者の住む空き家の掃除をしたり、炊事洗濯、買い物の面倒を見たりと麓郷の10町内が協力。住民と被災者が交流するソフトボール大会やパークゴルフ大会も開催し、地域を挙げて歓迎しました。ランドセルを背負って麓郷小に通う被災地の子どもたちの間からは「マスク無しで遊べてうれしい」との声が上がり、地域住民と被災した母親同士の交流も生まれました。目の前に広がる広大な風景、地域で収穫された野菜が贈られたり、困った時に住民に声を掛けられたりと、被災者が感激する場面も多く見られました。 被災者をアルバイトで受け入れた地元ミニトマト農家の主人は、故郷へと戻る被災者を見送った際、「サヨナラって言わないよ」と号泣したそうです。震災発生から約1年を迎える現在でも、手紙や電話で被災者と麓郷住民との交流は続いています。 麓郷振興会の目黒英治会長は「被災者の受け入れを通じて、逆に住民自身が助け合いの大切さを教わった。震災をきっかけに地域に優しさが芽生えればうれしい」と語りました。地域では児童生徒の減少に伴う小中学校の統合問題や消防団員の欠員など課題も山積。目黒会長は「開拓以来育んできた支え合いの心が少しずつ薄れる中、住民同士のつながりを深め、乗り越えていきたい」と決意を新たにしています。 |