「まち むら」111号掲載
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下水道整備も温泉発掘も自分たちで作業しました!
岩手県二戸市 浄門の里づくり協議会
 「子どもや孫たちが、あまり帰ってこなくなった」そんなぼやきから、自分たちの手で下水道を整備してしまった地域がある。土木や建築の経験がある仲間の指導の下、溝を掘り、直径10センチのパイプを総延長約900メートル埋設するという工事をやってのけた。県北部の二戸市、戸数19、人口77という門崎(かんざき)集落である。
 帰省しなくなった大きな理由はトイレだった。下水道が整備されていなかったために、民家のトイレは汲み取り式。実際に落ちることはそうはないものの、子どもにとっては恐怖の設備である。大人の女性でもあまり歓迎できる代物ではない。使うことができず、5キロ先の公衆トイレまで出かける人もいたという。
 加えて、豊かな自然以外に楽しみもない地域だったことから、足が遠のきつつあった。
 老後はできれば子どもと近くで…というのは親の偽らざる望みであろう。帰ってこない子どもを優先して、自分がそちらへ…と思い始めたとき、
「そうじゃなくて、子どもたちをこっちに引き寄せよう!」
という声が上がった。そのためにも、下水道整備は集落にとって大きな課題だった。


まずはみんなで集落内の課題を総点検

 「浄門の里づくり協議会」ができたのは平成18年。実際の活動はその10年ほど前から始まっていた。
 同7年3月に「豊かで住みよい活力あるむらづくり」をめざして設立準備委員会を結成し、1年かけて住民全員で集落を点検。課題を探し出して話し合うという作業を行なった。
 課題は同8年「むらづくり10ヵ年計画」にまとめ、集落入口に看板として掲げた。内容は、水車小屋、コミュニティセンター、広場、ほたるの里、共同墓地公園、バス停留所、道路ほかの整備など22項目。同8年3月には、それらを実施するための組織として「浄門の里〜」の前身である「門崎むらづくり推進協議会」が全戸参加のもとで結成された。
 10ヵ年計画について、会長の佐藤幸作さんは「いろいろな問題があって、とても1年では終わらなかったのです。それに短い期間でやろうとすると疲れますから」と語る。解決には費用を要する問題も多く「できるだけ助成金を利用する」という方針もあったため、長期計画の方が都合がよくもあった。
 会長は「ありとあらゆる助成金をもらった」というが、申請のためにかなり奔走した。申請先は浄法寺町(現在は二戸市に合併)、岩手県、NPO、宝くじなど。平成8〜9年はよく役場へ交渉に出向いていたため「あまり来ないでくれと言われたこともありました」と苦笑い。
 それでも、地道な活動を続ける協議会は徐々に信用と助成金を獲得していく。総事業費(補助金と自己資金)は少ない年度で38万円、19年度は3100万円にのぼった。


参加したくなるような仕掛けを工夫

 事業を行なうとき、協議会がルールとしていることがある。ある資料の活動計画には次のような項目が掲げられている。

●「むらづくり10カ年計画」の実施に優先順位を付けない。
●自分達で出来る所から活動する
●住民に資金的な負担をできるだけかけない
●共同作業参加を決して強要しない
●共同作業が住民に過大負担にならないこと「参加できる人は、参加できる時に、出来る事をやる」
●共同作業が終わったら、必ずその日の反省会を行う

 これらから、活動の成功のポイントを窺い知ることができる。
 まず費用。まとまった負担が続くような活動は、継続が困難である。そこで助成金に着目。しかし助成の可否や時期が思い通りにいくとは限らない。だから「できるところから実施」なのである。しかし実はこの集落、必要と考えることは「自分たちが負担しても実施した方がいい」と腹をくくる。下水道整備にあたっては全戸に毎月5000円の積み立てを検討。安くはない額だが「やるべきだ」という声があり、全戸賛同に至っている。
 それから、作業への参加は強制しない。長期間の活動においては、参加具合の差が軋轢を生じがちだ。そこで会長は「出られるときだけでいい」という雰囲気づくりにも取り組んだ。不参加を容認する代わりに、参加者には作業終了後に、存分に食べたり飲んだりする楽しい「反省会」の場を設けた。
 7年ほど前にUターンして葉タバコなどの農業を営む佐藤勝さんは「花卉栽培に比べて手間がかかる仕事なので、仕事を犠牲にしてまでは…と思っていました。でも、出られるときだけでいいというので気が楽です。反省会も楽しいのでもっと参加したいのですが、今年は忙しくて…」という。
 真面目な話題も出るこの反省会と、作業のときが情報交換の場であり、参加しなければ情報が入りにくい。会員は自然と積極的に参加するようになる。陰口やペナルティを避けるために参加するのと、自ら参加したくてするのでは、そこにできる雰囲気はかなり違う。
 実家にUターンした10年前から協議会に参加し、現在は副会長を務める佐藤勘悦さんも「戻ってくる前から、活動を通して住民同士のコミュニケーションがとれていると感じていました。実際に参加してみると予想していた通りで、楽しいです」という。


コミュニティ形成ツールとして機能する施設・設備

 10ヵ年計画には書かれていないが、交流も重視していることのひとつだ。
 かつては年1、2回だった住民同士の集まりが、現在では年間行事が増え、反省会のほかに平均月1回以上顔を合わせる。また「交流による地域活性化」として、都市部である盛岡市月が丘一丁目町内会とも年に数回、互いに行き来している。
 ハードの整備では「みんなが集まれる場所」となるよう工夫を凝らす。コミュニティセンターは集落を出入りするときに必ず通る場所にあるが、そこに「硫黄臭を頼りに手探りで掘った」という温泉を引いて週末に共同浴場を開き、四阿を造るときは同じ敷地の道路に面した場所を選んだ。どちらも遠慮のいらない、オープンな井戸端会議として機能している。
 「自分たちの住むむらは自分たちの手作り」という合言葉を実践する協議会。下水道の整備にしても、ほとんどが兼業農家である門崎の住人たちは、まさか一生のうちに下水道工事をする機会があるとは思ってもいなかったに違いない。しかし、「自分たちのためになる結果」という目的をぶれることなく見つめているから、実施できるのだろう。
 活動によって快適な環境が生まれ、楽しい場も増えた。楽しいから絆が強まるのか、絆があるから楽しいのか、どちらが先かはわからない。ただ確実に、集落は歓迎すべき姿へと変貌を遂げている。その結果、お盆に帰省する人が増え収穫祭には住人の3倍以上の人でにぎわい、小さな集落に4人がUターンしてきた。
 10ヵ年計画はほんのいくつかを残すだけとなった。「いつまで続くのだろう」という称賛と期待が混じったことばも聞かれるなか、「小さい活動でも続けていかなければ」という。一度ストップしてしまったら再開するのがむずかしいからだ。
 「いつか、大きい花火を打ち上げてみたいですね。よろこぶだろうな…」会長はみんなの顔を思い浮かべるように目を細めた。