「まち むら」111号掲載
ル ポ

田舎のコンビニ『ノーソン』
大分県中津市耶馬渓町 NPO法人耶馬渓ノーソンくらぶ
 人口が減り過疎が進むと、地元商店は成り立たなくなり廃業する、高齢者所帯で車を運転しない人も多い、食料品や日用品を買うのに困る。
 いわゆる「買い物難民」問題、「この地で暮らし続け、地域を守るには、自分たちでできることを考え実践しよう」と、買い物難民の解消に手がけた人たちがいる。


ここは天下の景勝地「耶馬渓」

 1818年にこの地を訪れた、文豪頼山陽は「山水秀麗天下無雙の絶景」と激賞し、それまでは山国谷と呼ばれていたのを、海内一の渓として『耶馬渓』と名付けた。以来、耶馬渓は景勝地として国内にその名は轟いている。
 秋の錦もみじが代表だが、春の若葉もみじ、夏の清流、粉雪舞う冬景色と、四季折々に自然の美しさがある。ここ津民の地は、裸祭りで知られるやんさ祭り、五穀豊穣を祈願する神仏習合の祭り桧原マツ(ひばるまつ=県指定無形民族文化財)の仏教文化や長岩城を中心とした中世山城など、数多くの歴史的遺産がみられ、緑豊かな自然環境とあわせ伝統的な村落景観を良く残している。
 しかし、近年は他の農村地域同様に過疎化の大きな波に直面しており、農林業を基盤とする当地にあっても過疎化は深刻な問題となっている。


俺たちでなんとかしょう

 中島信男氏(58)当時耶馬渓町職員だった中島氏は、2003年JA中津下毛が統廃合のため、空き店舗になった津民支所が競売にかけられていることを知り、「車一台の値段」で購入。
 金融部門や売店があったこの農協支所は、地域住民の集う「核」でもあった。
 「ここで地域の人のために、何かできたら楽しいだろうな!」と知人の鈴木健久氏(55)と話し合いながら店舗改装を進めていると「あんたたち、なんしょるんでー」と地域のお年寄りが立ち寄り、「日用品を売るような店をつくち、おくれ」「それと、お菓子もおいちおくれ」「わしたちは、農協がねえなっち(無くなる)こまちよる」そんな地域住民の声に後押しされながら、半年がかりの手作業で改装した旧農協支所は、住民有志を会員とする特定非営利活動法人耶馬渓ノーソンくらぶを設立する。


売店名は農村=ノーソン

 店の名前は、大手コンビニの「ローソン」と「農村」をかけあわせたネーミング「ノーソン」とした。「損をしない(ノー損)」という意味も込めて。
 2005年7月オープン、町のコンビニなら客は若者が多いが、ここ津民地区は中津市中心部から車で30分以上かかる山間の地(200世帯、人口は約550人)来るのは、ほとんどお年寄り、お菓子や調味料、インスタントラーメン、牛乳、清涼飲料水などの食品関係のほか、洗剤や歯ブラシなどの日用品雑貨、野菜の種、衣類など約300品目を置いている。
 店内には大きな木を加工した長いカウンターがあり、そこには店長の中畑榮子さん(76)がいる。中畑さんは、元農協の職員としてここで働いていた、「定年退職してから10年気楽に過ごしていたのに、たまたまゲートボール帰りに改装作業をしていた中島オーナーに、「手伝って」と言われ、「うん、いいよ」と言ってしまったのが運のつき、店長まで引き受けることになった。「わたしゃ人がいいもんじゃきーしかも安い給料で」と話すが、この店にはやはりこの人が適任だったと思われる。
 年は取ったとは言え、昔とったなんとかやらで、今では「榮子ちゃんの店」と呼ぶ人もいたり、農協の通帳を持って来て「お金おろしてー」と言う人もいる。


みんなのふれあいの場

 ノーソンの営業は平日の5日間、朝9時から夕方5時までだが、月曜日と木曜日の週2回は、多くの客で賑わう。それは、中津市が車の運転が出来ないお年寄りのために、診療所に送迎バスを出しているから。ノーソンはその診療所の向いにあり「医者の帰りにノーソンヘ立ち寄り何か買いもんするのは、あたりまえじゃー」、「お医者のついでに寄れて便利がいい、お菓子や洋服を自分で選んで買えるのは、とても楽しい」
利用者は口を揃えてこう言う。
 ノーソンは、この地域のお年寄りにとってはなくてはならない売店であるが、もう一つ楽しみがある。それは、休憩所だ、中島オーナーが地元の山で伐採した木を加工した円形の大きなテーブルと椅子、冬は薪ストーブを囲んで、お茶をのみながら話は弾む、世間話しや家庭内の不満も、ここで話せば、気が晴れるようだ。「家でテレビを見ながらゴロゴロとしているよりここに来て、みんなとのおしゃべりが楽しみ」と毎日のように来るおばちゃんもいる。ここは休憩所というより社交場だ。
 田舎社会でも、人と人が豊かにふれあう機会が激減している中にあって、自由に集まり、語り合えるノーソンはここのお年寄りの人生をも輝かせている。


もう一つの柱 共同出荷事業

 ノーソンには、お年寄りが元気になる別の仕掛けもあった。それは、お年寄りの作った農産物の野菜や花をノーソンまで持ち込めば、中津市内のスーパー(産直コーナー)などに運んでくれる。
 もともと自家用の“あまり野菜”を集めてスーパーに出荷していた人がいたので、それに便乗しただけと言うのだが、これが好評判で飛ぶように売れた。
 中には、「10万円稼いだ」という人も出てきた、そうなると、畑仕事にも希望が持てる、雑草だらけで、猪や鹿が出入りしていた荒地が野菜畑に蘇った。
 「孫に小遣いがやれて年金の足しになる」「野菜で稼いだお金で、ノーソンで買いもんするのが一番の楽しみじゃ」などと話す人たちの表情は、とても明るく、ここでの暮らしにも『幸せ感』が覗える。
 野菜出荷は、お年寄りにとっては貴重な収入源であるとともに、ノーソンで買い物をすることで『経済の循環』にもなっている。
 この「ノーソン」の、もたらしたものの大きさを改めて感じた。


新しい芽が地域に花を咲かせる(成果と充実)

 なにか事を起こすのは、いつの時代も若者か、少し変わり者である。オーナーの中島信男氏は耶馬渓町職員の時から髭を生やし公務員らしからぬ風貌。そして木工にも取り組んでいたが、その腕前はプロだった。
 一方、理事長を務める鈴木健久氏は20年前「脱サラし」三重県四日市市より家族と共に耶馬渓に移住して農業や養鶏をはじめた。今では、盆踊りの口説きや祭りの笛の名手として地域行事にも積極的に関っている。
 そして、会計担当の新村治美さんは関西から移住してきた女性の大工である。この人たちが中心となり、種を蒔いた耶馬渓ノーソンくらぶ。
 本年度通常総会(7月28日)が開催され、その事業報告では
(1)人口の減少と転出などで地域の高齢者は少なくなっているが来店者は昨年並みに推移している。
(2)店内に地域住民の作品展示を行い住民文化、芸術振興も図っている。
(3)野菜販売(売上額は390万)を通じて遊休農地の解消にも貢献した。
(4)視察や研修、取材で都市住民との交流ができた。
(5)夏休みの期間中は、プール帰りの子どもたちの憩いの場となった。
 等々の成果が報告された。地域を愛する強い気持ちと実情にあった方策が採られれば、必ず成果は挙がる。農村地域の理想的なモデルと感じた。