「まち むら」116号掲載
ル ポ

90世帯全員で取り組む支え合いと居場所づくり
島根県飯南町 谷自治振興会
 国道54号から山あいの県道を南西に進む。
 道路沿いに民家が点在し、カーブを繰り返しながら坂道を下っていくと、右手にひと目で旧校舎と分かる建物を見つけた。
 待ち合わせの場所「谷笑楽校(たにしょうがっこう)」である。
 迎えてくださったのは、谷地区全戸で組織する「谷自治振興会」会長の澤田定成さん(59)と副会長の永井康隆さん(63)だ。
 飯南町の南西部にある谷地区は約90世帯、260人ほどが暮らし、21世帯がひとり暮らし、高齢化率は47%。
 ここが、県内はもとより全国から視察が訪れるほど注目を集めている。平成23年度「過疎地域自立活性化優良事例表彰」の総務大臣賞も受賞したほどだ。
 谷自治振興会が、輸送活動や除雪作業など高齢者への特徴的な生活支援を行なっていることに加え、若者にも居場所がある地域づくりを進行させているからだ。
 お二人の丁寧な説明が「“住んでよし、訪ねてよしの谷づくり”をスローガンにしています」と始まった。


歴史の中で積み上げてきた“絆”の強さ

 最初に、地理的位置や歴史的経過について触れておきたい。
 島根県は東部の出雲、西部の石見、離島の隠岐という三つの文化圏からなるが、谷地区は出雲と石見の境にあり、南は広島県に接して中国山地の山あいに位置する。
 江戸時代には石見銀山直轄領で、明治以降も石見だったが、昭和28年の合併以降出雲となり、一層まとまりを強くしていったように思われる。
 ところで、高度経済成長の一方で日本各地で過疎化が進む中、水稲や炭、養蚕、和牛飼育が主な産業であった谷地区も例外ではなかった。昭和10年代と比べると、現在の世帯数は半分以下、人口は4分の1にまで減少している。
 過疎化が深刻になった昭和40年代には過疎対策委員会を設立。これが現在の谷自治振興会の前身であり、以後、地区の大動脈である県道55号の整備促進に働きかけるなどさまざまな生活環境の改善に取り組み、住民の結束力を高めてきた。


住民同志で支える“輸送活動”

 注目されている高齢者の輸送活動の仕組みはこうだ。
 対象者は谷地区内の住民で、3日前までに申し込めば、通常平日の9時から18時まで、地区内あるいは最寄りの高速バス停まで、10人乗りのワゴン車「せせらぎ号」で輸送してくれる。ワゴン車は最低5年間の継続実施という条件付きで町からの無償貸与。地元の負担はガソリン代や車両修繕費などの実費。運転手は会員有志13人がボランティアで当たる。
 そもそもこの活動は、島根県のモデル事業を受けて飯南町から話を持ちかけられたことに始まる。大きな理由は、町営バスの廃止によって地区の最南部にある程原が公共交通空白地帯となってしまうことだった。
 谷地区にマーケットはなく、週1回開院する診療所では間に合わないこともある。最寄りのタクシー業者は17キロメートルも離れている。程原の8世帯(うち独居5世帯)が孤立するという現状に臨み、谷自治振興会では話し合いがもたれたが、程原だけの問題ではないと、地区全体で取り組もうと決定するまでにそれほど時間は要しなかった。
 平成21年8月、県内初の「交通空白地帯において相互に助け合い公共交通を補完するシステム」がスタートした。
 利用者は谷公民館に予約を入れると、受付業務を引き受ける主事の門脇順子さん(53)が運転手への依頼や時間調整などを行なう。利用者の負担は燃料代のみで、公民館や「せせらぎ号」で販売する5枚綴り1000円の会員券を購入し、片道1回ごとに1枚で精算する。
 利用状況は、22年度の年間運行日数129日、利用者数623人。3年目の23年度もほぼ同じ状況が見込まれる。
 「せせらぎ号」による輸送活動は、買い物や通院などの他にイベント参加や選挙投票など、生き生きと暮らすための大切な手段となった。
 ただ、長期継続のための課題も見えてきた。
「運転手の負担を減らすための増員も必要ですし、謝礼が出せる財源の仕組みづくりや、買い物代行などより便利なサービスができればと思います」
 また、受付業務の負担も大きく、例えば「予約を忘れたからと私の自宅まで電話を掛けてくる人もいるんですよ」と門脇さんは苦笑い。お互いに気心の知れた地域の顔なじみだからこその課題である。


雪かき戦隊“スノーレンジャー”

 もう一つ、豪雪地帯ならではの活動が除雪作業を行なうスノーレンジャーだ。
 県の「しまねいきいきファンド助成事業」を利用して除雪機2台を購入。50代から70代の17名がスノーレンジャー会員で、木戸道や庭、屋根からの落雪などの除雪作業を引き受ける。料金は1時間以内1500円。以後30分ごとに500円を追加。これも谷公民館に申し込むか、あるいは直接会員に連絡する。
 自分ひとりだけでは不安で危険な作業も、協力体制を作ることにより安心感が生まれ、高齢者の安否確認や世代間の交流にもつながっている。


地区内外から人が集う“谷笑楽校”

 実は、お話を伺った谷笑楽校は、年間約4500人もの来訪者がある谷地区のシンボル的存在だ。
 平成17年3月に閉校となった旧町立谷小学校校舎を改修し、22年4月に交流拠点施設として生まれ変わって以来、公民館と連携しながら、地区内にある13の各種団体の活動や交流の場として、県内外から人を呼び込んでいる。
 ここに常駐するのは、地域おこし協力隊の岸本佳美さん(25・鳥取県出身)。開校と同時に配置となり、谷笑楽校の運営やさまざまな対応、きめ細やかな情報発信を行うほか、「せせらぎ号」の運転手もつとめる。
 谷笑楽校は、旧教室が卒業写真や卒業生の作品などを展示する空間となっただけではない。若いお母さんたちが乳幼児と一緒に集える育児サロンや、神楽同好会の衣装を保管、展示する部屋などに活用している。
 この神楽同好会、かつて谷地区内にあった子ども神楽のOBたちが、小学生のころ熱中した石見神楽をもう一度舞いたいと平成17年に再興したもので、隣接する体育館で熱心な練習を続け発表の場を広げている。
 さらに、「神楽の魅力からUターンする者までいるんですよ」と澤田さんと永井さんは声を揃える。彼らの熱い思いはさらに若者を惹きつける吸引力ともなっているのだ。


自分の居場所は自分たちで創る

 最後に、谷地区における特筆すべきことを掲げる。それは、40歳代までそれぞれの世代で20名近くいるというバランスがとれた人口構成だ。
 これこそ、住民自身が示すふるさとへの評価ではないか。
 永井さんは「自分たちの居場所や持ち場が谷にはある」と話す。
 歴史の中で培ってきた結束力があるだけでなく、若者たちが神楽の魅力に突き動かされたように、住民自らが考え、より住みやすい地域にしたいと自らの役割を探しながら行動しているのだ。マイナスと捉えがちなことをもパワーに変える気質がここには根づいているのだろう。
 谷笑楽校で伺ったお話は、全住民で取り組む地域づくりについてだけではなく、“谷魂(たにだましい)”とも呼べるものが次世代に伝わっていく様子であったような思いがする。