「まち むら」113号掲載
ル ポ

登録有形文化財を生かしてまちづくり
高知県奈半利町 なはり浦の会
空き家を交流拠点に

 昨年11月、高知県奈半利町の古民家で、書道・陶芸・華道の分野で活躍する女性芸術家3人の「書・陶・花――三人展」が開催された。美術館のように非日常的で無機質な空間ではなく、人が暮らす空間に展示された作品群は歳月を経た建物と一体化し、訪れた人を魅了した。
 会場の「なはり物語館」は大正時代に建てられた町屋。まちづくり団体「なはり浦の会」が管理し、同会の活動拠点として、各種イベント会場として、会員として活動する書道家、知原志津さんの書道教室としても利用している。
 入り口に設けられた水場はお遍路さんをあたたかく迎え、玄関に置かれた古民具は書道教室に通う子どもたちに地域の歴史を語りかける。空き家だった町屋は、多くの人が関わり、さまざまな利用法を探ることで、町内外の人の交流の場に生まれ変わった。
 奈半利町は、古くから高知県東部の交通の要衝として繁栄した。遠く奈良時代には都の奈良と土佐国府を結ぶ南海道の一部、尾根山街道の起点となり、平安時代には「土佐日記」を著した紀貫之も立ち寄るなど、陸上・海上交通はこの地で交差する。そのため物資が集積地ともなり、製材や樟脳、捕鯨、製糸などの産業が開花した。
 上流には日本三大美林に数えられる魚梁瀬がある。その銘木は中世の昔から奈半利川を筏で下り、奈半利港から京阪神に運ばれた。魚梁瀬とを結ぶ森林鉄道が開通すると集材量は急増し、製材や貯木、運輸などの関連産業が栄えた。中心街はあらゆる業種の商店が立ち並び、多くの人でにぎわった。
 そして、蓄積された財は、丸いまま、あるいは半割にした浜石を積み上げた石塀で囲い、土佐漆喰の壁に水切り瓦をつけた住宅や蔵に投じられた。南国の明るい陽光に映え、太平洋から吹きつける荒々しい風雨に耐えうる、用と美を兼ね備えた建造物が、幕末から近代にかけて集積されていった。


美しい町並みを残したい

 しかし、長い歳月を刻んだまちにも、グローバリゼーションの波が押し寄せる。副会長の前田集さんは次のように語る。
「10か所以上あった製材所は1か所を残すだけになり、楠の葉や枝を蒸留して防虫剤などにする樟脳工場もなくなり、輸出の花形だった製糸業は2005年にブラジルに移転しました」
 地場産業の衰退につれ、歴史ある建物が解体され、旧道沿いを中心に形成されていた町並みから統一感ある美しさが消えていった。やがてなはり浦の会の会長になる森美恵さんは、地域から失われる古きよきものをなんとかして残したいという思いから、高知県教育委員会の専門家を招いて見学会を開催した。
「そのとき教えてもらったのが、1996年に創設された文化財登録制度でした。その制度を利用すれば古い町並みを守ることができると、自分たちでは気づかなかった手法を教えていただいたんです」
 文化財登録制度は、急速に失われる建造物を保護するため、厳格な保存を目的とした文化財指定制度を補い、よりゆるやかな規定で多くの文化財を保護するために創設された。外観を大きく変える際には届け出が必要だが、内部は自由に改装することができるため、活用することによって文化財を守る制度としてヨーロッパ諸国で効果を上げている。
「そこで、奈半利では2000年に8か所12件を登録しました。一度に登録された件数としては最多ですが、現在では12か所39件に増えています」(森さん)
 なはり自然保護研究会の「町並み保存部会」として活動していた会員たちは、「なはり浦の会」として独立。往時の繁栄を伝える建物を有形文化財として登録し、これらを積極的に生かすまちづくりを開始した。


町並みガイドで交流人口が増加

 2002年には、南国市の後免駅と奈半利駅を結ぶ土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の開通に合わせて、有形登録文化財を中心にした町並みボランティアガイドにも乗り出した。これには1時間と2時間の二つのコースがあり、住み慣れた地域をゆっくりと歩きながら、奈半利の歴史や文化財の建築様式をやさしい響きの奈半利弁で説明し、暮らしの情報を交えて案内する。
「案内をする町外の人がいいねといってくれ、奈半利のよさに気づかせてくれることで、ボランティアガイドの意欲も高まりますし、私たちが知らないことを教えてもらえることも多いので、知識も増えていくのが楽しいですね」
 と安岡祥子さんは語る。こうした手作りのガイド活動が実り、交流人口が増加しつつあると森さんは実感している。
「ただ文化財として登録するだけでなく、それを生かしたまちづくりをすることによってお客さんに来てほしいと思っていましたが、それまで通り抜けだった奈半利に、口コミでお客さんが来てくれるようになりました」


無形文化財とともに有形文化財を守る

 47人の会員から成るなはり浦の会の活動の基本は、「できる人が、できる範囲で、できることを」。会員たちは、町並みボランティアガイドをするガイド部会、文化財の修復などを担う大工や左官が参加する技術部会、イベントの企画やホームページなどを通した情報発信を担当する企画・広報部会に分かれて、それぞれの能力をまちづくりに生かし、社会貢献を通して自己実現を果たしている。
 また、前田集さんは趣味の切り絵作品を絵葉書にし、坂本政子さんは繭や生糸を生かしたしおりやペンダントを製作するなど、活動を持続可能にするための収益活動も行なっている。
 さらに、文化財を現代に活かす試みは、歴史遺産とともにあった無形文化財をよみがえらせる活動にも乗り出した。登録有形文化財のひとつである竹崎家住宅は(屋号「高田屋」)は、和風喫茶として活用されている。2年前にはその高田屋を式場に、会員総出で会員の息子の結婚式を執り行なった。
「昔はみな家で結婚式をしたものですが、いまでは町外の結婚式場でするようになりました。そのときの結婚式は、古い婚礼衣装の着付けからお料理、歌や琴の演奏、折り紙の箸袋に至るまで手作りで、新郎新婦もご家族もほんとうに喜んでくれました」(森さん)
 これからは有形文化財と離れがたく結びついていたこうした無形文化財も大切に将来に伝えていきたい――。浦の会はまた活動を広げようとしている。