「まち むら」114号掲載
ル ポ

震災を乗り越え、わかめ養殖を再開
岩手県大船渡市 北浜わかめ組合
津波の再来

 湾口防波堤は海底に消え、沿岸に建ち並んでいた作業小屋はコンクリートの土台だけになった。漁船のほとんどは失われ、残された数隻だけが波と戯れている。沈下した地盤は大潮のたびに浸水を許し、苦労して清掃した漁港に漂流ごみを打ち上げる。岩手県大船渡市末崎町の細浦漁港は、東日本大震災による津波で壊滅的な打撃を受けた。
 昨年2月、三陸沿岸にチリ沖地震にともなう津波が押し寄せ、末崎町の北浜わかめ組合は養殖施設のほとんどを失った。組合員は力を合わせて破壊された養殖施設を撤去し、ふたたび設置し直した。
 それからわずか1年。再起を賭けたわかめの収穫が最盛期を迎えた3月11日、津波が再来する。その破壊力は、前年の比ではなかった。湾口防波堤を破壊した巨大津波は、海中の養殖施設や加工設備、漁船を流し去っただけでなく、沿岸のまちにも襲いかかり、多くの命を奪った。
 北浜わかめ組合の22人の組合員のうち、いまも1人の行方がわからない。組合長の細川周一さんをはじめ、自宅を失った組合員は6人を数える。40隻あった漁船のうち、かろうじて使えるのは2隻だけ。生産手段のほとんどを失い、途方に暮れた組合員はしかし、悲しみから立ち上がる。漁業を再開できるかどうかさえわからないまま、結束力だけは失うまいと共同作業に乗り出した。
「何もしなければ若い人たちが浜を離れ、漁業への思いまでが薄れてしまう。そうはならないよう、できることから始めようと、みんなを集めたんです」
 細川さんは組合員とともに瓦礫を撤去し、流された船を回収し始めた。震災から3か月を迎える漁港では、1日も早い復興に向けて、海底の瓦礫の引き上げ、半壊した建物の解体、流失した定置網を再設置する準備が同時進行している。


養殖わかめ発祥の地

 岩手県から宮城県に伸びる三陸沿岸で生産される養殖わかめは全国の8割を占める。なかでも岩手県は、その45%を産出する全国一の生産地だ。大船渡市の生産量は宮古市、釜石市に次いで県内3位だが、同市の末崎町は養殖わかめの企業化に初めて成功した「養殖わかめ発祥の地」として知られる。漁業者はその名に恥じない上質のわかめを生産するため研鑽を重ねてきた。海の環境もわかめの生育に適していると、細川さんは話す。
「大船渡湾に流れ込む盛川と天然林におおわれた末崎半島からきれいな水が流れ込むし、強すぎず弱すぎない潮の流れもちょうどいい。末崎町のなかでも北浜は、いいわかめが育つ好漁場なんです」
 そして、恵まれた漁場に育つ素材のよさに甘んじることなく、味と香りのいい製品に仕上げるための加工技術にも工夫を凝らしていると続ける。
「湯通しして脱水したわかめに、粉砕塩が溶けるまでからませるように塩蔵するから、磯の香りが引き立つ。ひとりひとりの組合員が試行錯誤を重ねながら、加工技術も磨いてきました」
 肉厚で歯ごたえのある鮮やかな緑色のわかめからはほのかな磯の香がにおい立ち、市場でも高く評価されている。
 地元の末崎中学校では、地場産業であるわかめ養殖について3年をかけて学ぶカリキュラムを組んでいる。わかめ養殖の生産から加工までのすべてを体験し、2年生の秋には修学旅行先の東京で販売。3年生になると海を守るための森林整備を行なう。地域ぐるみで子どもを育てる体験学習は数々の受賞歴があり、それがまた漁業者の誇りを強めていた。


めかぶに希望を託す

 末崎町の漁業を代表するわかめは、養殖漁業の復興の足がかりになる水産物でもある。出荷するまでに2〜3年かかるカキやホタテとは異なり、わかめは11月に種つけすれば、来年の春には収穫できる。もし今年の種つけができなければ、収入の道は一年遠のく。
 漁港から瓦礫が消えてゆき、被災した造船所も営業を再開するなど、養殖を再開する条件は次第に整い始めたとはいえ、漁船、湯通しの釜やバーナー、ホイストなど、いまだ不足している資材のほうが多い。それでも、ほとんどの組合員が再起への意欲を燃やしていた。組合員の意向を確認した細川さんはこう語る。
「高齢化で辞める1人と、検討中という2人を除くと、19人が継続を望んでいました。希望するわかめの台数を合わせると、約100台。震災前とほぼ同じ規模になることがわかりました」
 5月中旬、組合員たちが残った漁船に分乗し、湾外の漁場の調査に出ると、津波を生き延びたわかめが波に揺られていた。適期を過ぎてはいるが、収穫すれば1トンほどの製品になりそうだ。しかし、細川さんはこう考えた。
「こんなときだから少しでも収穫して売ろうかとも思いましたが、いつもの味とは違う。末崎わかめの評判を落としたくないので、収穫しないことにしました。やっぱり品質で勝負したいですからね」
 翌日ふたたび漁場に出た組合員は、7月に種つけするための「めかぶ」を採集した。このめかぶが復興を賭けた希望の種苗をつくる。


支援金で復興を後押し

 細川さんは震災前から、わかめの生産にとどまらない漁村の魅力の掘り起こしによって地域を活性化するために、漁業体験を核としたブルーツーリズムの構想を抱いていた。その思いを受けた東京のコンサルティング会社の社員が末崎町を訪れ、組合員と協力関係について話し合ったのは震災の4日前のことだった。
 この会社、株式会社アール・ピー・アイの奥野俊志さんと佐藤孝弘さんは、細川さんら組合員がわかめ生産の再開を決断するのを待って、すぐに着手できるよう支援策の案をまとめていた。
「わかめオーナー制度」と仮称するこのしくみでは、1口1万円の支援金を募り、養殖の再開後にわかめを送り届ける。わかめの代金を先に手にすることで、組合員は失った設備類を購入することができるうえ、製品化したわかめを確実に販売することにもつながる。
「被災地を支援したいという気持ちがあっても、現地に行けない人のほうが多い。そんな人にもできる顔の見える支援策を考えるなかで、このしくみにたどりつきました。将来にわたって末崎町との関係を深め、息の長い復興支援につなげていきたいと思います」
 こう語る奥野さんは、カキやホタテへの拡大も視野に入れている。北浜わかめ組合の「わかめオーナー制度(仮称)」への呼びかけは、採取しためかぶからの採苗の後に行なわれる予定だ。